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創造性が親、私たちが子ども 〜作品づくりと愛の関係性〜

大好きな本の一冊、
エリザベス・ギルバート著

BIG MAGIC
「夢中になる」ことからはじめよう


にある一節。

『 創造性が親で、
    私たちが子どもである。』

※ 現在手元にないので、
    記憶をたどっての言葉です。



◆『創造性が親で、
私たちが子どもである。』

 a.「評価」に振り回されなければ自信を失わない


僕たち作品や表現を創る人たちは、
「生み出したもの」
子どもや出産のように
喩えることがあります。

そこでは「人間」が親であり、
「作品(創造性)」が子ども
という視点になっています。

ではもし、
自分が一生懸命作り
世に出したものが、
思うように
評価されなかった
としたら…?

それを発信した
親である「あなた」は、
評価もされない
無価値なものを出した人、
というレッテルが貼られて、
価値(自信)を
落としてしまうことになります。


一方で、
「作品(創造性・アイディア)」
が親であり、
「あなた」は
それに導かれ動いた、
という視点から見るならば、

評価されなかったのは
「あなた自身」ではない

というスタンスに立てます。

もしうまくいかなかったとしても
必要以上に落ち込まなくていい。

 b.「創造性」とは、あなたよりも偉大な存在


そんなメッセージに触れたとき、
僕はとても感銘を受けました。

確かに
「作品」が「僕自身」を
導いてくれた
ことは
何度とあります。

もしあなたが僕の「言葉」を
きっかけに出会ってくれたなら、

それは
「僕自身」と出会ったというより、
「言葉」との
(=創造性による出会いです。

最近っぽく言うなら
『創造性マッチングアプリ』
的なとこでしょうか
(それは喩えんでいい)。

「創作したもの」はときに
「自分自身」を超えています

きっとあなたにも
同じ感覚は
経験としてあるはずです。

 c. 傲慢ではなく堂々としている アーティストの在り方


「自分がすごい」
のではなく、

「創造性がパワーや
   インスピレーションを
   与えてくれている」

というスタンスでいると、
普段謙虚でいられます。

ゆきすぎて傲慢に、
横柄になることがない。
なれっこない。

そんなアーティストや
表現者のほうが
好きになりますね。

すごいだろ?って
アピールをかませばかますほどに、

「…自信がないから
   しゃしゃっておこう!」

という内なるメッセージを
共鳴して感じてしまうのが、
ずきずきと痛いんでしょうね。


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◇ リアルの人間関係 ― 親子なら…?


前置きが長くなりましたが、
この話は、
実際の人間関係にも
応用できるのではないか?
って思います。

つまり「親子」です。


ふつう、

「親」が親で「子」が子どもです。

あたりまえです。
クラッカーレベルです。

でももし、
「創造性」が親という価値観を
採用するのならやっぱり、

「子」が親を導き、
守り、幸せにしている、

ということになります。

 a. 後輩達が、あなたを「先輩」にしてくれた


こんな経験はありませんか?

組織やチームの
一年目のあなたが、
二年目となり三年目となり、、

次第にポジションが上がって
教える側・伝える側、
リーダーになる。

「リーダーのあなた」
が導いてあげている、
というよりも、

「フォロワーの後輩たち」や
「受け取ってくれる人」がいるから

あなたは
リーダーとして “導かれ” 、
ますます
立派な存在になっていった。

そう、だからやっぱり、
「子」が親なんです。

 b. あなたが親を、幸せにした!


さて、となると、

「自分は親孝行できたのだろうか?」
「自分はなんて無力なんだろう」
「親を幸せにできなかった」

なんて思いがよぎるとき、
間違っています。

それだけの視点ではいけない。

あなたの親はどうして、
親として一生懸命に
生きられたのでしょうか?
苦しそうにも仕事に勤しみ
家庭を支えてきたのでしょうか?

― そう、
       あなたがいたからです。



たったひとつの発想が、
『新しい真実』を生み出し、

過去を一瞬にして、
一変させてしまいます。


Matty


21.5.20 追記・編集  

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