大学入試国語の勉強法(独学)
序論
学生時代に得意だった国語の【勉強法】を書いてみる
正直、当時は「なぜ、みんな苦手なんだろう?」と思っていたが、最近原因がよくわかってきた
簡単に言うと、「勉強していないから」だ
例えば英語なら「単語・熟語」を覚え、そして文型・構文を覚えて長文を読む
和語英訳(世にいう英作文)なら自分の知りえる文型と単語熟語を使って器用に書いていく
例えば数学なら、チャート式の例題を見て、例題の答案をとにかく写してわからないところを確認し、その後例題の回答を隠してもう一度解いてみる
そして回答を覚えきる
つまり、学生にとっての勉強は「覚える」「暗記」がキーワードになってくる
よく学生は「暗記」を嫌がる
むしろ暗記ができない、とも聴く
しかし、「暗記」が彼らにとっては「勉強」になる現実があるわけだ
真の意味で学生は「勉強をしていない」とも言えるが、そんなことはどうでもいい
大事なことは、学生にとっては「暗記」「覚える」が勉強であり、暗記ができない科目、詳しくは「暗記の仕方がわからない科目」については「勉強のしようがない」となり、「勉強しない」となるのだ
正直暗記はつまらないが、暗記で点数が伸びるから「暗記」をする他ない
特に日本の学校は「自分の考えを述べること」をほぼしない
はたまた「自分の考えは不正解」であることも多い
本来は「正解・不正解」はどうでもよく、「よく考える」ことが大事で、文部科学省もそのことを学習指導要領に盛り込んでいるのだが、ふたを開けてみれば「すべて暗記」の世界が勉強である
ここについて言えば、「考える」ということがどういうことなのかわかっていない学生が多いし、教える側の大人もわかっていない人が多い
むしろ「考えなくてもいい世界」が日本であり、便利な世の中で「考える」という面倒事は廃れたのかもしれない
しかし、それもどうでもいいこと
さて話を元に戻そう
国語の勉強法である
「なぜ、学生は国語ができないのか」については「勉強をしていないから」と答えた
ただ、「なぜ勉強をしないのか」という回答については少し難しい
単純には「勉強の仕方がわからないから」なのだろう
だが、この問いを深く抉ってみるとどうも違う回答が出てくる
例えば「国語は日本語だから勉強しなくてもできる」という【過信】や「勉強してもしなくても点数が変わらないので勉強する時間が惜しい」という【諦め】、挙句の果てには「国語はセンス」という【感覚論】まで出てくる始末
こういった話に、一つ一つ反証を与えよう
①過信
「国語は日本語だから勉強しなくてもできる」
⇒勉強しなくてもできる科目ならなぜ点が取れないのか?あなたは日本語が読めないのか?もっと言えば、勉強しなくてもできる教科であるなら差がつかないではないか
差がつかないなら試験としては落第だ
②諦め
勉強をしていないのだから点数は取れません
仕方ないですね
③感覚論
国語の問題は世にあふれているが、作問者は全員センスだけでやっているのか?センスや感覚論で真っ先に思いつくのが「絵画」などの美術であるが、センスや感覚論で出した答えに「正解」はない
ただ、国語の問題には「正解」がある
これはどういうことだろうか
今まで様々な本を見たが、今から書くようなことを書いている本はなかった
なぜ存在しないかの理由は簡単に推察できる
①予備校や塾にとってはこの方法を教えることは自分の首を絞めるからだ
予備校や塾にとっては生徒を呼ぶことで売り上げが上がる
独学で点が勝手に伸びていくような勉強をされては予備校を使ってくれないのだ
それは困るだろう
②作問者の都合
あなたは「出題意図」というものを読んだことがあるだろうか?東大は毎年回答と共に出題意図を公開している
この際、毎年出てくるキーワードが一つある
それは「論理的思考力」という言葉である
では、「論理的思考力」とは何か?この点は、明らかにされない
作問者の都合があるからそれなりの体を調えて発表している
③そもそも勉強法を知らない
私はこれこそが最も大きな理由だと思っている
正直、「絶対国語で満点取れる方法」なんて聞いたこともなければ参考書にも出てこない
もっとハードルを下げて国語の偏差値が25アップしました
なんていう具体的数字もあまり聞いたことがない
一時的に偏差値が大幅アップすることはあるかもしれないが、ずっと高い偏差値をキープする方法などないことが「そもそも勉強法を知らない」という理由に行きつくのだと思う
さて、本題に戻る
国語の勉強法を今から披露する
恐らく、「こんな方法思い浮かばなかった」「まさにコロンブスの卵」という感動を味わってもらえると思う
国語は独学が一番だ!
