02.10

翌日が祝日だから、連休をとるひとが多かったせいか、会社はいつもより静かだった。そのなかで、いつものようにいつもの業務をこなし、家路へ急ぐ。夜ご飯が待っている。


時刻を知らせる町内放送

営業車で停車中につぎの目的地をカーナビにいれていたときに、車のそとから15時をしらせる町内放送が聞こえた。町内放送といっても、町内のおじいちゃん、おばあちゃんが「15時です。」と教えてくれる放送ではなくて、単純なメロディが放送されるものだった。社会人になってからは、会社のなかにいることが多かったり、都会で過ごすことが多かったためか、なかなかこうやって意識して聞くことなんてできなかった。だから、メロディが耳に入ってきたときに思ったことは、「懐かしいな」という気持ちだった。ぼく自身、この地域で育ったわけでも、かかわりがあったわけでもなんでもない。だけど、こういう町内放送はどこか懐かしさを感じさせてくれる。その懐かしさを体全体で実感していたからか、口から自然と「いいなぁ」と言葉がこぼれた。


果汁グミ

昨日、上司が営業先からいただいた果汁グミを遅くまで仕事に付き合ってくれたお礼にといただいた。いちご味の果汁グミだった。果汁グミといえば、必ずと言ってもいいほど思い出す景色がある。僕が幼いころ、おじいちゃんに果汁グミをもらうワンシーンだ。いまとなっては、どういう経緯で果汁グミをもらうに至っていたのかはまったく覚えていない。ぼくが果汁グミを欲しがったのか、それともおじいちゃんがぼくといっしょに食べたかったのか。どちらにせよ、ぼくはおじいちゃんからもらった果汁グミがいまでも印象にのこっている。その味はいちご味。ひとむかしまえの果汁グミはいまより、内容量もおおかったし、一粒の大きさもおおきかったというように聞く。ほんとにそうなのかなと思いながら、電車を待つ待ち時間で果汁グミの封を切る。そして一粒を口に放り込む。「確かに小さいかも。」と思わず笑ってしまった。でも、いちご味はあのころのまま変わっていないように感じた。この先も果汁グミを食べるたびにおじいちゃんを思い出すんだろうなと思いにふけりながら、もう一粒もう一粒と口に運んでいく。そうやって、待ち時間の間にあっという間に果汁グミはなくなった。


旅への誘い

今日の一日のはじまりを告げる音は、昔の同僚からのLINEの通知音だった。「明日、暇?」すこし時間を空けて返信する。「暇だよ。」そうやって、明日は電車に乗って台湾料理とチーズケーキを食べに行くという小さな旅行が決まった。ほんとのところは仕事が休みの日は家で静かにごろごろしていたいというのがぼくだ。ただ、コロナ渦で家族と職場の往復。それだけでどこかさみしさを感じていたのもぼくだった。だから、このタイミングで友人と会えるきっかけ、小さな旅にでかけることができるきっかけ。その誘いをくれた友人に感謝したい。旅は前日からが楽しいというが本当だなって思う。わくわくして目がさえているのが、疲れ切ってぎりぎりのあたまでもわかる。明日、何話そう。明日、何着てこう。そうやってわくわくしながら、少しずつ一日の終わりを迎えていく。


昨日はせっかく淹れた珈琲に一口も口をつけずに眠りに落ちた。それだけ疲れていたってことなんだろうか。今日こそは、珈琲を飲みたいなぁと思いながら紅茶を買っていたことを思い出す。どっちにしようか。

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