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僕の目は、まだ輝いているか。18歳男子の嗚咽

その一点にすべてが集約されるのではないか、そんな気さえする。

ぼくは仕事柄、年間を通して1000人以上の人に出会い、その顔を見る。

当たり前だけど、みんな違う顔をしていて、1000人いれば、1000の顔がある。

でも、見方を変えると、

目が輝いている人

目が輝いていない人

の2つのタイプしか存在しないとも言える。
(本当は3つなんだけれど、それについてはあとで考えよう)

この視点は、人を見極める上でとても大切なフィルターだ。

単純に、

幸せな人は目が輝いている

そして、

目が輝いているのに、不幸な人はいない

もう少し考えてみよう。

お金持ちで幸せな人は、目が輝いている ​

そして、

お金持ちでも不幸な人は、目が輝いていない

もう少し。

貧しくても幸せな人は、目が輝いている

そして、当然

貧しくて不幸な人は、目が輝いていない


この視点から世界を見渡し、まわり回って自分について考えを巡らせるとき、こういう結論にたどり着く。

お金があろうとなかろうと、友達が多かろうと少なかろうと、モノに恵まれていようといまいと、「目が輝いている人でありたい」

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そう、

目が輝いている人でありたい。

そんな真っ直ぐで恥ずかしい夢を持って、何が悪い。

しかし、僕の煩悩にまみれた脳みそが議論をしかけてくる。

おまえ、バカじゃないの?幸せだから、目が輝くんだろ?
幸せになるためには、お金やモノや人より優れた能力が必要だろ。
結局、お金やモノや能力がなきゃ、無理だろ。
そうなんだけど、、、
いや、ホントにそうかな?
貧しくたって、目が輝いている人はいるよ。
恵まれない環境でも、目が輝いている人はいるよ。

じゃあ、お前は貧しくていいんだな?
能力がなくてもいいんだな?
それ、卑屈な人がよく言うセリフだけど、論点がズレてるよ。
なんだと!
目が輝いていれば、貧しくても良いって言っただろ。
いや、言ってない。
「目が輝いている人でありたい」って言っただけだよ。
貧しくても、苦しい環境に生まれても、目が輝いている人はいるって言ったけど、目を輝かせるために貧しさを全面的に受け入れるとは言ってないだろ。もちろん、貧しくても目が輝いている人ではありたいけどさ。
恵まれた環境にいないのに目が輝いている人って、なんなんだよ。ぜんぜん意味わかんねぇ。



ところで、僕は2種類のまったく別世界で魔法を見せ続けている。

仕事では、煌びやかなホテルのスイートルームで開催されるセレブな方々のパーティに溶け込んで、ささやかな魔法を披露することで「場の空気」や「人の動き」を変える役割を引き受けたり、高級ブランドの上顧客ばかりが集まるクローズドなイベントで魔法を披露したりする。

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一方、プライベートでは「魔法紀行」といって、行き先も帰りの日程もはっきりと決めずに旅に出て、旅先の人々と魔法を通して交流したりする。日本、世界、気の赴くままに。

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旅先で出会う人々は完全にプライベートなのでお金持ちから貧しい人まで様々。文化も宗教も違う。なにより、仕事ではないから僕に対価は支払われない。お互い、ただの人間。

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何が言いたいのかというと、お金が回っていようがいまいが、豊かであろうが貧しかろうが、世界中どこにいっても、どんな環境であろうと、そこには

