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日記のようなもの。"良い"と思った気持ちを濃縮、熟成。

朝起きて。娘の支度を手伝い、クローゼットを片付け、洗濯を回し、阿字観瞑想をする。

最近始めた"阿字観"という瞑想を習慣に取り入れようと時間を作っている。

阿字観瞑想を、"良い" と、思った。はじめて体験してから、阿字観をこれからもやっていきたいと思った。そしてnoteやsnsにも、「最近、阿字観やってる。」という事を書く。こうやって。

今のこの気持ちはとてもフレッシュだ。生まれたて、搾りたて、新しくて、若く、芽吹いたばかりの、この、"良い" という気持ち。フレッシュさはたぶん、外へ外へ放射状に向かう性質を持っている気がする。フレッシュな"良い"は、フレッシュなあまり、外側へ向かい、外側のものに向けて(他人とか、社会とか、世界とか)放射されてしまう。

"良い"が、フレッシュさをなくす頃、自分の意識が向かなくなる(良いと思わなくなる。止める。興味がなくなる。)もしくは、自分に定着し、"良い" が、濃縮し出す。

濃縮された"良い"は、習慣化が進みやがて、オリジナリティを醸し出し、熟成される。

"良い" が熟成されたら、その香りに人が集まってくるようになる。その香りを味わいたいと思う人も生まれる。

熟成された"良い" は、樹齢何百年、何千年の樹のようにそこに在るだけの存在になるだろうし、そこに在るだけだけど、人が腰をかけ休む場所になったり触れたくなるような佇まいだったり、その周りを守る存在になったり。

まだフレッシュな"良い"状態の阿字観を、わたしは大切に濃縮させ熟成させたいのです。

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