「残酷な現実」を目の当たりにした
中学生の頃、春休みの宿題で書道をしなければならなくなった。
4文字以上であれば好きな言葉を書いて良いとのことだったので、私は春休みを過ごしながらひらめいたことを書にしたためようと決めた。
休暇の過程で感性を刺激すれば、おのずと自分の納得する言葉をあぶり出せるはず。
そう考えた私は、近所の桜を見たり、友達と遊んだり、部活に精を出すことで有意義な時間を過ごした。
そして休暇も残すところあと2日。
他の宿題はとっくに終えたにも関わらず、頭の片隅に置き続けた書の道は難航を極めていた。
刺激を与え続けた感性のセンサーはうんともすんとも言ってはくれず、己との無言の対話に時間を浪費することしかできない。
きっと同級生はよく知られた四字熟語を書いてくるだろう。
しかし、どうしてか私はそれに倣いたくはなかった。
普通という枠にハマりたくなかった…と言えば聞こえはいいけれど、春休みの宿題でそれを見せつける必要はなかったのかもしれない。
瞑想が迷走を呼びはじめていた頃、私の元に一本の電話が入った。
同級の女の子からで、用件はちょうど思考の100%を占めていた書道の内容に関する相談だった。
「なんて書いたの?」と機械を通して耳へと届くその言葉に、私は焦った。春休みをつぎ込んだにも関わらず、今なおそれに対する答えを出せずにいるなんて。ああ、なんてこの世界は。
「…残酷な現実」
思わず漏れてしまった言葉に、私の中を渦巻く何かが反応を示した。
なるほど。これは代名詞とも言えるほどに、私という存在を的確に体現している言葉なのかもしれない。
「マジか!さすがMAGAO!」
部屋に響いた笑い声で現実に引き戻された私は、友人へ感謝を述べてから挨拶を交わしてすぐに電話を切った。
そしてそのまま書へと向き合った。複雑に絡み合った糸が解きほぐされたような清々しい気持ちで筆を均すと、そのまま勢いよく命毛をつきたて、その禍々しい文字を書きなぐった。
何度か書き直すつもりでいたけれど、実際書いてみると気持ちが筆に乗ったせいなのかなかなかの出来栄えだった。
これでいこう。私はそのまま書を乾かし、登校の日を待ちわびた。
ついに訪れた決戦の日。
苦渋の末に導き出した文言に後悔はない。けれどもクラスの視線を全く考慮しないほど鋼の心を持つこともできなかった。
私は複雑に揺れ動く心を鞄に詰め込んで登校した。
宿題は提出だけなのかと思いきや、お休みの担任教師に代わって授業を受け持った先生が「みんなの書道を発表しよう」と爽やかな声を響かせた。
余計なことを言うんじゃないよ!
私の中で響き渡るまるちゃんの声が今も脳裏から離れない。
座席の順に一人ずつ、書にしたためた言葉が暴かれていく。
「一期一会」の割合が高く、知名度の高い四字熟語はいずれも人気があった。四字熟語以外の言葉を書く人もちらほらいたものの、どんな言葉があったのかは遠い記憶の彼方である。
先生はひとつひとつの作品へ丁寧にコメントを添えてくれた。
他の生徒と被る文言であろうが、作品に対して何かしらの前向きなコメントを考え、生徒と目を合わせながらそれを与えてくれるのだ。
先生として見習いたい姿勢だと思うけれど、その時の私にとっては恐怖でしかなかった。
ついに私の番がきた。先生の笑顔が黒光りし、私の動悸は早鐘のように高鳴りだした。震える手でどうにか書を提出すると、先生は笑顔でその言葉を読み上げた。
「残酷な現実!………」
しばしの沈黙と、周囲からはどよめきが聞こえる。
「確かになー。ほんと、世の中嫌になっちゃうよなー。」
苦笑いを浮かべつつも、何かを訴えかけるような先生の目が忘れられない。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになったけれど、言葉を現実の中に映し出したかのような地獄絵図をどこか俯瞰して眺めていた。
私はこの時、たしかに「残酷な現実」を目の当たりにしたのだった。
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