国語の勉強をするとき、どの勉強するのが適切か?
回答を先に言えばタイトルの通りとなる
正直、塾や予備校に通って国語を学んだところで意味がない
どうせ、教師の板書をきれいに色分けなどして書いて、回答を丸写しするだけだろう
それであれば通塾するだけお金の無駄だ
はっきり言って塾や予備校に通う価値もあまり見出せない科目なのだ
ただし、国語の中でも「古文」だけは通塾する価値がある
古文は実は学習法的には英語に近い
なぜなら英語の構文や熟語に相当するものがあるのだ
これは正直独学では身になるスピードが遅い
体系的にまとまって、省力的な方法で暗記するのがオススメだ
しかしそんな古文ですらもおおよその古文法と構文に相当する係り結びや省略法を身に着けたならば通塾は辞めた方がいい
時間とお金の無駄だ
国語の科学
「本を読め」を科学する
実は国語の点数の上げ方は2つあると思っている
後程述べるが、国語の答えは最終的には「一つしかない」
ただ、そこに至るまでのアプローチは2つあると思っている
一つは後程私が述べる「勉強法」なのであるが、もう一つは愚直に「本を読むこと」だと思っている
実は国語という学問は「何が問われ」、「何が回答になるか」が決まっている
でなければ、だれも作問などできない
また誰も回答を出すことができない
たまに出題文の作者(作家?)がテレビに出て、
「国語の問題になっている自分の文章を読んで答えを書いたが、全く違っていた。私は実際にこんなことを思って書いていない」
と言い出すことがあるのだが、これは当たり前の話なのだ
要は国語の問題の回答とは
「誰が読んでもそうだよなと言えるような最大公約数的な視点そのものが回答」
なのである
私はこれを【標準化】と呼ぶ
要は「作者の考えを聴いているわけではない」のである
国語を科学すれば「作者の考え」と「標準化された作問」と「解答者の解釈」が絡み合う
ただ本を読むことで、標準化を理解する人がそこそこいる
本から得る思考を自分なりにまとめることができる人に多い
ただ、それこそ数冊の読書では足りないだろう
恐らく100冊以上読んで、意識的にもしくは無意識でも気づきがないとこの視点には達しないと思う
少なくとも私には無理だった
国語の数学的勉強法
私は高校生のある時まで数学ができなかった
理由は「やらなかった」からだ
勉強しない者が点を取れるような科目などない
では、どう勉強すればいいのか?答えは簡単でやればいいのだ
ただ、どうやるか?全くわからなかった
結局中学校は卒業したが、高校は大した高校に入ることはできなかった
「やらない」、「やり方がわからない」の2つが堂々巡りし、嫌気がさしていたのだ
「勉強は楽しくない」のだ
なんせやり方がわからないものほど面白くないものはない
私は要領もよくない
平たく言えば賢くないのだ
ただプライドだけは人一倍高かった
だから、なんとか一発大逆転を狙いに行った
さてそんな時、高校1年生の春に予備校の春期講習に体験入学した
受けに行ったのは数学だ
同じ高校の学生などいない
同じ中学校出身の子もいない
完全アウェー
休憩時間もお茶を飲む以外は正直手持無沙汰だ
パラパラと教科書をめくってみたり、眠くもないに寝てみたり
そんな時、隣の女の子が友達と話をしている声が聞こえた
「○○ちゃん、また答え写してるの?」
「私答え写さないと覚えられないの」
「数学って答えを覚えるものなの?」
「私は答えを写しながら【解法】を覚えて、それで何も見ないで3回解くの。そうすると大体解けるようになったんだ」
「ふーん」
みたいな内容だった
会話の細かいところまで覚えているわけではないが、大事なところは
・回答の丸写し
・解法を覚える
・写した後は何回か何も見ないで解く
この3つだろう
私はこの方法を知らなかった
その後、塾講師を数年経験したが他の教師も含めて一回もそんなことを教えている人はいなかった
ちなみに最近YouTubeで東大生や京大生が勉強法を発信しているが、このルーティーンはそこそこメジャーらしい
調べてみるとこの女の子は府下でも超上位の公立高校の学生だった
私は早速数学についてこの方法を試してみた
学校で配られた教科書傍書は答えがテスト期にしか配られないので、予備校の先生に相談し黄色チャートを買った
まず例題を読んで、ノートに答えを丸写しして意味を理解
そして、そのまま何も見ずに3回解いた
3回解いて例題の下の典型題を解いた
解けなければまた例題を見る
この繰り返しだ
するとどうだろう