目が輝いている人と、目が輝いていない人がいる

ということ。

それが、僕が見てきたこの世界の真実だ。




また脳みそが語りかけてくる

まあ、わかるよ。確かに金持ちでも不幸そうな人はいるし、貧しくても笑顔の絶えない人はいる。でも、お金が無い人より、ある人の方が笑顔の人が多いだろ?
それは、、、そうかもしれないけど、、、
ほらみろ、結局お金やモノがあった方が幸せになるんだよ。
同じ環境の中では、そうかもね。
なんだよそれ、どういう意味だよ?
たとえば同じ学校の中で、お金持ちと、貧しい人が一緒だったらどう?どうしても比べちゃうから、貧しい人、普通の人、お金持ち。そんな風に優劣をつけたがっちゃうんじゃないかな、みんなの脳みそがさ、キミみたいに。
まあ、そうなるわな。それが普通だ。
じゃあ、これはどうだろう?砂漠で暮らす遊牧民として生まれて、砂漠で育ち、お金なんてほとんど持っていない。もちろん、村のみんながそんな感じ。村の人はみんな不幸かな?その村に目の輝いた人はいないかな?
そりゃぁ、、、いるだろうな。
なんでそう思うの?
みんなお金が無いなら、お金がなくても不幸ってことにはならないだろ。当たり前のこと聞くなよ。
ほら。
ん?
みんなと比べて自分がどうかってことが大切なんでしょ。それって、お金が絶対条件なわけじゃないってことでしょ?
ん?、、、あれ?
まあ、、、そういうことになるか。
そう、お金をたくさん持ってるか、モノをたくさん持ってるか、そういうこととは関係なく目は輝くし、幸せな笑顔も生まれると思うんだ。
言いたいことはわかる。だけどな、冷静に考えてみろよ。お前が住んでる日本では、お金をベースに社会が動いてて、お金があった方が良い暮らしができて、お金があった方が自由になれる。お金が無ければ、自由は少なくなるし、飯も食えなくなるし、家賃が払えなきゃ家にも住めなくなるんだぜ。

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そっちこそ冷静に考えてみろよ。お金があった方が良い暮らし?お金をたくさん使って高価なものに囲まれて暮らすのが良い暮らしで、狭いアパートで暮らす人の暮らしが良い暮らしじゃないって、なんで思う?
そりゃ、狭いアパートで暮らすのが不幸って決めつける気は無いけど、そういう価値観でみんなが暮らしてる中で、どうしたって比べちゃうからだろ。
お金があった方が自由。確かにそうかもね。旅行にも行けるし、食べにいくお店も選べるし。

でもさ、砂漠のオアシスの小さな集落で生まれて育ち、そこで一生を終える人って、不自由なのかな?不幸だとも思わないし、オアシスのまわりで過ごす一生にもたくさんの幸せがあるんじゃないかな?
あのな、だから何度も言ってるように、お前が暮らしてる日本ではお金とモノが中心で回ってるんだから、その中では他人と比べて不自由に感じるし、不幸に感じるだろっつーの!
うん、それが答えだと思うよ。
は?
根底にある問題は、お金でも、モノでもなくて、『他人と比べてしまうこと』なんじゃないのかな?
ん、、、
日本にいたって、他人と比べて自分の幸せをはかろうとしない人は、お金があってもなくても、自分で人生を楽しめるんじゃないのかな。
、、、
砂漠のオアシスの小さな村で暮らしていても、他人と比べて自分の幸せをはかろうとする人は、その狭い世界の中でやっぱり不幸なんじゃないかな。
うん、、、
でもさ、実際にはキミのいう通り、他人と比べてしまいやすいとは思うよ。
当たりめーだろ!こんな世の中で他人と比べないって、普通じゃねーだろ。

でも、たしかに他人と比べないで自分で自分の人生の価値を決められる人は、お前の言うようにお金がなくても目が輝いてるかもしれないな。

伊豆大島

そう。本当にそうなんだ。

でさ、キミも僕と一緒に色々な人に会ってきたから知ってるかなと思うんだけど、気づいたことがあってさ。
なに?
目が輝いている人って、お金があるからとか、たくさんモノを持ってるからとか、人よりたくさんのことができるからとかじゃなくて、目が輝いてるから幸せそうだなって思うんだけど、違うかな?
どういう意味?
うーん、つまり、恵まれているから目が輝くんじゃなくて、目が輝いているからこそ、どんな環境の中でも誰かと比べることなく前向きに世の中や自分の人生を考えることができて、そのおかげで楽しそうなんじゃないかな。ってこと。
なるほど。わかるような気もするけど、じゃあそもそもなんでそいつらは恵まれた環境じゃなくても目が輝いてるんだろう?環境で決まるんじゃないんならさ、何が目の輝きを決めるんだろう。
「気持ち」なんじゃない?この世界を楽しもう!っていう。子供みたいにさ。子供って生まれてからしばらくはみんな目がキラキラしてるじゃない。他人と比べることを知るまでは。みんな全力で楽しもうとしてるじゃない。
気持ち!
さんざん長い話してきて、答えは「気持ち」かよ!笑
バカにするけどさ、魔法を披露してるとつくづく感じるんだ。
どんなことを?

