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才能の正体


朝から30度超えの暑い暑い都会での
ある日の出来事です。







東京 荻窪駅前

約束の時間まで
かなり余裕があった

カフェに入ろうかとも思ったけど
何が飲みたいわけでもない

一番 日の当たらなそうなベンチを選んで
座って過ごすことにした

暑さをやわらげるためのミストが
頭の上の方が噴出しているけど
暑いものは暑い

でも気にしない

下着が透けそうなくらい薄い
黒チェックのコットンのズボンに
黒のタンクトップを着て
暑さを受け入れる準備は万端だから


手のひらにおさまる
小さな手帳を開いて
考え事とにらめっこ

すると
突然 左から声がした

「あの すみません
 詩人なんですけれども
 よかったら これ」

視界の左から 
すっと紙がフェードイン

はじめは
何かの勧誘かと思って
超、身構える

はっきり言って
ものすごく警戒した


透明バリアをはった

だけど

渡された紙に書いてある
ことばに目が貼りついた


『詩を読みたくなる日』


そういう日がある

いまがまさにその日

読みたいだけじゃない

からだの中をめぐる何かを
言葉にして外に出したくて
書きたくなる日もある


といってもそれは
自分の中に留める書き物
「自分のため」のもの

頭の中のクリーニングみたいなもの

掃き出す という感じ

ただ、掃き出しているだけ


書いたことばが
誰かの
支えになったり
救いになったりする
詩人さんは
本当にすてきだなと思う


私は
「職業は?」とたずねられたら
「フリーアナウンサー」とこたえる

けど
迷うこともある

ナレーターもするし
MCもする
講師として呼んでいただくこともあるし
キャスターという肩書きの時もある
舞台もやりたいし、、、

仕事が
ちょっとしかないときもあるし
なーんにもない時もある

そもそも 何者でもないんじゃないか とか

肩書きは
自分以外の人が
自分のことを認識するための
ラベルみたいなものなのだろうか


肩書きってなんなんだろう?


フリーアナウンサーは
何の経験がなくても
「わたしは フリーアナウンサーです」と
宣言すれば
フリーアナウンサーになる

資格があるわけでもないし、
仕事が無い時、
フリーアナウンサーを名乗りながら
バイトをしたこともある

フリーアナウンサーが
フリーアナウンサーたることとは 
なんなんだろう

考えだすと とりとめもない

鼻濁音が出せないアナウンサーもいるし
鼻濁音が完璧でも伝わらないアナウンサーも
いる

ギャラの有り無し 大小で考えるのも
違うと思う

似たようなところが
他の肩書にもたくさんあって

その中の代表格が
私にとって「詩人」だった


だから
「詩人」と名乗る人に
声をかけられて
本当に びっくりした


透明バリアは
すぐに消えた


バリアを消したのは
単に興味のある肩書きの人だったから
ってだけじゃない


詩人さんの声が
まあるかったから


顔はみてなかったけど
「まあるい声の人だなぁー」と思った


渡されたハガキのような紙に
「吉本ばなな」と書かれている

コラボ詩集があるらしい

「え?
吉本ばななさんとコラボしたんですか?」

「あ、友達なんです」

一瞬 疑いも過ったけど
そんな大胆な嘘をつく人は
そうそういないと思うし、
嘘の音は
聴こえなかった

最近わたしは
吉本ばななさんの
対談本を読んでいる

毎晩
少しずつ


ちょうど
前日に読んだページで
心に残っている
ばななさんの言葉があった


「自分には自分だけの才能がある
だけど それは 
憧れとは別の場所にあるのかもしれない  
そう考えたら 気持ちがラクになる」

正確には覚えていないけど
そんなようなことが書かれていた

それを
丸の内線の
新宿三丁目から荻窪までのあいだ
ずっと噛み締めていた


そうしたら
その、ばななさん、と
「あ、友達なんです」という
詩人さんがあらわれた


ハガキのような紙は
書店の本の平積みに添えられる
「ポップ」らしい。

『大切なのは
夢じゃない
何かを
夢見たときの
心のときめき』

ポップに掲載されていた詩



話しかけてくれた詩人さんのお顔を
ちゃんと見たのは
詩人さんの去り際の一瞬

「noteにも詩を書いているから」と
教えてくださり
お名前を検索したら
顔写真を見ることができた。


マスクで顔半分が見えなかったけど、
きっと
間違いなくご本人。

いただいたポップ



詩人さんのお名前は
「谷郁雄さん」

なんと
教科書にも詩が載っているようなお方らしい

間違いなく「詩人」さんだ

自分の中からうまれたものを
駅前のベンチに座る
見ず知らずの人に
堂々と紹介できる、
かっこいいなぁ

細っそりされているけれど
大きな木のように
しっかり根を張っている

強い根っこがあるから
「いる」ことができる


詩人さんに声をかけられて、

肩書きなんてどうでもいいから
ちょっとやそっとのことじゃ倒れない
丈夫な根をはりたい

そう思った

はじめは
葉っぱ1枚しかなかった
ひょろひょろのウンベラータも
今は
リビングのシンボル的景色をみせてくれる

ちょっとずつ
ちょっとずつ
自分に水と光をあげて
ゆっくり根を張るんだ






普段の私は
主にニュースを伝える仕事をしています。

仕事がない時には
声にまつわるいろいろな
トレーニングをしています。


詩人 谷郁雄さんに
声をかけていただいた時、
私は
ナレーション、朗読の先生のところへ
行く前でした。


作者の考えを、
作者が紡いだ言葉の何もかもを
声にのせられる人になりたい


だけど
言葉が持っている意味を
その意味のまま声にのせることに
いつも苦戦しています。

想像しているつもりが
想像できていない 
というか、、、

たくましい想像ができていない
というか、、、

想像力にたくましさが欠けていると
声から
言葉の根っこが
消えてしまう

あぁ くやしい。

自分の
浅さに
心が砕けそうになる。

でも
乗り越えたい

自分を耕したい

根っこをとらえて
声にのせられる人になりたい

自分には
才能がないのでは?と
不安になることがあります。

でも、どうやら
不安になる必要は
ないみたいです。


だって、、、

才能

才能の無さを
悲しむ日々

けれど
それは

努力の喜びを
かみしめる日々

「谷郁雄の詩のノート1」より


谷郁雄さんのnote
「詩のノート」で
出会った詩です。


力が湧いてきました。


谷郁雄さんに勧められて
1年以上 放置していたnoteを開きました。

そして
1年3ヶ月ぶりに
投稿したのが
このnoteです。

谷郁雄さんにご許可をいただき
お名前も載せさせていただきました。

暑い暑い都会の駅前での出来事、
長くなってしまいました。

お開きとさせていただきます。

丈夫な根っこをはる努力を
こつこつ
丁寧に続けられる人に
才能の神様は
ひかりをあてるのかもしれません。

やりたいこと
やれることを
ちょっとずつ
ちょっとずつ。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。


きょうの ぜんぶに ありがとう。








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