あっという間に数学の点数が上がり、校内模試で1位を取った(後から知ったが、1年生の校内模試など誰も真面目に受けていないし、そもそも偏差値の低い高校の模試である。誰もやる気はない)
私はその後も数学はこの勉強法を繰り返し行った
黄・青チャート式を卒業すると他の参考書も似たような方法で解いていった
回答を丸写し、そして何も見ずに解く
3~4時間後にもう一度
次は翌日にもう一度
そして数週間明けてもう一度・・・
というように解いていた
これを地道に続けていくとかなり難関の国公立大学の問題もあっさり解けていた
私は数学が得意教科になったことで、次の教科に動き出した
候補は理科・英語・国語
なんとなく理科は子供のころから嫌いだった
算数/数学よりも嫌いだった
何よりも高校の化学と生物の先生が本当に合わなかった
それで文系に進んだのだが、これは今でも人生最大級の過ちだったと思っている
学校の先生が嫌なら独学で勉強すればよかったのだ・・・
そこで、英語と国語は似たようなものだろうと「国語」にした
国語の解法
私は本当に大バカ者だと思う
なんせ「考える」ことは面倒で大嫌いなのである
しかし、この時は本当にバカでよかった、と思った
普通の人間は考えないであろう「数学の勉強法」をまんま疑いもせずに「国語に持ち込んだ」のだ
普通そんなやつはいないだろう
国語には例題がない
典型題もない
計算に類するものもない
普通に考えれば数学のように1対1で返ってくる答えはない
だが、大バカ者である高校生の私は疑いもせずに国語の問題を一通り読んで設問も読んで、答えを丸写ししていった
選択肢の場合は選択肢を丸写ししていくのだ
漢字から文学史までもすべて丸写しである
※2度と同じ文章は出ない
数学ならば似たような問題で数字を変えた問題は出るだろう
だが、国語は数学のように単純ではない
数字を変えただけのような問題はないのである※
そして答えをすぐに見て、正しい回答解説を読む
時間を置いてもう一度同じ問題を解く
その時は、解説に書いてあることをまんま覚えているかどうかを試す
3~4時間後
1日後
数週間後・・・
と数学と全く同じことをしていく
なんなら数学と違って1問で5~6個の小問が連なってる国語の方が丸写しに関してはラクだったまであった
さて、結果はどうかというと「国語も大幅に点数が上がった」
高校2年生の校内模試ではこれも1位だった
ただし、数学は2位に転落したが
さて、なぜ成績が上がったのか
これが今からお伝えする国語の勉強法の肝である
読解のまやかし
やることは非常にシンプルだけど・・・
国語の回答解説を読むとき、あなたは何を読むだろうか?
例えば数学の回答解説を読むときに何を見るかを考えると、どう考えて何を使って、どう文字を置いて・・・を見るだろう
わからなければ回答の必要箇所を見たり、他の問題の解答や解説を見たりして解いていくだろう
さて、国語でどれだけの人がこの行為をやっているのだろうか?
国語も同じように回答へ至るまでのプロセスが書いてあるし、参考にすべき指摘もある、さらにはなぜこの言葉を選択したのかの意図まで書いてある
しかし読む人は非常に少ない
とりわけ授業を見ればわかる
数学はどの先生も教科書を見ながら解説を行い、はたまた答えを片手に板書している
しかし、国語ではそんなシーンを一切見かけない
実は知られていないが、教師用指導書なるものが世の中には出版されており、大概の教科では教師がそれを見ながら授業プランを作成し、例題も出すように工夫する
しかし一説には国語の教師は教師用指導書を全く読んでいないと聞く
読んだところで「具体的な指導法」がわからないんだろうと推察する
要は何が言いたいのかと言えば、国語という科目では、懇切丁寧に書かれた解説を一度読んだだけで丁寧に追わない学生が非常に多いのだ
いや、もっと踏み込もう
数学と同じように解説や回答を数回読んで数回確認して解く学生もいるのだろうが、国語という科目では、読んで「理解した」気になっている学生が大半なのだ
数学では回答解説を読んで赤ペンで正答をなぞり、解説や自分なりに気づいたメモを赤ペンで書く子はよく見かけるが、そんなことを国語でする学生はまずいない
解答を見て正答をなぞり、はいおしまい、ではないだろうか
特にセンター試験では間違った選択肢の吟味だけを赤で書き込んでまるで当て物のように勉強?している学生ばかりだ
だいたいこういう学生はほとんど国語で点が取れない
さてではどうしたらいいのか?
