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名誉毀損罪における真実性の証明(230条の2)に失敗した場合の処理。

名誉毀損罪(刑法230条)についての免責要件を定める230条の2について、それを違法性阻却事由と解する説が通説的見解だということは以前に書きました。

では、230条の2において、真実性の証明に失敗した場合、常に処罰されることになるのでしょうか。もしくは、何らかの形で救済がなされる可能性があるのでしょうか。

この点についても、先程貼り付けました過去記事に結論を載せてありますが、今回は結論に至る筋道について、通説的見解の流れを追ってみます。

先ず、価値判断的な観点から考えてみます。

真実性の証明に失敗した場合、常に処罰されるとしたら、それは表現の自由を軽視する姿勢に繋がります。230条の2の不処罰の根拠について処罰阻却事由説だとこの結論に帰着します。

他方、通説的見解である違法性阻却事由説に立つ場合、違法性阻却事由の錯誤を事実の錯誤と解するならば、真実性について錯誤があった場合、責任故意が阻却されることになります。
しかし、そのような錯誤に陥った場合、それが軽信からくる錯誤であろうと責任故意を阻却することになってしまうのは妥当でないと思われます。

したがって、その中間に位置するような考え方、すなわち「相当といえるような資料・根拠に基づいた上での事実の摘示ならば、真実性を証明できなくとも、不可罰とする」ということにすれば、その価値判断が恐らくもっとも妥当であるといえると思います。問題はその理由づけです。

ここで230条の2の第1項の文言を見てみます。

そこには「真実であることの証明があったときには、これを罰しない」と規定されています。

見れば分かる通り、この文言は訴訟法的な書き方がなされています。

しかし、違法性阻却事由は実体法(刑法)における要件です。
したがって、この文言を実体法的に読み直すと、「証明可能な程度の真実性」が違法性阻却事由だということになります。

どういうことかというと、裁判の時点において、230条の2における真実性が証明されたということは、行為者がその事実を摘示した時点においては、当該事実の摘示は「証明可能な程度に真実であった」ということになります。つまり、その後、裁判になった場合においても、真実性を証明できると考えられるほどの確実な資料・根拠に基づいて、その事実を摘示したということになるのです。まさにそのことが違法性阻却事由となると考えるのです。

したがって、裁判において真実性の証明に失敗した場合、それは事実を摘示した時点において「証明可能な程度に真実であった」とはいえないということになるので、違法性は阻却されませんが、行為者が、行為の時点で、裁判になったら証明可能と考えられる程度の根拠・資料に基づいて、摘示した事実を真実と誤信していた場合、その限りにおいて、違法性阻却事由を基礎づける事実の錯誤として、責任故意が阻却されると考えます。

判例は以下のように述べています。

「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である」(最大判昭44.6.25)

ということで、通説的な見解と判例の言い回しを見てきました。

この論点はまだまだ考えないといけないことが多いので、また改めて書いてみたいと思います。

それでは今回はこの辺で。



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