ヒジャブを被りたくない娘 VS ヒジャブを被らせたい母
ヒジャブとは、イスラム教徒の女性(以下、ムスリマ)が、髪の毛を隠すためにつけるスカーフのこと。
以前は、ムスリマ全員がヒジャブを被っているものだと思っていたが、ヨルダンでの生活が長くなっていくにつれ、ムスリマでも、本人の意思で被っていない人もいることが分かった。
「なんでヒジャブ被らへんの?」
30歳のミラール(仮名)という友だち。
彼女はアンマンに住むムスリマだが、外出してもヒジャブは被っておらず、赤髪のカーリーヘアが見えた状態で出歩いている。
私「ミラールはムスリマやけどヒジャブつけへんの?」
ミラール「私ヒジャブ好きちゃうねん。クルアーン(コーラン)にも、女性の美しい部分は見せないようにすることって書いてあるだけで、厳密にはヒジャブを着けなさいとは書いてへんねん。」
ミラールの話によると、その「美しい部分」をどう個人が解釈するのかによるということだ。
髪の毛を美しい部分だと考える人は、髪の毛もヒジャブで隠している。
なお、ヒジャブを被るか否かは、個人の解釈だけではなく、地域の特性も関係している。
外国人も多いような首都アンマンでは、ヒジャブを被らないムスリマも多いが、地方に行くほど保守的な考え方が強く、難民キャンプに至ってはほぼ全員のムスリマがヒジャブを被っている。
さらに、難民キャンプでは、目以外を全て黒い布で覆うニカーブを被る人も多い。
ヒジャブを被りたくない娘 VS ヒジャブを被らせたい母
私が住む街マダバでよくお世話になっているヨルダン人家族。
2人の息子、4人の娘がいるイスラム教徒の一家であるが、16歳の四女だけはヒジャブを被っていない。
三女までは全員ヒジャブを被っているのに、なぜ四女の彼女だけが被っていないのか、ある日聞いてみた。
四女「ヒジャブあんまり好きちゃうねん。結婚したら被るつもり。」
四女の母「私は被ってほしいと思ってんけどな〜。長女次女三女は、12歳くらいの時に私が何も言わずとも、自分から被るようになってん。」
私「四女ちゃんの年齢で、ヒジャブ被ってない子ってどれくらいいるん?」
四女「私のクラス女子42人いるけど、被ってないのは3人。少数派やわ(笑)」
四女の母「とかいう私も、ヒジャブつけるの遅かったんやけどな(笑)多分ヒジャブ被り出したのは、17歳くらいの時やったし、それまではショーパン(ショートパンツ)履いたりしてたわ(笑)」
四女「クラスのヒジャブ被っている子の中には、学校出たらヒジャブ外す子もおるねん(笑)」
こんな和やかな会話が繰り広げられた。
娘にヒジャブを被ってほしいと思っているお母さん自身、なかなかヒジャブを被らなかった時代があったことを話していたのは、少し意外で微笑ましかった。
番外編「なんでニカーブを着けてんの?」
難民キャンプで着用している人が多いニカーブ。
身体全体が全て黒色の布で覆われ、外からは目の部分しか見えていない。
キャンプ内でニカーブの女性に挨拶されることもあるが、目元と声だけで誰かを判断しなきゃいけないので、「この人誰やっけ」となりやすい(笑)
そんなニカーブを着用する女性に「なんでヒジャブじゃなくて、顔まで隠すニカーブを着けてんの?」と聞いてみた。
女性「私が美しいからよ。夫が私の美しい顔を他の人に見せるなって言うねん。」
と、少し照れながら嬉しそうに答えていた。
日本人的な感覚で言うと、例えそうであったとしても、自分で自分のことを「美しい」なんて言うのに少しびっくり、、、
だけど、確かに美人さん。
唯一見えている目元だけでも、長いまつげが印象的で、美人であるのが予想できる。
ニカーブを被っている理由は、こういう理由であることが多い(マハ調べ)
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正直、ヨルダンに住むようになるまでは、ムスリマがヒジャブを被ることについて、女性は「抑圧されている」という印象を持っていた。
しかし、ヨルダンにおいては、ヒジャブを被るかどうかは、個人の裁量に任されている部分が多い。
ヒジャブをファッションの一部としてオシャレに被る女性も多く見かけるので、もし私がムスリムだったら、何色のどんな柄のヒジャブを身につけようかな、なんてふと考える日もある。