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白鳳伽藍再興に尽力、薬師寺長老の安田暎胤さん 玄奘三蔵を顕彰、「心の復興」を唱える宗教者

■写経で白鳳の七堂伽藍再興に尽力

 法相宗大本山薬師寺で唯一、創建当時から1300年を超す時を経て現存している国宝の東塔は昨春、全面的な解体大修理事業を終えた。平成21年7月に着手し、令和2年4月に落慶法要を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大により延期されたまま、今年3月から一般公開されている。これより先に、薬師寺は金堂に続き、西塔、講堂、食堂(じきどう)など次々と再興し、創建時の白鳳伽藍が蘇った。この陣頭指揮に当たったのが、亡き高田好胤師と安田暎胤さんで、安田さんは講堂の落慶法要の大導師を勤めた。現在は長老となり、コロナの終息と、人々の「心の復興」を祈っている。


 安田さんは1938年に岐阜市のお寺に生まれた。玄奘三蔵は13歳の時に仏門に入ったが、安田さんも12歳(数え13歳)で出家し薬師寺に入山した。橋本凝胤管主の薫陶を受けながら、龍谷大学の仏教学科を卒業し、同大学院修士課程へ進学した。高田好胤管主のもと、67年に29歳で執事長に就任した。以後、31年間にわたって執事長の要職を全うした。

01 安田暎胤師

1990年代の安田暎胤師


 安田執事長の功績は何といっても、まず般若心経の百万巻写経による金堂復興勧進の発案だ。「ただ資金を集めるだけでなく、人々の心の中に仏心を培ってこそ意義がある」と主張した。「理想論過ぎて無謀」との批判もあったが、好胤師とともに写経の大勧進を断行し、伽藍復興を成し遂げたのだった。

02 薬師寺全景

白鳳伽藍が蘇った法相宗大本山薬師寺


 安田さんは、玄奘三蔵の分骨を拝受することにも力を注いだ。薬師寺は法相宗の大本山なのだが、宗祖の慈恩大師は玄奘三蔵の弟子にあたる。その玄奘の遺骨が、1942年に南京郊外で日本軍部隊によって発見された。この遺骨の一部が日本に引き渡され、転々とした後、埼玉県岩槻市の慈恩寺に納められた。安田さんは71年、慈恩寺に参拝し分骨願いを打診したのだ。これがきっかけになり、全日本仏教会の許可を得た。そしてこのご頂骨を納めるため、これも写経によって、玄奘三蔵院を建立し、その中央の八角形のお堂の地下に安置したのだった。

追加

玄奘三蔵院絵殿に平山郁夫画伯の《大唐西域壁画》奉納の日の安田さん
(2000年、中央が平山美知子夫人・右端が筆者)

10 終章・安田暎胤さん

薬師寺玄奘三蔵院前の安田さん(2001年)


 さらに2003年から6年間、薬師寺管主と法相宗管長を務める一方、日中韓国際仏教交流協議会の副理事長を引き受け、世界宗教者平和会議(本部・ニューヨーク)の日本支部で非武装・和解委員会の委員長としても活躍。「宗教者は今こそ、政治家とは違った立場で平和活動に取り組む必要がある」と訴えた。

晋山式

安田さんが薬師寺管主になったお披露目の晋山式(2003年)


 私が安田さんと面識を得たのは1996年4月のこと。朝日新聞社に在籍時、創刊120周年記念プロジェクト「三蔵法師の道」を進めるため、玄奘三蔵ゆかりの薬師寺に協力を要請した。当時、好胤管主は朝日嫌いだったが、安田執事長は、テーマが玄奘三蔵だっただけに、協力していただけることになった。


 こうして97年2月、安田さん夫妻や、共催の(財)なら・シルクロード博記念国際交流財団事業課長らとともに予備調査のため、私は初めてシルクロードに足を踏み入れた。これをきっかけにシルクロードが私のライフワークとなった。


 安田さんは朝4時に起き、NHKラジオの「心の時代」を聞きながら、真向法(まっこうほう)やヨガの柔軟体操の後、金堂はじめ寺内の諸堂を巡拝するのが日課だった。旅先の一日も、朝は体操と、般若心経などの読経から始まる。食事の前には感謝の言葉を述べ、仏跡で経を唱える安田さんとの旅の日々、平穏無事であることのありがたさを思った。中央アジアのタシケントでは日本人墓地を回って線香を上げ、墓守に施しをする光景に、心を寄せた。

■「人生120歳」や「5つの心」を説く

 出会いから4半世紀、安田ご夫妻とは公私にわたるお付き合いとなった。私にとって「玄奘三蔵が引き合わせてくれたご縁」のようにさえ思える。数多くの人生訓を学ばせていただいた上、夫妻それぞれの幅広い人脈がご縁で、幾人ものすばらしい出会いの機会を与えて下さった。


