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イスラム教のサダカ(喜捨)とは何か

最近は、物乞いに関しての記事を書くことが続いているが、今回の記事もそれに少し近いものになる。

私は、パレスチナ難民キャンプの中にある「女性プログラムセンター」という施設で活動しており、日頃からキャンプ内に住む女性がよくセンターにやってくる。

少し前には、3ヶ月に一度の配給が行われていた。
センターに訪れた女性は、センターで働くボランティアスタッフに、家族の名前などが書かれたカードを手渡していた。
それを受け取ったスタッフは、代わりに金額が書かれた紙を渡していた。
どうやらその紙をキャンプ内の商店に持っていけば、その金額分の食料品をもらうことができるらしい。

その金額は3種類あり、家族の規模によって、金額が決まっていた。
平均して5000円分ほどの食料品を買える値段であった。
この支援は台湾のNGOによって行われていて、ここの難民キャンプでも金銭面において継続的な支援が行われていることが分かった。

一方で、支援が届かない人たちの存在もあるように感じる。

ある日、いつも通りセンターで活動していると、少し身なりの貧しい女性がやってきた。
寒い中なのに、裸足にサンダルを履いている。
センター長の女性と話している様子を見ていると、知り合いである様子だった。

10分ほど雑談を交わした後、センター長が私に対して「1JD(約160円)持っている?」と聞いてきた。
私が不思議そうな顔をしていたのか、彼女が続けて「これはサダカよ」と教えてくれた。

何となくの知識としてサダカの存在は知っていた私は、「あぁ、喜捨のことか」と分かり、お金を取り出してその女性に手渡した。
ボランティアスタッフが私に向けて「ありがとう」と言ってくれた。

センター長はもちろん、他のボランティアスタッフも、彼女にお金を渡していた。

サダカとは一体何なのか。

義務の喜捨であるザカートとは区別し、サダカは自発的な喜捨のことを指す。
イスラム教では、喜捨をするほど天国に近づくことできると言われているので、自ら進んで喜捨をする人たちが多いように思う。

女性が帰った後、ボランティアスタッフに「彼女はこの難民キャンプに住んでいるのか」と聞いてみた。

難民キャンプの外で暮らしているが、夫も亡くなってしまい、子どもも働き口がなく、彼女の家族には収入が一切ないことを教えてくれた。

たまにこうやってセンターに来るから、その時にはお金を渡すようにしている、とのことであった。

この話を聞いていると、ヨルダンの人口において若年層の割合が高いこと、コロナ禍で失業している人が増えていること、一夫多妻制のこと、そしてイスラム教の価値観など、いろいろな要素が全て繋がっているように感じられた。

物乞いや貧しい人たちに、当たり前のように手を差し伸べるヨルダン人の姿勢は、もっと見習おうと思った。

また、イスラム教の教えや精神は多岐に渡っており、未知な部分がたくさんあるので、改めてクルアーンに書かれている内容が理解できるようになりたいなぁと思わされた。


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