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断食は2日で諦めた。

ラマダンが始まって今日で6日目。
異文化を体験してみたかった私にとっては、ラマダンが始まる前から断食にチャレンジしたいと思っていたけど、結果的には2日目で諦めることになった。

ラマダン中の断食というと、日の出前のアザーンから日の入りのアザーンまでの約15時間、飲食をしないということ。水も飲めない。

断食を諦めたのにはいくつかの理由があるので、今日はそれについて書いていきたいと思う。


「断食してる?」という質問

ラマダンが始まってから、人と会うたびにこの質問をされる。

きっと聞いている人にとっては、「昨日何食べた?」っていうくらいの気軽さで聞いてきているんだと思うけど、私は毎回この質問にどれほど正直に答えたら良いのかを迷いながら返事をしている。

ラマダンが始まる前から「断食にチャレンジしたい」と周りに公言していた自分のせいもある。

でも、この質問に対して「少し水飲んじゃった」とか、「7時に朝ごはんを食べた(本来なら朝4時くらいに食べないといけない)」と正直に答えた私に対して、「ハラーーーーーーム!!」と度々言われることにもやっとした。
ちなみにハラームとは、イスラム教で禁じられている行いを指す。

そして、この会話の内容はあっという間に広がり、「マハ、水飲んだんやって?」と違う人から聞かれたりすることもなんか嫌だった。
聞いている方は全然悪気ないのは分かっているけど…

こういう反応は地域によってかなり違っている。

難民キャンプでは信仰心が強い人が多いから、このように少し厳しめのリスポンスが返ってくることが多かった。

同じ会話を、私の住むマダバという街でした時は、これとは違う反応だった。

近所のおっちゃんとの会話

お「マハ、断食してんの?」
私「、、、。うん、してる」
お「ほんまに?ヤミーン?シュマール?」
私「何それ?」
お「完璧に断食をしている人はヤミーン(右)で、ちょっと水飲んだり食べたりする人はシュマール(左)って言うねん」
私「そうなんや」
お「で、マハはヤミーン?シュマール?」
私「、、、シュマール(笑)今日ちょっと水飲んだわ」
お「あっはっは。俺もシュマール。ちょっとコーヒー飲んでん」

こんな楽しい会話になった(笑)

他のおっちゃんは、あんまりたくさん喋ると喉が乾くからと言って、口を鳥のようにすぼめて、囁くくらいの小さい声で話してきたのも面白かった。

難民キャンプで「ハラーム」と強く言われてからモヤモヤしていた私にとっては、マダバでのこういう会話は癒しだった。

イスラム教の教えを忠実に守ることは素晴らしいことだと思う。

でも、異教徒である私にとっては、こういう人間らしさみたいな部分が垣間見れると「同じ人間なんやな」ってホッとする部分もあったりする。

近所の人との会話を終えて家に帰ると、クリスチャンである大家さん家族が「マクルーベ作ったから食べて〜」と差し入れしてくれた。
何かが吹っ切れた私は、有り難くいただいた。


昼間の生産性が下がる

約12時間の断食にチャレンジした初日からすでに、精神的に辛い部分があった。

毎日子ども相手に活動しているので、大きい声を出すことも多いし、必然的に喉が乾いてしまう。気温も30度近くあった。

「水を飲んではいけない」と思えば思うほど、常に水のことを考えていた。(この現象、なんかの心理学であったな、、、)

慣れないことをしているせいか、身体はなんとなくだるい感じがするし、週に2、3回通っているジムに行くのにも、水が飲めないと思うと、自分の生活のペースが途端に全て崩されるような感覚になった。

断食をすることによって、日常に支障が出てしまうなら、断食はしない方がいいと自分の中で強く感じた。

ちなみに、ラマダン中の現地の人たちの日中の活動の生産性って落ちるって聞いていたのに、みんな断食しているのにも関わらず、いつも通りの日常を送っている人が多くて、すごいな〜と思う。

もっと店も閉まるのかと思いきや、レストラン以外の店は普通に営業している。


断食をする理由が分からなかった

断食にチャレンジしようと思ったきっかけは、未知のものを経験してみたい好奇心と、できるだけ現地の人の文化に溶け込みたい、という理由があったから。

ラマダン初日の約12時間の断食で、断食の辛さは理解した。

そして、現地の人に溶け込みたいと考えは、「ハラーム」と言われたことで、「断食をすることで溶け込もうとするのは辞めよう」と思うきっかけになった。

というのも、私がコーランを暗記をしたり、断食にチャレンジしたりするのは、現地の人との心の距離感を縮めたかったから。
少しでも彼らと同じことをすることによって、私を受け入れてもらえる感覚がこれまでにはあった。

でも、彼らからすると、私のこれまでの行動って言うのは、「ムスリムになりたいと思っているからやっている」と捉えられているんだろうなって思った。

そう考えた時に、私が「水飲んじゃった」と言った時の、彼らの厳しいリスポンスもなんか理解できる気がする。

ムスリムになるつもりはない私にとって、コーランを覚えたり断食にチャレンジすることって、もしかしたらすごく中途半端なことをしているんじゃないか、変に彼らに期待を持たせているんじゃないか、とも思った。

難しいなぁ、、、


今後、断食をするかしないか問題

本来ならもっとストイックにやろうと思っていた断食。
だけど、ストイックにやろうと思うほど、できない部分にスポットライトが当てられてしまうし、上手く行かない部分が出てきてしまうなと思った。

それなら、もっと気楽に。

イフタール(日没後の食事)に誘われた日とかに、気が向けば、断食をしようかな〜くらいに考えている。

楽しんでやるくらいじゃないと、断食なんてできない。


そして、「断食しないとダメやで」「ハラーム」って言われた時には、「私はムスリムじゃないから」って言う勇気も必要だと思った。





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