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言の葉の庭 徹底解剖 ④ 「承」 中編

 映像作品をしゃぶり尽くして楽しむのがこのシリーズの目的です。BGMの演出、映像的な伏線、映像に隠された意味、私が汲み取れる限り汲み取り言語化します。 

 この記事を読んだあなたの映像に対する解像度が上がり、それを他の作品にも応用して楽しんで頂ければ幸いです。

 今回の参考文献に『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』福田里香 も上げておきます。

 今記事の内容

本編解説

お約束のシーン

ヒロインの背景


 本編

言の葉の庭 3 ①

 女性が駅で電車を待っている。しかし、女性は電車に乗り込まずいつもの場所へと向かった。

 少年と女性はお互いの弁当を取り出す。少年は女性のものから卵焼きを取って食べると、中には殻が。殻を噛む音の後、BGMが挿入される。

 料理が得意ではないと恥ずかしがる女性。

言の葉の庭 3 ③


 少年の過去。父もいる頃の家族団らんの時間。母に誕生日の贈り物をする少年たち。

 少年の寝顔を映してBGMは終了。

 少年の寝顔に向かって女性が弱気なセリフを吐く。


解説

言の葉の庭 3 ④

 13分からわずかの間、女性の朝の様子が描かれます。雨の日には浮かれて小走りで新宿御苑に向かう主人公が前のパートでは描かれていました。それに対して女性は常にアンニュインな表情です。ここで少年と女性との対比が始まったことに注目です。

お弁当

 いつもの場所に珍しく弁当を持ってきている女性。この後すぐにわかりますが、女性がこの場面でお弁当を持っているのは不自然です。

 このお弁当は女性の日常へと戻ろうとしている努力の一つだとも考えられますが、結構な割合で少年へのアピールでもあると私は考えています。少年に自分の料理を食べて欲しかった思いがあったのではないでしょうか。それが返報性からくるものか、それとも気になる異性に対するものかはわかりませんが。

 結果的に女性は恥ずかしい思いをしてしまいます。このシーンを境に謎の女性がだんだんと等身大の女性になっていくのが分かるでしょう。

 さらに、お互いの料理を食べるというのは恋愛ものではお約束のシーンです。なぜなら、親愛度のバロメータとして分かり易いからです。

 よく考えてみてください。見知らぬ人からもらったご飯をあなたは食べられますか?この映画でも、女性が最初に出してきたチョコを少年は食べませんでした。

 そして「料理下手な女性」の料理を口にするというのも恋愛ものでは一つのお約束です。女性のステレオタイプなイメージを裏切り、作品にリアルさを出すというのもあるでしょう。

 そして、料理とそれに対する人間の態度はその人の人間性を示す示唆に富んでいます。

 殻を食べた少年が卵焼きを吐き出したりしないのも、料理下手である女性がそれでもお弁当を作ってくるのも、彼らの人間性を実に端的に表現しています。

 少年が大きく口を開けてご飯を食べるのは、彼がそれだけ女性に心を開いている描写です。女性については、彼女が不器用であるが規範意識の高い人間だということをここでは指摘しておきたいです。

少年の夢

 卵の殻を砕いた音がしたすぐにBGMが鳴り出します。切なく郷愁を誘う静かなピアノです。二人の親し気な会話が続き、場面は少年の夢へと変わります。

言の葉の庭 3

 少年は在りし日の家族を夢にみています。両親と兄と一緒に公園を歩いている夢です。彼らは仲睦まじい様子で、その日は母の誕生日のようです。贈り物の箱を開けると、そこには煌びやかに光るヒールの靴が

 この描写は少年が靴職人に憧れるきっかけです。彼にとっての靴とは、もう戻らない楽しい過去の象徴なのです。

 ヒールの靴がこんなにも輝いているのは、少年の主観を絵的に表現しているからです。少年の中でこの思い出がそれだけ大切だという演出です。

 皆さんが何か夢を抱いたとき、それはどんな時だったでしょうか。強烈な夢を持つそのきっかけに現実への不満を抱えていた人物が結構な数で存在します。

 地獄に落ちてきた一筋のクモの糸を必死で手繰るように、自分の最も輝かしい過去の瞬間を再現し、それを永続的にしようとする人たちがいます。主人公はこのタイプです。少なくともこの時点では。