 とりわけ玄奘がたどったシルクロードの旅に5度も同行させていただいた。「玄奘の旅を旅しよう」と1997年から4年がかりで、中国を皮切りに中央アジア、ガンダーラ、インドと、一般から募った100人規模のツアーを実施された。

03 大雁塔

中国・西安の大慈恩寺の大雁塔の前で増勤住職と安田さん
(1997年、シルクロード予備調査)

04 サマルカンド

ウズベキスタン・サマルカンドで安田さん夫妻。
左から2人目が筆者(1997年、シルクロード予備調査)

06 中央アジア

中央アジアの旅で安田さんに同行(1998年) 

07 キルギスu

キルギスの宿でくつろぐ安田さん。
その左が現薬師寺管主の加藤朝胤さん(1998年)


 その旅に合わせ、私の勧めで安田さんは全4冊の『玄奘三蔵のシルクロード』(1998~2002年、東方出版)を著した。

05 全4冊

『玄奘三蔵のシルクロード』全4冊


 4冊分のページ数は約750ページにもなる。安田さんが最後のインド編を書き終えたのは2001年9月末。その執筆が追い込みの頃、ニューヨークで同時多発テロ事件が起こった。

 安田さんはインド編のあとがきに、「玄奘三蔵の歩まれた道は、その時代も戦乱により国の興亡の激しい時代でした。人類は平和を願いつつ何故戦争を繰り返すのでしょうか。それは国家であれ、民族であれ、個人であれ、皆それぞれの自己中心的なエゴに原因があります。それから生ずる貧富の不均衡や人種の差別、社会的抑圧などから争いへと発展していく」と書き込んでいる。

再追加

南インドの聖地巡礼で安田さん夫妻に同行(2000年春)

08 インド

インドの仏跡の前で説法する安田さん(2000年秋)


 私の紹介でリーガロイヤルホテルの文化講演や、朝日カルチャーセンターの大阪や岡山でも講演をしていただいた。高齢社会を見越して心の持ち方と健康について、適度な運動と腹八分の食事、喜びと感謝の気持ちが大切と強調する。「還暦を2回繰り返し人生120歳」が持論で、こんな話をされた。

人生は25歳までが春。なんでも吸収できる。25歳から65歳までが大きく繁茂する夏の時期。一家の大黒柱として、子孫を育て、残す時期。65歳から90歳までが秋。人生での実りのとき。ここで収穫を得るために春や夏の手入れがある。文化人や経済人でも70歳代でいい仕事をしている人が多い。90歳を過ぎたら冬。「今あるのは世間様や子、孫、天地自然のおかげ。おおきに、おおきに」と、感謝だけしていればいい。年齢をとることは、それなりに経験を重ねることですばらしい。

再々対加①

平山郁夫画業50年展記念レセプションで安田さんを中央に
左が中西進さん・右が筆者(1998年)

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筆者の出版祝賀会で替え歌を披露する安田さん(2000年)

再々対加②

懇談後に記念撮影(2003年)


 思い出は尽きないが、私の定年後、東京の朝日カルチャーセンターと京王プラザホテル連携の公開講座も快諾され、2007年1月に対談させていただいたこともあった。薬師寺再興や宗教の役割、世界平和など話題は多岐にわたったが、その中で安田さんは「5つの心を呼び覚ませ」と次のように話されたことが印象深い。

11 対談

朝日カルチャーセンターと京王プラザホテル連携の公開講座での対談
(2007年)


 「5つの心」とは、感謝する心、思いやりの心、敬う心、赦す心、詫びる心、だと言う。身近な例で、安田さんは「ボランティア活動で世のため、人のために役立つ。そういう心根を努めて育てなければなりません。他人様を育てる、他人様のために働く、他人様を賛えることが『無我』なんですね。『仏法は無我にて候』ということでございます。それが成熟した『共生』社会につながると確信しております」と説く。


12 掛軸


 私の家の床の間に、年初から「無事是吉祥」と大書された掛軸を掲げている。安田さんの筆による。昨年末に久々薬師寺に安田さんを訪ねた。安田さんは書の達人で、奈良や名古屋の百貨店で近年「墨蹟展」も催していた。その目録から選び寄贈された。コロナ禍を憂い、自粛を余儀なくされる日々、「何事も無いのはことがめでたい」と解されるが本来の意味は深い。「無事」の「無」も「無我」に通じるのではないだろうか。この掛軸に目をやる度に、虚心坦懐にして心が癒される。


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