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日記のようなもの。孤独深まる。

写真は、わたしが住んでる地域に流れる大きな川とその川沿いのなんとかロード。なんとかロード、名前あるのかな。自転車も車もランナーも走るロード。桜並木で、春は一帯が桜色のロードになる、なんとかロード。

桜の葉っぱが茶色く黄色くなって、台風の後なので風が冷たい。こんな時、なんでいうんだっけ。。。

とち、、、こち、、、こちふかば、、、。

みたいな。そんなふうに何かが深まればナントカカントカ。。。っていう句があったような無かったような。

"東風吹かば" だった。


「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主人なしとて春を忘るな」

菅原道真の句だ。しかも梅の花のこと詠っている。春だ。物悲しげなのは、道真が左遷させるときに詠ったからだ。

秋めいて風も冷たく、そして阿字観瞑想をし続けて、わたしの孤独は深まるばかり。こんなときにわたしの気持ちを代弁してくれるような短歌や和歌や俳句を、思い出そうにも思い出せない。というか、古典の授業はお昼寝していい時間と思っていたので思い出せるのは突っ伏していた机の記憶だけだ。

は、俳句とか習おうかな。

孤独が深まる女は俳句が詠める様になりたい。

人は孤独だと俳句を詠みたくなるらしい。(わたしだけか。)

孤独とはいえ、ひとりではないし。もう少しこの孤独感と共にいようと思う。誰かに何かを聞いてもらいたい時は、こうしてnoteに書いて、ハッシュタグに"孤独"ってつけて孤独に興味を持つ人に読んでもらいたいし、なんならスキ♡もつけてもらって、「ああ、読んでもらえた。スキってつけてもらえた。孤独が少し癒された。」と思うんだと思う。

阿字観は"無"になる事を目指したりする瞑想ではない。と言われ、そこが気に入って始めたんだけど、こんなにも孤独感がやってくるなんて思いもよらなかった。

noteやsnsが無かったらもっと孤独を感じていたんだと思う。

なんだかんだ、テクノロジーが今わたしの中で浮き彫りになっている"孤独"をよくも悪くも癒し、なだめ、誤魔化してくれている。これから先、いま感じている"孤独"の先があるとしたら、わたしはnoteやsnsを手放すのだろうか。

今の気持ちは、こう、ダラダラと気持ちを書き綴る事をせずに、短歌や俳句や川柳で短くビシッとキメたいな。と、そんなふうに思っている。

わたしの孤独を読んでくれてありがとう。あなたがこれを読んでくれたから、今日もわたしはどこかでダラダラ元気に過ごしていますよ♡

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