国語の真理
まず真理を3つ書こう
一つ目
国語の問題において真の意味で「筆者の主張に共感すること」並びに「筆者の主張を理解すること」はできない
次に
国語の問題で回答者が対峙するのは「作者」ではない、「出題者」だ
ということ
最後に
国語の問題には「決まった部分に傍線部が引かれ」、その傍線部に対応する箇所は「すべて決まった場所」にある
最後によくある本文の主張問題も同じである
この3つは超重要なのだが、受験生は見失いがちである
いや受験生だけではない、大人も学校の先生も、である
なぜ見失うのか?
それは「国語とは読むことだ」というまやかしがあるからだろう
「話せばわかる」ではないが、「日本語だから読めばわかるだろう」と思いがちだし、そこに縋ってしまうのだろう
むしろ、以下のように思った方がいい
「国語は本文を読んではいけない」
このくらいの方がショック療法でよいのだ
あと、社会人にいるが「文章の理解力が低い」、と上司に言われ対策法が思い浮かばなくて「現代文」や「国語」を勉強してしまう
これも気を付けた方がいい
「国語の解法」と「文章の理解力」はイコールではない
国語や現代文は教科であり、答えがある
文章の理解力は恐らく答えはないし、現代文的回答を理解したとしてビジネスの場面で使用すれば大きな混乱が起こると思う
なにより「文章を理解しなくても国語は解けてしまう」のだ
国語の解答法
答えの在り処
さて具体的にどう勉強していくのか
⓪問題文のコピーを取る(もう1冊同じ参考書を買うのもあり)
①まずは問題文を読む
②題名と注があれば注を読み、設問と選択肢を読む
③答えを見て、まずはノートに丸写し
④解説を見て、何行目などの解説があれば設問に応じた色を使い分けて解説の対応箇所にマーキングしていく
⑤本文の主張や筆者の主張等も、まずは答えを丸写しする
なんとなく、キーワードっぽいものをイメージしたらその文を本文から見つけてしらみつぶしにマーキング
⑥設問ごとにマーキングをすると色の散布図ができるはずなので、その散布図を元に、問題がどのあたりから答えを拾ってきているかを確認する
⑦最後に「自分がもう一度解く時にどのようにして解くか」イメージしながらもう一度解説を読み、本文を一読する
この7つが日々やることである
非常に簡単ではないだろうか
勉強嫌いでもできそうな内容では?と思っている
なんせ私が勉強嫌いだったが、主体的にやることが少ないので勉強がとても捗るし、やってる感が非常に出る
別にこの7つができれば一日何問解いても構わない
ただし、この後同じ問題の演習を3~4回
①3~4時間後
②1日後
③数週間後
解く必要があるので、それができるならだが
私は、大体1日2~3問やっていた
100日あれば300問も解ける
しかも3回解くので、900回解くことになる
力がつくに決まっている
さて、大事なことに解説を入れていく
⓪問題のコピー
これは、勉強ではないので⓪とした
要は3~4回この後に演習をするので、演習用に用意しておくのだ
①②問題文・題名・注・設問を読む
何が問われているのか理解できなければ本文を読んでも全く意味がない
問題文と設問を先に読むのは当然だ
注に関して言うと、重要なヒントになっていることもあるので念のため
題名は絶対に抑えておいた方がいい
これは題名そのものが、何について書いているのかの重要なヒントになっていることも多く、またキーワード・キーセンテンスになっていることも多い
③別に初見で答えがすぐに出るのであれば答えの丸写しをしなくてもよい
だが、最初の内はほとんど無理だろう
であれば、自分の考えで答えを書くよりも答えを丸写しした方が癖がなくていい
ここもはっきり言うと
きちんとした道筋を辿った解答でない限り自分の答えは「不正解」だ
あなたはそんなにできないし、そもそもここでまともな回答が書けるのなら普段の国語の点数も非常に高いはずだ
最初に言った通り、「過信」は禁物だ
考える必要もない、すぐに答えを丸写しする
④解説のマーキング
これに関しては、色々やり方はあるのだろうが、私は面倒なことは嫌いなので、設問の答えの対応箇所に設問ごとに色を決めて本文のセンテンスや単語にマーキングしていた