 ピアノの和音と共にBGMが終わると、女性が主人公の寝顔を見つつひとりごちます。

 「ねえ、私、まだ大丈夫なのかな」

初期設定

 ここまでで初期設定に追加がありました。彼の夢は過去の栄光を追いかけてのものだということです。女性が料理下手だということも分かりました。

 そして二人の関係がだんだんと親密になっていることが分かります。


本編

言の葉の庭 4 ①

 女性の部屋が映される。掃除や片付けが出来ていない。本棚には古典の本が置いてある。

 元カレとの電話。女性が職場をやめること。味覚障害にかかっていたこと。元カレには少年と会っていることを隠している。

 女性の独白。元カレには一緒に住んでいる人がいる。ビールの空き缶とチョコの包みで汚い机の上には靴の専門書が。



 解説


 16分~18分まで女性の背景が語られます。ここが女性の初期設定になります。少年との対比に注目してください。

 多くの情報については彼女と元カレとの会話や、部屋の様子を映すことで状況を説明してます。登場人物たちにいちいち状況説明的なセリフを言わせないというのは演出の基本です。

  新海監督作品の上品さを作っているのはこういう基本を徹底しているからです。あまりに説明しない監督もいますが、新海監督はちょうどよい塩梅ではないでしょうか。

後ろ姿

言の葉の庭 4


 この時の女性の後ろ姿を見てください。服の色が少年のものと被ります。これまで何度か少年の後ろ姿が映されてきましたが、この時の女性の後ろ姿と絵的な対比を作っています。

 これは二人が似た問題を抱えている暗喩です。二人とも親しい人間がいるはずなのに、部屋に一人で暮らしています。彼らが共に抱えている問題は孤独です。

 彼らの孤独はこの作品のテーマなはずですが、その描写は抑制的です。例えば少年の家庭環境に焦点をもっと当てれば社会派映画にもなりうるのですが、そうはなりません。

 観客にはあくまで彼らの恋愛ものとして鑑賞できるよう、彼らの実存的な悩みは絵やBGM で補完する程度です。アート系の要素は分かる人にだけ分かるように配置され、エンターテインメント色を前面に押し出しているのがポイントです。 

 しかしこれでもまだエンターテインメント性が薄く、さらに濃くしていったのが「君の名は」や「天気の子」です。売れる為にはもっと分かりやすいファンタジーが必要でした。

言の葉の庭 1 ➁



部屋

 部屋はその人物の心を顕著に表します。特に片付けが出来ないのはストレス下にある人間の典型的な状態です。

 * 余談ですが、汚い部屋が住む人にストレスを与えるという実験結果があります。さらに、堅実性と言われるパーソナリティが低い人間は汚い部屋でも平気なことが実証されています。発達障害の方も部屋が汚い傾向がみられるそうです。この女性に関してはストレス性の症状と考えるのが妥当でしょう。

 味覚障害も強いストレス下で起こる有名な症例です。彼女がうつ病であったことがここで分かります。

 これにより、このシーンで女性の不可解な言動の大部分が回収されます。

 朝っぱらから公園でビールを飲んでいたのはうつ病で仕事場に行けなかったから。持ち歩いていた大量のチョコはそれが彼女の現在の主食だから(あの量は演出的な誇張表現ですが)。

 そして、そんな彼女が少年の料理に味を覚えているのは、少年との時間が彼女にとって癒しの時間だからです。

 味を感じない彼女がお弁当を作ることも、彼女の気持ちを知る大きなヒントです。調理は彼女にとって苦痛のはずです。栄養的に必要だからやっていたというよりは、やはり少年に食べてもらうための行動だったのでしょう。

