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Vol.68 北大という新卒カードを捨て、僕がド田舎のベンチャーに就職した理由

今僕がいる北海道美唄市で、インターンを募集することになりました。

5月に宮崎県都農町に視察に伺った際に、東大卒で地方ベンチャーに新卒で入ったきらりんさんが書いたnoteを見てたくさんのインターン生が来ていると聞いたので、安直の極みで僕も書くことにしました。

タイトルは東大から北大に1文字変えただけですが、実際は文字数以上の大きな差があります。地方に興味を持つ学生さんを中心に、少しでも参考になれば(あわよくば美唄に)という思いで書いたので、ぜひ読んでいってください。

(余談ですが、僕も一時期は東大を志望していた時期もありました。高3の夏くらいには挑戦できるくらいの位置にいたと思っていますが、出願のタイミングでより可能性の高い北大へ。もし東大を受けていたら多分落ちていたと思う(笑)。挑戦をしたきらさんはかっこいいです。)

今は北海道の美唄市という人口2万弱のまちで、美唄シティプロモーション事業を進めています。

事業の話は他の記事を読んでいただけたらと思いますので、この記事ではインターンに込めている思いを美唄に至るまでと合わせてお伝えできたらと思います。

epsode1.北の大地にたどり着くまで

神奈川県の大磯町で3人兄弟の真ん中として生まれ育ち、それなりに運動も勉強もできる子ども時代でした。

一方高校を卒業をするまでは、何か志があったわけではありません。高校時代は学校と家の往復のみ。あまり言っていませんが、唯一やっていた部活も高2の冬には退部しています。(副部長にも関わらず)

進路を決める際にあたっても、学部すら決められないくらい優柔不断だった当時の僕は、大学以外の選択肢を取れるはずもなく、進学後に学部の選択ができる東大と北大の2択に”惰性”で絞ったのです。部活動も遊びもない僕は、それなりに勉強して、先に書いた通り北大へ進学しました。

そして「Be ambitious」とは真逆のまま、「試される大地」(北海道のキャッチコピー)に来てしまった。

この「試される大地。」というキャッチフレーズの“試される”とは、決して辛い意味で「試される」というものではなく、「自らに問いかける」あるいは「世に問う」というプラス志向を示す言葉であるとともに、「try」の意味が込められているのです。

当時の堀北海道知事の雑誌のインタビューから

episode2.大学時代

あえて振り返ると、北海道に来たのがターニングポイントでした。高校までしか知らない友人は変わったねというかもしれない。でも今の自分を知って一番びっくりするのは当時の自分に違いない。

知り合いのいない僕は外に出るしかなかった。何かに目を輝かせてではなく、見知らぬ土地で生きていくために。大学に入ってからも弾けることもできないまま、学部を決めなくてはいけない、何者かにならなきゃいけない焦りから毎週のようにイベントに出ていました。まさに意識高い"系"の学生だった。

今思うと目的は不純だったし、それゆえに楽しみきれず疲弊していく自分もいたが、たくさんの出会いもありました。これまで会ったことない目を輝かせて社会を語る大人や起業して自分の会社を持っている高校生。それと同じかそれ以上に自分はこうはなりたくないという大人にも。

少しでも興味がある専攻には、直接研究室にアポを取って話を聞かせてもらったりもしました。ものづくりや教育に興味がありつつも、この興味という感情が今後の人生を方向づけするに値するものなのか確信を持てずに、この時点でもまだ消去法で建築を選んだ。

それでも大2の春休みには、世界的な建築家である安藤忠雄さんの事務所にもインターンを1ヶ月させてもらったし、大3の夏休みには、大学のプログラムで日建設計さんの上海事務所に同じく1ヶ月インターンさせてもらった。

その結果、正直わからない。面白いなとは思うものの、そこに関わる人たちほどの熱量を自分の中に見いだせなかったし、一生建築をやっていこうとは思えなかった。

とは言え、大学院に進学してまでやりたいことなど持っておらず、それならと就職を考えた。周りに倣って就活なるものをしてみる。

結果、就活もよく分からなかった。普通に落ちたし、企業に自分を合わせにいっている自分が嫌になり、途中で逃げた。

卒業まで半年というタイミングで、休学届を書いた。幸い、周りには休学している人がいたおかげで強烈な抵抗感はなかったし、国公立ということで休学中の学費はかからなかったし、親も理解してくれた。

episode3.休学してインターン

休学中は、GO TOキャンペーンを使って全国を旅した後、地域で長期インターンをした。

まず飛び込んだのは、東日本大震災をきっかけに宮城県石巻市で水産業の事業をやっている一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」(以下FJ)。別に水産業に興味があったわけではなく、一回にフラットになって分野を絞らず一番ワクワクしそうなところを選んだらここだったというだけ。