例えば設問1⇒赤、設問2⇒緑、設問3⇒青、設問4⇒黄色、設問5オレンジ、設問6⇒茶色、設問7→紫・・・など
大体設問は7つまでが多いので、7色準備していた(10色セットが東急ハンズに売っている)
私は紫が好きなので、最後の問題の「筆者の主張」等の主張系の沢山マーキングするものは紫を持ってきていた
解説に具体的な本文の対応箇所や指示語の対応箇所、並びに文の抜き出し方や回答に当たっての考え方がしっかり記載されている
それを本文中で追いながらすべてにマーカーを付け、そして自分1人で回答を書くことができるまで丹念に追う
間違ってもわかったつもりになってはいけない
きちんと自分の中で腑に落ちるまで解説を読み込む
⑤本文の主張や筆者の主張については、回答をまんまノートに写す
そして、その回答文を吟味する
吟味とは具体的に、
・どのような言葉を用いているのか
・言葉の取捨について本文を追う
・盛り込んだ要素は何と何と何なのか順番を見る
・排除した文や省略した文、言い換えた言葉や文はどう言い換えたのか
これらを解説を読みながら丹念に追う
⑥さて④⑤を丹念に進めていくと、設問ごとにおおよその解答の場所と抜き出し位置(私はヒートマップと呼んでいた)がわかるはずだ
ここも既存の解説でよくある逆接語のあとや言い換え語の後、だけではないこともわかるはずだ
大事なことは常にそこだけにあるわけではない
本文を縦横無尽に飛ぶこともある
ただし、丹念に何問も追いながら解いていくと、ある一定のルールというか法則というものが思い浮かんでくる
これを私が解説してもいいのだが、ぜひ自分で数百問解いて身に着けてほしい
正直意外な発見がたくさんあるはずだし、え?こんなところに答えが潜んでいるのか?と思うはずである
そう思えるようになれば、国語が一歩俯瞰して見下ろせる
そして気づく
「国語の作問にはきちんとしたルールと論理があり、答えもまたしかりであること」と
「国語の勉強を全くしていない人が得点できない、予備校などが【難】と付ける問題がある理由」
を
⑦最後はリンスの部分である
自分が次に何も見ずに解く際に何が重要かを答えを覚えながら解説を読んでいく
大事なのは、何度も言うが覚えるようにして読んでいくこと
ここでも新たな発見があるはずだ
特に最後の設問まで行って1問目や2問目の問題を見るとまた違った視点で答えを導き出せることに気づく
数学的に言えば【別解】というやつだ
そして本文をザっとでいいので、一読する
そうするとマーカーが全くない部分は全く重要ではないので、さっさと読むし、マーカーが頻発していたり色の重ね塗りが発生している個所などは注意を凝らして読むようになる
これが本文を読む際の強弱の付け方の練習にもなる
①~⑦までが終われば、一旦この問題は忘れる
そして、3~4時間後に復習をする
復習の際は、選択肢問題も回答を記述するといい練習になる
とにかく当て物ではないので、答えについて解説丸暗記したものをしっかり解いていく
その時、覚えていなければまた解説を読み込む
そして、マーキングした本文をもう一度読み直す
何を間違えたのかの理解である
2回、3回と解き直して何度も間違える問題は自分の弱点である
重点的に解説を読み直して、復習をする
この繰り返しである
最初は覚束ないと思われる
私も復習の時にしっかり覚えたつもりでも0点を何回も取った
そのたびに何度も何度も繰り返し復習するのだ
要は、この作業を通して答えのある個所にきちんと辿り着く用に文章を精読し、設問に問われた内容に必要な文と語句を抜けなく入れたうえで回答するこの作業が冒頭の「論理的思考力」と言い換えてもいいと思う
ちなみに、国語の問題の難易度を上げようと思うと非常に簡単である
要は、本文中に答えをはっきりと見えないように配置し、答えに必要なキーワードやキーセンテンスを簡潔に説明できる語句に言い換えさせればいいのだ
こうすることで、勉強して来たのか、精読ができているか、必要十分な回答ができているかを確認することができる
さらには回答者の日本語の語彙力も測ることもできるし、言葉のチョイスの正確さも同時に見ることができる
ちなみにこれを忠実に実行している大学がある
