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2024年6月某日 〜台灣生活日記〜

5月末のフライトで一時帰国し、数日を日本で過ごしました。
6月頭、日本滞在から日記が始まります。

■6月某日 家族写真撮影と会食

実家のある種記念日ということで、馴染みの写真館にで家族写真撮影。
我が家では記念日に家族写真を撮るという慣習がなんとなくある。
手前味噌だが、家族の歴史が見えてなかなか良い家族行事だと思う。
今回は妹が夫婦で参加してくれたので、両親もいつにも増して幸せそうであった。
併せて贈ったプレゼントは両親のQOLを上げるためのもので、かなり奮発した。
自分の大切な人たちに本当に喜んでもらえることに労力やお金を使うことが、私自身の幸福度をこれほどまでに上げることになるとは思わなかった。
思い切ってよかった。

■6月某日 約束の日

何の因果か、何年かぶりに(現時点)最後に好きだった人と会った。
実際に顔を見て、話をしたけれど、なんだか知らない人と話しているみたいで、たくさん話したいことがあったはずなのに、心から言葉が湧いてこない。
人間、2年もあればほとんど全ての細胞が入れ替わるという。
それだけの年月が経ったのだ。不思議ではない。

彼にしては珍しく、私が見えなくなるまで見送ってくれた。
その時見た彼の顔が忘れられない。
未練とかではない。
もうお互いの人生が交わることはないかもしれない。
彼もこれが最後だろうと思っているように見えた。

■6月某日 大男×2

新幹線で国内移動。
外国人旅行客と思しき男性二人の隣に座った。
やけに大荷物で、二人とも屈強な大男。
体感で私の倍くらい身長があるように見える。(それは気のせい)

隣に座った男性が話しかけてきた。
「あなたは眠たいのに、うるさくしてすみません」
「大丈夫ですよ」
私はHPが尽きそうだったがなんとか笑顔で答えた。
何ターンか会話をすると、彼らは現在進行形で戦争状態にある国の兵士だということがわかった。正直、反応に困った。
長い休暇で日本に旅行に来ていて、もうすぐ帰国するのだそうだ。
「あなたは日本人じゃないみたいだ」
言われて驚いたのだけど、どうやらこの旅行で話しかけた日本人はあまり会話してくれなかったらしく、私の対応が珍しいとのこと。
資源の乏しい日本が推して行くべき産業の一つに観光業があると思うが、束の間の異文化交流の中に、現在の日本の課題を見た気がした。

■6月某日 Back to Taiwan

親友2人が空港まで見送りに来てくれた。
早めに空港に集まって、日本食をご馳走になった。
その後展望デッキを陣取って、親友の趣味である「どこからの便かを調べながら、飛行機の離着陸を眺める」というのを3人でやった。
私は初めての経験だったが、これがなかなか趣深い。
遠い国や地域からの便であるほど、感慨深さが増す。
その後手荷物検査の入り口のところまで見送ってもらった。
いつも一人なので、これもまた初めての経験。
うしろ髪を引かれる思いをした。

■6月某日 お香

初めて台湾のお香を購入。
歩いて20分くらいのところに専門店があった。
女将さんが親切に説明してくださり、サービスまでしてくれてとても良い気分だった。
帰り道、路地を少し入ったところに小ぢんまりしたカフェを見つけた。(写真)
台湾は連日日中は34℃くらいまで上がる。
あまりの暑さに蒸発してしまいそうなので、カフェで一休みさせてもらおう。
偶然見つけたけれど、珈琲もチーズケーキも美味。
幸運な休日になった。どちらも絶対また来よう。

■6月某日 送別会にて

数少ないお話できる赴任者の一人が別の国へ横異動されるため、送別会。
お酒をやめて以来一次会で帰ることが多いのだけど、今回は日本式のカラオケだということで勇気を出して参加。
久しぶりに大きな声を出して、人前で歌った。
だんだんとリラックスできて、声が出るようになり、その場の空気も楽しめるようになった。
何より主役であるその人が、
「hummerが珍しく二次会に参加して、さらに歌声を披露してくれた」
と意外にも喜んでくれた。
なんだか私も嬉しくなった。勇気を出してよかった。
別れは寂しいけれど、また世界のどこかで。お元気で。


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