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「なぜ働くのか」を考えた

またまたフォロイーのあおたまさんの記事を読んで考えました。

「なんのために働くのか」(『お金のため』を差し引くと何が残りますか?)
「どんなときに仕事のやりがいを感じるか」
との問いかけです。

6年ほど前に転職したとき、なぜあんな良い会社を辞めてきたの? 我々が行きたいくらいなのに、と転職先の会社で言われたことを思い出しました。
確かに世間的には良い会社でした。

なぜあの会社を辞めたのか。どうして転職しようと思ったのか。その理由の裏返しに「なぜ働くのか」の答えが隠れていると考えました。
以下、経緯や背景は省略して辞めた理由を述べます。

  1. 遠距離通勤が厳しかったこと。

  2. 給料がこの先下がるか現状維持しか望めなくなったこと。

  3. 職場も仕事内容も、この先ずっと変わらないことが確実視されたこと。

  4. 会社にジリ貧感があったこと。

これらを一般化・抽象化してみましょう。具体から抽象化すると見えてくるものがあるはずです。

まず1の遠距離通勤問題は、ブラックかホワイトか問題ですね。いわゆる「ふたりはプリキュア」問題です。ぜったいに違います。らしくない角度だな。
いわゆる「働きかた」問題です。
その言葉も何だかわかりにくいと思います。「快適」かどうかでしょう。
しかしさらに抽象度を上げましょう。
「生命維持(が満たされる安心)」のためでしょう。抽象度を上げると大袈裟になっていきます。

いや、ここは「快不快理論」推し推しのボクらしくしていこう。
不快(気持ち悪さ)を避け、快感(気持ち良さ)に突き進む「快不快」こそが人を突き動かす唯一のドライビングフォースと考えています。
生命維持が満たされる気持ち良さ、逆には生命維持を脅かす不快から忌避できる気持ち良さへの追求を「生命維持快感」としましょう。
ボクの遠距離通勤の回避は「生命維持快感」のためと考えました。

次に2の給料が上がらない問題は、一般的には「承認欲求」でしょうか。
「『お金のため』を差し引いて」の前提がありましたが、人によって給料はやっぱり「お金」の問題でしょう。
この「承認欲求」と「お金」の二つをまとめて抽象化すると、「社会的な報酬を得る快感」略して「社会的快感」はどうでしょうか。
お金も肩書きもスキ数もフォロワーの数も社会的な報酬です。
それらを得ると快感が得られます。スキが付くと気持ちいいでしょう。
人はその快感のためにいろいろ努力しているのです。
働けばお金や肩書きという社会的報酬が得られ気持ち良くなるのです。

さてここで気付きました。
「お金」は「社会的快感」以外に「生命維持快感」も深く関わっていることに。
お金があれば、ひとまず生きていける安心感=気持ち良さがあります。
そしてそもそも「お金」は目的などではなく、目的を達成する手段だということにも気付きました。

『お金のため』がなかなか差し引いて考えにくいのは、手段なのに目的と混同されがちな上に、達成する目的が複合的だからでしょう。
つまり整理すると、「お金」は、ある程度までは「生命維持快感」を得るための手段、そこからは徐々に「社会的快感」を得るための手段に変化すると考えられます。
というわけで綺麗に「お金」を排除することができました。(←なんだか書くと気持ちいい文章です)

3の仕事内容が変わらない問題は、人によっては「成長」でしょうか。
自分としては「知的好奇心」「退屈しないこと」のほうがしっくりきます。
退屈しないかどうかはとても重要なのです。
そしてこれらの抽象度を上げると「内発的な報酬を得る快感」=「内発的快感」と考えました。
「成長」も「知的好奇心を満たすこと」も「退屈しないこと」もある種の報酬です。しかし外からの与えられた報酬ではありません。自分の中に見出すものです。
前述の「社会的報酬」に対して「自己満足的報酬」と言えます。
ただし自己満足という言葉を使うと、人のため、世の中のためは無視・排除しているネガティブな意味が含まれますから、もう少しニュートラルにして「内発的」としました。