それが「東大」である
東大は中途半端な勉強をしてきた者には国語で厳しい評価を下す
ちゃんと勉強していない、そして工夫をしてこなかった受験生には非常に厳しいのだ
演習量の十分さ
1つの問題で3~4回解くようにすると演習量は十分に足りてくる
なんせ何百題と問題を解くのである
ちなみに、問題を解く時に初見はさっさと答えを見た方がいいと言ったが、これに関しては2回目も3回目も同じである
何回も言うが国語は「あなたの考えは聞いていない」
解答がすべてである
数学の解答であなたはあなたの考え方を書くことなんてあるだろうか?ないだろう
国語も同じことだ
2回目でも3回目でも答えの覚えが不十分であれば考える前にさっさと答えと解説を見た方がいい
自分の考えに走ることが危険なのだ
非常に重要なことなので、繰り返し述べる
「誰もあなたの答えを聞いていない、そしてあなたの答えは須らく不正解だ」
答えがぱっと思い浮かばなければ、考えることは時間の無駄である
さっさと答えと解説を読んですぐに復習をすべきだ
時間は有限である
国語に何時間も費やすぐらいなら英語や数学や古典などにもっと時間を割いた方がいい
これらの科目は何時間も勉強する必要があるのだから
なお、国語の演習量については非常にうれしい点がある
この勉強法を何百回と続けて復習含めて1000問くらい解くと、解法はちょっとやそっとじゃ忘れない
さび付かないように合間合間でメンテナンスをしてやればしっかり切れ味を保ってくれる
勉強時間が大幅に省力化されるはずだ
武器になる上、勉強時間も削ることができる
一石二鳥だと思う
おまけ
この解法をそのまま使えるものが2つある
それが古文と英語の長文読解だ
特に英語の長文読解は、少々文章中の単語がわからなくても類推して読めるようになってくる
要は文章の論理展開に矛盾をきたすような回答は英語だろうが国語だろうが全く求められていない
英語は文章内容を読解することよりも、きちんと翻訳できるかどうかに重きが置かれるので、素直に使えるかどうかは微妙な部分もあるが、文脈と重要な個所を英語でも理解できるようになれば省略されまくった英文でも語句を補いながら文意に沿った翻訳ができるようになる
意外と応用は利くのだ
国語の作問
国語の作問方法を知っていますか?
前半にこういうことを書いた
ーーーーー
※2度と同じ文章は出ない
数学ならば似たような問題で数字を変えた問題は出るだろう
だが、国語は数学のように単純ではない
数字を変えただけのような問題はないのである※
ーーーーー
敢えて、※~※でくくっているので、いやでも目立つようにしたつもりだ
実は、この認識が大間違いなのである
正確に言えば
2度と全く同じ文章は出ることはないが、よく似た文章や同じ文章の前後の部分から出題されることは頻繁にあるのだ
さらに言うと、国語は数学よりも「単純」なのだ
なにせ出る問題は、「傍線部を説明せよ」「文意を説明せよ」「筆者(あるいは本文)の主張を説明せよ」の3パターンしかない
数学だと覚えるべき解法は数百パターンあるが、国語は設問が3種類くらい
漢字と文学史を入れても5パターンしかない
しかも、ご自身で勉強してもらうと気づくが、回答の在り処は数個しかない
(人により前後はするとは思うが、私の中では7つ)
実は国語の作問者、特に大学の国語の作問者は作問のプロではない
また、採点もマーク式ならいざ知らず、記述式の場合は、限られた時間内に一人で全部採点をすることも稀だろうから手分けして採点する
そうなると否が応でも全員が採点基準を理解し統一できるように回答を作成する
要は「答えは統一されている」のだ
答えが統一なら作問方法も統一しないと統制が取れないのは必然ではないだろうか
しかもたった一題だけを作るわけではない
何十人の先生が持ち寄って作成し、問題を吟味して何人もの先生が問題を解き、何十回の会議を経た上で問題は完成する
そこに統制された何かがなければ選びようがないし、回答が人によって違うならそもそも統一回答なんて出すことができない
ということは、国語の作問のルールがあり、ルールに則った解答が用意されている
料理教室のすごさ
