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イスラムの価値観の押し付けが息苦しかった

ヨルダンでの暮らしを窮屈に感じるのは、イスラムの価値観を現地の人から押し付けられた時である。

異国で生活する中で、その国の宗教や文化をリスペクトすることは大切だと思う。
ヨルダンで生活するのであれば、外国人であっても、むやみに肌を露出しないこととか、人前でお酒を飲まないことであるとか。他にもたくさんあるけど。

そういう部分には気をつけながら生活していたつもりだったが、ある日、思わぬところで現地の人に私の行動を指摘されることとなった。



私の活動しているパレスチナ難民キャンプは、比較的小さい難民キャンプなので、何度か見かけるうちに、軽く挨拶をするような関係になることも多い。

特に私は外国人だから、現地の人にとっては珍しいし、印象に残りやすい。
こちらは覚えてなくても、向こうが「あ、いつも見かける中国?韓国人だ」と思って、近づいてきてくれることも多い。(特に子どもたち)

そうやって日々、少しずつ知り合いが増えていくし、挨拶をしたり、軽く会話をしたりすることで、自分の存在が少しずつ受け入れられていくような感覚があった。

一方で、誰彼構わず挨拶をしているわけではなかった。
相手が男性集団だったり、相手の雰囲気だったり、相手が私を見る目つきなどが怪しかったり危険に感じるような直感って結構当たるから、それによっては、相手が挨拶してきても、無視して流すこともあった。

基本、難民キャンプの中は私一人で歩いていることが多い。

でも、その日はたまたまキャンプ内の同僚の家に遊びにいくために、活動先の女性の同僚たち数人と一緒にキャンプの中を歩いていた。



同僚と一緒に活動先の近くの売店の前を通りかかった時、その売店で働くおじちゃんとその仲間たちが道端で日向ぼっこをしていた。

活動先の近所の人だから、私は普段から彼らに挨拶をしていた。なので、その時もいつも通りおじちゃんたちに挨拶をした。

そうすると、横で一緒に歩いていた同僚に、「男性に挨拶をしたらダメ」と厳しく注意された。
その理由を聞くと、「عيب だから」と言われた。
عيب の意味を調べてみると、「欠陥」「恥」などと言う意味であった。

イスラム教の戒律の中には、家族以外の男女が触れ合うことを禁じているので、男女が握手をしなかったり、バスの中で男女が隣合って座らなかったりする文化がこの国には存在している。

でも、その戒律の解釈の仕方は、人によって異なっていることが多くて、首都では比較的寛容な人が多く、地方都市や、このような難民キャンプでは、厳しく守っている人の割合が多い。

私は、同僚である彼女にそう指摘された時、彼女の言い方の強さも相まって、なんだか自分が間違ったことをしているような気分になって、モヤモヤした。

その国の宗教や文化を尊重しながら暮らしていたつもりだったけど、異性に挨拶をすることもダメとは言われると思っていなかった。



でも、これは彼女の考え方であって、イスラム教徒全てがこのような考え方を持っているわけではないし、ましてやその価値観を人に押し付ける人ばかりではない。

押し付けると言っても、指摘をしてきた彼女も、「良かれと思って」私にそう伝えてきたんだろうな、と思う。

日本人としてこれまで生きてきた私にとって、こちらでの暮らしは「ありえない」と感じる部分に遭遇することもある。

「自分にとっての当たり前が人にとっての当たり前ではない」

このことを分かっているつもりでも、私も無意識のうちに、自分が当たり前だと思っている価値観を人に押し付けてしまっているかもしれない。

特に、今は難民キャンプの中で活動をする日々の中で、「もっとこうした方が良いのに」と思うことがたくさんある。
だからこそ、それをどのように伝えるのか、そもそもそれを伝えることが彼女たちにとって良いことなのか、自分の価値観の押し付けになってしまってはいけないと感じている。

そして、自分の価値観を伝える時には、それ以上に相手の思いをよく聞く必要があるなぁと感じている。






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