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シンプルだよ。「魔法を楽しみたい!」と思って観る人は、みんな最高の笑顔になる。そしてその喜びを周囲の人と分かち合おうとする。

逆に「騙されたくないから、俺は喜ばないぞ。」と心に決めている人は、みんなが盛り上がっている最中も、何かと戦っているような顔になってしまう。みんなが驚きや喜びをシェアしてる時にも、「バカじゃねーの?」って。結果的にその人が孤立することになってしまうんだ。

その違いって、最初は「気持ち」から始まってると思うんだ。
なるほど、、、
たしかにお前の魔法を見る前から、その人が楽しめるかどうかは決まってるような気はしてたな。たしかに。最初から楽しむ気ない奴は、楽しめないよな。なんでも。
でしょ?もちろんそういう人が心を開いてしまうように魔法をかけるわけなんだけど。でも、言いたいことはわかるでしょ?
そうかもしれない。でもさ、いつでも、どんな環境でも目を輝かせていよう!って、メンタル強すぎだろ。それができないから困ってるって話になるわな、そうなると。




そう。自由に自分で変えられる「気持ち」が原因だからこそ、「気持ちの強さ」次第なのだ。

さっき2種類じゃなくて3種類に分類できるって書いたのは、そういうことだ。さっきの二つの間には果てしないグラデーションが広がっていると考えている。

1:いつでも目が輝いてる人
2:目が輝いたり、輝きを失ったり安定しない人
3:目の輝きを失って、濁っている人

ほとんどの人は広い幅のある「2」の中にいると言って良いだろう。

もちろん、ぼくもそうだ。
少し「1」寄りにいるとは思いたいけど。



また脳みそが話しかけてくる。

お前はさ、「3」の中にいたことあったっけ?

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あんま、、、希望なさそうだな💦

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ちょ、おま、、、マジか、これ何かやらかす直前の人間の顔じゃんか、、、
そう、命について、お金について、この社会の不条理さについて、色々考えてたら、知らないうちにこんな顔になってたみたいなんだ。決して特別貧乏とか、特別不幸な環境ではなかったけど、「気持ち」がやられたら、環境は関係ないんだよね。毎日が辛い、苦しい。それだけだった。
でも、お前さ、小さい頃は無邪気でキラキラした目してたよな?

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そりゃ、一応ね。

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なんだってできると思ってたよ。小さい頃は。
ふうん、人って変わるもんだな。
だね。本当に。今の自分と、目が死んでた頃の自分もほとんど別人格のような感じだし。
そういえば、高校生だか浪人生だか、その頃だったよな?一度「死んだ目」が生き返ったのって。
そうだね。『もののけ姫』だね。

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ああ、そうか、あれか。
お前さ、あのヤバい目をした鬱々とした18歳男子が、3回も劇場に足を運んで、毎回涙流しながら帰ってたよな、そういえば。ついに壊れたのかと思ってさすがに心配したっけな。
まあ、そうだろうね。新宿駅のホームで大粒の涙をポロポロ流しながら歩いてる時、みんなこっち見てたもんな。でも、全然気にならなかった。
マジかよ、なんであんなに泣いてたんだよ、18歳男子だぜ?
理不尽で、苦しくて、答えのない問題にもがき苦しまなきゃいけないような環境でも、アシタカの目がキラキラしてたんだよね。で、「曇りなき眼で見定め、決める」っていうセリフ。ヤバかった、マジで。
ただのアニメ映画のセリフだろ、、、
苦しくて、辛くて、何も希望が見いだせないような環境でも、目を濁らせずに透き通った目で世界を見続ける。そんな生き方、して良いんだ。って。限界に達して溺れそうだった自分にとっては、見失いかけてた水面の光が見えた瞬間だったんだ。
ふーん
で、極め付けに、「生きろ」って言われ。自分のために宮崎さんがつくってくれたんだ!アホくさいけど、あの時のぼくはそう確信しちゃった。
いくらなんでも、それは無いわ。
まあ、そんなこんなで、目が死んでいたけど心はギリギリまだピュアさを残していた僕は、こう決意したわけ。