あなたは料理教室を知っているだろうか
料理教室ではあたりまえだが料理を教えてくれる
ただ、普通のありきたりの料理はあまり教えないという
最近でこそ需要に応えるべく「肉じゃが」や「煮物」「味噌汁」などを教えているようだが、ひと昔前には凝った料理が多かった
さて、ではなぜ凝った料理を教えているのだろうか
それは凝った料理を教えないと、生徒もすごさを感じないし、ウケが悪いのだ
例えばあなたが料理教室に通ったという人の料理を食べる機会があったとして、「私、野菜炒め習ってきたの」と言われて、野菜炒めを出されたらどう思うだろうか
恐らく首をかしげるのではないだろうか
お金を払って料理教室まで行って、習った料理が「野菜炒め」
対価に釣り合わないような気がしないだろうか
(たとえで気を悪くされたならごめんなさい)
実は塾や予備校でも同じことが起きている
「国語」を教える時に「現代文語句」や「現代文テーマ」を使って教える塾が増えた
大手予備校の一流講師と呼ばれる人に多い
例えば、デカルトの「二元論」であったり、ソシュールの「記号学」であったり
こういったテーマは文章の中で出てくるワードではあるものの、これらを知らなくても実際は回答が可能である
知っていれば有利になるようなものも中にはあるが、正直大学教授陣からすれば中途半端な勉強をしてきた者を炙り出すために、あえてそのテーマで翻弄した問題を出してくることも多い
単純な切り口では解けないようにするのだ
先ほども述べたが、
「国語の問題は「決まった部分に傍線部が引かれ」、その傍線部に対応する箇所は「すべて決まった場所」にある」
要は本文の中以外にはない
こういったテーマを知っていれば理解は捗るかもしれないという有利さはあるが、知らなくても大差はつかない
ただ、問題の中には、こういった哲学チックな文章であったり、そのものであったりするものがあり、スパッと嵌るものがあるのだ
あえて塾や予備校では教科書にそういった文章を取り上げて回答をスマートに見せる
するとウケがいいのだ
ただ正直私は、塾や予備校はそれでいいのではないか、と思っている
お金を稼ぐ以上はウケや見栄えは重要であるし、受かる受験生は国語の一教科くらい出来が散々でも受かってくる
合格実績はいくらでも見せようがあるし、分母さえ見せなければなんとなくでもすごく見える
であるならば、実際のところスパッとした回答を見せてすごいと思ってくれてお客さんである盲目な受講生が増えた方がお金がいっぱい入ってくる
それはそれで市場原理に立脚していると私は思う
まとめ
国語の勉強法について述べてきた
ここまで述べたものは、誰でもできると思っている
考えることが非常に少ない
是非、しっかり「国語」を勉強してもらって得意教科にしていってほしい
個人的にはコスパ最高の教科だと思っている
特に理系の学生は理系だからこそ国語を勉強して欲しい
あなたが思っているより国語は科学であり、理系に近い教科だと思う
パズル的な要素を求めているならこれ以上の科目はないと思う
この勉強法を試してみて頂ければ、あなたの眼前に素晴らしい景色が広がるとお約束する
★勉強法を試すにあたっての参考図書
この勉強法を利用するにあたって、最も良い参考書は間違いなく「センター試験/共通テスト」である
評論と小説を30年程度、本試験と追(再)試験を合わせると60問*2で120題もある
選択肢の吟味の練習にもなる
実は、選択肢の問題をしっかり暗記できるようになると、間違いをどこにどう隠してくるかもよくわかってくる
そして、国公立対策には、センター/共通テストの問いに関して、自分で回答を自作することで十分対策になる
本当は、共通テストくらいの難易度で、解説が本文の3倍くらいあるような問題集があれば良くて、昔は駿台がそういった問題集を出していたのだが、今もあるのかな。
続いては、私自身は「京都大学の国語」の過去問をオススメしたいのだが、難易度が高すぎると思われて最初から高い壁のように思われても困るので、解説に「何行目の~」というのが頻繁に書いてあって詳しそうなら何でもよい
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