 彼女の「料理得意じゃないから」というセリフは、現在の彼女が味見を出来ないために味に不安を感じているから出たセリフで、以前は寧ろ料理が得意だったのかもしれません。その証拠といってはなんですが、お弁当の見た目は綺麗です(とはいえ卵の殻を混ぜてしまうところを見るに、元から料理に慣れていない可能性は結構あります)。

 女性が時折漏らしていた弱音は彼女の精神的な傷と、彼女の今の生活からくるものでした。

言の葉の庭 4 ➁

 女性が元カレと電話しているとき、足を触るカットが映されます。

 誰かと話すとき、自分の体を触るという行為は一般的に不安の表れと言われています。そして「足」は今作品において主人公の少年と関係が深い象徴です。

 元カレとの会話中に「足」を触るのは、新しい恋人(象徴的な意味で)へと移り変わりつつある彼女の気持ちを表しています。

 新海監督がうまいのは、この後に元カレの部屋にカーテン越しに映る人影を映し、元カレの人間性を絵的に見せていることです。この人影は恐らく彼の新しい恋人です。

 数か月前まで付き合っていたうつ病の元彼女は、彼の中で既に過去のものになっています。その後の女性の独白によって彼の人間性が端的に垣間見えます。

 社会的な責任感はあるものの、特定の個人の最も深い部分には入っていかない、元カレはそんな人間像です。少なくともこの女性にとっては。女性に感情移入すればひどい男ですが、冷静にみればかなりまともで普通の人間です。

 というより、私たちの殆どはこの男性のような感性で生きているでしょう。人間関係の本当の煩わしさは恋人や友人が弱り果てた時です。大半の人はここで関係を断ってしまいます。

 彼は元カノが社会的に必要な手続きを進めてくれます。運命の人とはいきませんが、元カレとしては十分ではないでしょうか。等身大の人間像として私は評価します。


 一方の女性も未成年の少年に惹かれている自分を疚しく思い、元カレに対して少年の存在を偽ります。この時の「嘘ばっかりだ」という女性の独白は、少年といる時にはついついまともな大人を演じてしまう自分に向けた言葉でもあります。

言の葉の庭 4 ③

 散らかった部屋に映る靴の専門書。このシーンからも彼女のすさんだ心に少年が住み始めたことを示しています。

女性の初期設定

うつ病にかかっていて今は回復途中。それによって部屋は散らかり、味覚障害によってビールとチョコが主食。仕事は辞める。

独身の一人暮らしで、古典に興味があるインテリ層。元カレとは縁が切れつつある。

次第に少年に心惹かれつつある。

 以上が女性の初期設定です。この初期設定が少年のものとどう対比しているのか少し解説します。

 彼女の私生活はすさんでいます。私生活が基本的に真面目な少年とは対照的です。しかし二人とも一息つく休憩場所を必要としていて、それがいつもの場所なのです。

 少年と女性は興味の対象も本来違います。職人になりたい少年と古典に親しむ女性。労働者とインテリの対比です。

 もちろん年齢も違います。大人と子供の二人の間にはその倫理観に大きな違いがあります。

 子供の少年は社会的な規範 ”子供と大人は恋愛関係にあってはならない” をあまり重大事としてはとらえていません。それは彼がルールに守られる側=被害者のポジションに潜在的に置かれているからです。

 この恋愛においてルールを破る側なのは女性です。大人は子供の庇護者であることがこの社会のルールです。故に女性はこの後も自分の気持ちに正直になることができません。

 そしてこのルールが二人の感情によって破れる一瞬こそが、この映画のカタルシスの本質です。


まとめ

● 主人公とヒロインがお弁当を交換する恋愛もののお約束。食事から見える人物描写

● 少年の夢の動機は最も楽しかった過去

● 女性の部屋と元カレの電話で彼女の今の状態が分かる

● 女性の初期設定がほぼ出揃った


 お疲れ様でした。

 これで「承」の中編を終えます。次回はこの作品の真ん中部分。作中最もフェティッシュなシーンです。

 あらゆる作品において、劇中の真ん中は大事です。次回はそれを熱く語ろうと思います。では

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