最初の3ヶ月はパッケージされたオンラインのプログラムだったが、そこで満足せず6ヶ月延長して住み込みの長期インターンに。活動内容としては、インターン受入のプログラム設計から実際の受入対応など、いわゆる寮母。オンラインでは雰囲気しか分からなかったが、現地に行くとそこには本気で人生を楽しんでいる人たちがいた。「やりたいことって仕事にしていいんだ。」何か勝手につくっていた枠が一つとっぱわられたような気がした。

FJと並行して、インターンをさせてもらっていたのが、隣町女川町で活動するまちづくりNPO「アスヘノキボウ」(以下アスヘノ)。無理を聞いてもらって、週3日ずつくらいで行ったり来たり。

アスヘノでは、お試し移住プログラムのアップデートや、町民インタビュー企画の立ち上げ、連携しているさとのば大学の地域受入事務局などをした。眼の前にいる人たちと多面的に関われること、自分が良くしようと活動しているまちに自分自身も住んでいること。心地よい手触り感みたいなのを感じることができた。

たくさんの出会いに恵まれ、休学後半の半年はあっという間に過ぎた。

インターンを通して気づいたこと。興味があるから関われるのもあるけれど、(むしろ)当事者として関わるからさらに興味が湧くんだと。ずっと何かに興味が持てなかった理由は、一歩踏み出していなかったからだと。

そして港町から残り半年の大学に戻った。半年後の進路はまだ決まっていなかった。でもなぜか不思議とヤバいという休学前の気持ちは大分軽くなっていた。

単位は卒論を残してすべて取っていたので、残りの大学生活は北海道の地域を回ったりした。以前まちづくり系のイベントに参加したときに知っていたFoundingBaseも、そのときに現場も見させてもらった。その後ややあって、最終的に入社が決まったのは4年生2回目の11月。

決め手は、まちづくりに関わる仕事であること。尊敬できるメンバーがいる組織であること。北海道に残って活動ができればなお良し。

卒業論文は、2週間で書き上げた。

episode4.FoundingBaseに入ってから

ちょうど美唄拠点が立ち上がるタイミングだったこともあり、立ち上げから現在まで担当させてもらっている。

はじめは右も左も分からず、上司(当時は事業部がなかったので、リモートの代表と2人でやっていた)に良くボコボコにされていた。

また札幌にいるときはあまり意識しなかったが美唄に来て、試される大地とは良くいったものだと感じることがある。仕事だけではなく、生活でも”試されているな”と。特に豪雪の振る冬には。

冬は日が昇るのが遅いので明るくなる前に起きて雪かき1時間。日中働いて、暗い中帰ってきてまた雪かき1時間。その上、月の灯油代は4万の家賃を超えることもある。(築50年の一軒家を借りている自業自得なのだが)

そんな中でも、インターンで気付いたまずはやってみること。はじめは一定ストレスがあったが、慣れてきたら重力を感じずに動くようになっていた。何のスキルもない中で、楽しく最低限の成果が残せたのは、このマインドがあったからだと思っている。

それから2年ちょっと。着実に事業も大きくなりつつある。職員さんやまちの方にもすごく良くしてもらっている。そしてなによりもビジネスパートナーだけでなく、一緒に遊ぶ友達や一緒に語らう仲間ができた。

体制も整いつつある今、いよいよ美唄でもインターンを受けれることになった。

インターンについて

肝心のインターンの話を少しすると、内容的には美唄シティプロモーションを僕らと一緒に進めていく感じになります。インターン生用に設計されたプログラムもいいけれど、見なくてもいいことを含めリアルを体験してほしいし、僕らが日々感じている喜怒哀楽を一緒に共有したい。

自分がインターンで受け入れていただいた分、参加してくれる方に全力でお返ししたい。就活のためではなく、人生の気づきになれば。

新しいことにチャレンジするのが三度の飯より好きという人にぜひ来て欲しい。(ご飯はちゃんと食べてほしいし、健やかではあってください!)いや、自分がそうであったように、そこに苦手意識を持っている人にこそ、このインターンがその一歩目として来てほしいと思う。

迷っている方も、まずはラフにお話しましょう!詳細は以下のサイトをご覧ください。

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真船奮闘記 北海道美唄市地域おこし協力隊 / FoundingBase
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