イスラム教の犠牲祭で、多くの羊が生け贄になるのを目の当たりにした
イスラム教の犠牲祭は、イード・アルアドハー(عيد الأضحى)と呼ばれ、今年は6月28日から4日間で行われている。
ヨルダンでは、前日の27日から5日間の祝日だ。
ラマダン明けのイード・アルフィトル(عيد الفطر)と同じように、今回の犠牲祭でも、人々は新しい衣類を身につけ、親族を訪問し、子どもは大人からお小遣いをもらうなど、日本でいうお正月のような雰囲気が少し感じられる。
そんな日本と大きく違うのは、犠牲祭では、たくさんの羊が生け贄となること。
これは、イスラム教の預言者の一人イブラヒムが、アッラーの言うとおりに息子を捧げようとしたところ、彼の信仰の深さに、アッラーが息子の代わりに羊を差し出させたという、クルアーンに書かれている話に基づいている。
そんな犠牲祭のメインイベントである羊の屠殺を目の当たりにしたので、今回はそのことについて書いていく。
犠牲祭前日
私の住む街、マダバ郊外には、特設の羊のマーケットが出現。
多くの人々が車でこのマーケットを訪れ、購入したい羊を選んでいた。
選ばれた羊は、赤いスプレーで購入者のアルファベットが書かれていた。
そして、予約済みスペースに移動させられていた。
購入者は、翌日の犠牲祭の早朝にまたここに戻ってきて、その時に屠殺してもらうそう。
「明日は朝の礼拝が終わり次第、6時半くらいから屠殺をやるから、興味があるならその時間においで」
と、羊飼いのお兄さんに言われたので、そうすることに。
犠牲祭当日
朝6時に家を出ると、集団礼拝のために大きな広場へと歩いて向かう男性をたくさん見かけた。
どの人も、手にはお祈りのマットを掲げていた。
その流れに逆らうように、羊マーケットの方向へ歩いた。
6時半ごろ、昨日訪れた羊マーケットに着いたが、礼拝後に屠殺を開始するとのことで、30分くらい待った。
そして、7時過ぎ。
礼拝を終えたのか、続々と人が羊マーケットにやってくるのに合わせて、羊の屠殺が始まった。
数頭の羊が1箇所に集められ、首にナイフを入れられて、裂かれた。
地面には、血を貯めるための穴が掘られていて、首から流れ出た血はそこに溜まっていった。
全身の血が首から全て抜け切った後、皮を剥いで、肉を切っていった。
首にナイフを入れる人、皮を剥ぐ人、羊を吊るして肉を切る人、肉を細かく切っていく人、、、と役割が分かれた流れ作業が行われていた。
今回、3頭の羊を購入したというおじいちゃんが、孫を連れて来ていた。
1頭は自分の家族、残り2頭は息子家族の分だと言う。
小学生の孫たち3人は、おじいちゃんの横で、怯えることなく羊の屠殺を間近で見ていた。
おじいちゃんは、どういう手順で屠殺が行われているのか、孫に説明をしていた。
気づくと、周りに普段から街中で物乞いをしている女性たちの姿もあった。
羊を購入していく人に声をかけ、お肉を分けてもらえないのか頼んでいる姿があったが、実際にもらえている様子は見られなかった。
お金に余裕がある人は、貧しい人に肉を分け与える風習があると思っていたので、少し意外だと感じた出来事だった。
羊の屠殺前には、「何歳?」「結婚してんの?」としつこく聞いてきた陽気なおっちゃんも、羊を屠殺している時の表情は、職人そのものだった。
服が羊の血で赤く染まっているのも、気にしている様子はない。
中学生くらいの男の子も、大人に混ざって手伝っていた。
明らかに私が感じる思いとは違う次元で屠殺が行われていて、誰もが真剣な表情で作業を行っている姿に、ある種の迫力を感じた。
さっきまで生きていた羊がお肉になっていく過程を、当たり前のものとして受け入れている子どもたちの姿も印象的だった。
生き物の命をもらって、生かされていること。
スーパーでパックに詰められた、毛も血もついていない綺麗なお肉も、動物たちの命が犠牲となっていることは、紛れもない事実。
その事実を、本当の意味でちゃんと理解した上でお肉を食べることは、とても大切なことだと思った。
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