『数年ぶりに、目をちゃんと開かなきゃいけない!しっかり目を見開いて、曇りなき眼でこの世界を眺めてみよう。どんなに汚い世界だとしても、勇気を持って曇りのない眼で見てみよう。』

って。そうしたら、ヤバかった。
どうヤバかったの?
心に決めて、劇場を出るでしょ。全てが眩しすぎて、まともに見られなかったんだよ。
それはお前、暗いところから明るいところにでからじゃ、、、
まあ、それもあると思うけど、そういう意味じゃなくてさ。世の中の全てが眩しかったんだよ。『曇りのない眼でこの世界をちゃんと見よう!』そう決心してから見る世界は、全てがキラキラしてた。

空が見たことないくらい綺麗で、空気があって呼吸できることが奇跡みたいで。いつもはうるさいと思っていた新宿の街の喧騒も、愛おしくて。
大袈裟だなw
いや、ホントに。これまでは「自分たちだけ幸せそうにしやがって!」なんて思っていた街ゆくカップルたちを見ても、なんだか自分も幸せな気分になってしまって。タバコを道に捨てて立ち去るサラリーマンを見ても、「あんなことしちゃってるけど、愛情を持って育てられて、可愛い子供がいたりするかもしれないよな、なんて思いを巡らせたり。

とにかく、世界が眩しくて眩しくて、涙が止まらなかった。その瞬間から、他人と自分を比べようっていう発想が消えたんだと思う。曇りなき眼で見定めて、決める。世界の見方を自分で決めていいんだって教わったんだよね。
そういう涙だったのか。
劇場を出る前と、出た後で、全く世界の見え方が変わっちゃって。魔法だと思ったよ。本当に。
確かに、それは凄いな。
そう、結局何が変わったかって、自分の「気持ち」だけだったんだよ。諦めかけていたこの腐った世界、でも、もう一度目を見開いて、曇りのないキラキラした眼でちゃんと見てみよう。良い面を探すようにこの世界を見てみよう!
そう決めただけなんだ。
たしかに、そういうこと、あるかもしれないな。


そんなわけで、僕は自分の意志で「目を輝かせることができる」ということを確信している。もちろん、周囲の協力も必要だ。自分だけの力では、難しい。

ぼくにとって『もののけ姫』があったように、誰かにとっての『魔法』をかけ続けたいと本気で思っている。

宮崎駿さんに助けてもらって今の自分があるのだけど、宮崎さんにいただいたエネルギーを宮崎さんに直接返してもあまり意味がない。エネルギーというのは大きく循環させた方が、そのプロセスでみんなが幸せになっていくから。

そうして、回りまわって宮崎さんのところに何かの形でたどり着いたら、嬉しいな。

だから、宮崎さんが『魔法』をつかったように、ぼくも『人の心を変化させる魔法』を使いたいと心に決めている。

指先でやっていることがマジックだろうと、人が集まるサロンを開催しているのだろうと、絵を描くのだろうと、表現はなんだっていい。

「場の空気」と「人の心」を変容させる、魔法つかいでありたい。

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ぼくは、まだ全然目的地に到達していない。なんなら、目的地が遥か遠くにしか見えない。

だから、常に問い続けなければならない。

” 僕の目は、輝いているか ”



おまけ。

ぼくは、宮崎駿さんから2度ヒントをもらっている。

一つは、上に書いた『もののけ姫』

もう一つは、『魔女の宅急便』だ。

ぼくの魔法つかいとしての行動原理は、キキの存在の仕方から多大なる影響を受けている。そのことについても、書いておきたい。

が、

気づけば書き始めてから5時間も経っていたので、その話については、また次回書こうと思う。


目の輝きを失う遥か昔、『魔法』との出会いは5歳の頃でした。『魔法つかい』になろうと思った原体験はこちら ↓ 


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も魔法に満ちた1日をお過ごしください✋✨


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コミュニケーションにおける間合いと、相手や自分自身を見極める目を獲得するためのノートはこちら ↓

魔法つかいのオフィシャルサイト
http://www.magicaldreamer.com

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