さてその「内発的快感」と「社会的快感」とは何が違うのか、具体例を挙げて説明してみましょう。
こんどは逆に抽象からの具体化作業です。
穴を掘る仕事があるとします。2メートルほど掘れば次は埋め戻します。埋め戻したら再び掘ります。
掘っては埋めるをただ延々と繰り返すような仕事を考えます。
その報酬として月に100万円貰えるとしましょう。しかもなぜか皆から尊敬される仕事なのです。つまり「社会的快感」は十分すぎるくらいの設定です。
しかし仕事に何の意味も見出せません。退屈です。「やりがい」がありません。「内発的快感」はゼロでしょう。
それを40年やらなければならないとすれば、続けられるでしょうか。
ボクは無理です。そういうことなのです。実にわかりやすい。
「内発的快感」こそが「やりがい」なのでしょう。
しかし、こんな仕事でも重労働で得られるマゾヒスティックな快感や、鍛えて体がムキムキになるナルシスティックな快感などの「内発的快感」が人によってはあるかもしれません。それなら続けられます。
ね。
さらに「社会的快感」と「内発的快感」の違いがわかりやすくなったでしょう。
自画自賛です。今「内発的快感」に溢れています。気持ちいい。

4の会社がジリ貧問題も、3と同じく「成長」もしくは「退屈しないこと」でしょう。具体的に説明しませんが、とにかく会社にはワクワクしなくなったのです。
なので「内発的快感」でしょうか。
ただ、いつか会社は倒産するかもしれないという危惧もわずかにありました。そう言う意味では遠く「生命維持快感」にも繋がっているでしょう。
また同時に斜陽化産業に属していることを「カッコ悪く」感じられて、脱出することで「カッコ良く」なりたい気持ちもありました。つまり外面を気にしていたとも言えます。
これは、ある意味「社会的快感」を求めていたとも言えるでしょう。

以上のように、人はなぜ働くのか、なんのために働くのかの答えとして、
「生命維持快感」「社会的快感」「内発的快感」のためと導き出されました。
あくまでボクの転職時の理由、つまり働く理由が脅かされたことから、それらを抽象化した結果です。
そしてそれぞれ具体事例は、3つの目的を複合的にも内包していました。

さてボクの例だけでは十分ではないので、他の人が言いそうな「なぜ働くのか」の例を考えてみます。
以下のような、
 ・社会との繋がりを保つ
 ・家庭内や世間的に一定の地位を得る
という例もあるでしょう。
前者は孤独を忌避する「生命維持快感」でもありつつ「社会的快感」の機会を得ることができます。
後者は「社会的快感」の側面が強いでしょう。

そしてよく聞く例として、
 ・自己実現
というのがあります。
なんだか何かを表したようで何も表せていない語感がある言葉です。あまり好きじゃないかな。
ここでまたまた気付きました。
この「自己実現」を出したことで、先ほどからずっと既視感があった理由がわかりました。

既視感。どこかで見たことがある。
ずっと何かに似ていると思っていたのです。
そうだあれだ。
あのピラミッドだ。

さて今日はここまでにしておきます。
もう3000字になろうとしているので、さすがに続きは次回にしましょう。
ピラミッドを出現させて謎のまま終わらせると、サディスティックかつ考古学的快感があります。
おおー。サディスティックかつ考古学的快感だなんて。
もう内発的快感がマックスハートです。
うーん、らしくない伏線回収だった。それではまた。

・・・ええい。解説してやれ!
今年でなんと20作目となるプリキュアシリーズの第1作「ふたりはプリキュア」は「キュアホワイト」と「キュアブラック」が主人公でした。
そしてシリーズ第2作のタイトルが「ふたりはプリキュアMax Heart」なのです。
娘が観てたからなあ。

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