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読書は独書だが、一人ではない

先日、下記の投稿が10スキを初めて突破した。


読んでくださった方、本当にありがとうございました。
ただの日記感覚で書いているとはいえ、やはり人からリアクションをもらえるのは嬉しい。

また、「本」というコンテンツの力の大きさやnote内で本をメインテーマに書いている人の多さに驚いた。今まで本は一人で楽しむものであり、他者との繋がりを深めるものではないと思っていた。しかし思い返せば、同じ本を読んだ人と感想を言い合うことはまさに「人との繋がり」を生み出していることに他ならない。

私は本紹介をメインにやっているわけではないが、今回はこの「本を通じた人とのつながり」というので思い出が残っている本を一冊紹介したい。
今回もまた有川浩先生の作品だが、『レインツリーの国』という本である。

この作品は同著者『図書館戦争』シリーズに登場するほか、映画化もされているためご存知の方も多いかも知れない。
物語の詳細は実際に読んで欲しいので割愛するが、私が記憶に残っているのはメインの登場人物である男女二人は本を通じて心を通わせている、ということである。

この作品を通じて私が痛感したことは、意見を交換することは決して自分の意見を相手に押し付けることではないということである。
昨今、私たち現代人はSNS上で互いの主張をぶん投げ合う。しかし、ただ投げるだけであって自分が他の主張をキャッチする構えをしていない。
特にTwitterでは互いの「正義」を振りかざし、さも自分の主張が絶対に正しいと言わんばかりである。
テキストという意思伝達方法の特性上、お互いの感情や表情が見えにくいという力も作用していると思うが、顔も全く知らない見ず知らずの人と喧嘩するのははっきり言って滑稽だ。

(そもそもTwitterは「呟く」ことがメインなのであって、最近のTwitterの商業的利用や炎上商法も気に食わないが)

自分の意見を持つのは良いことだとは思う。しかし、それ以上に自分は自分が思っている以上に無知であるということを自覚し、知らないこと(物事を見る角度や望む姿勢など)に対して寛容であることが今の私たちには必要なことではないのだろうか。


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