親友とガンと
171本目。先日、ターミナルケア(看取りケア)に入っていた方が永眠されました。
気丈な方で、お茶目な方で、
冗談も言ってくれたり、家族さんも穏やかな方で、
笑顔が多い現場でした。
おうちがいい、と帰ってこられました。
きっと納得いく最期だったのかな、、、と信じます。
ご冥福をお祈りします。
そして、これまた先日、
親友がガンの宣告を受けたと聞かされました。
今日は「死」について考えます。
仕事で接する「死」
介護の仕事には、「死」は身近といえます。
まず高齢の方がほとんど。
介護職として、その利用者さんと知り合った時点で、
80歳とか90歳とか100歳とか、天命を全うする年齢にとても近い
さらに日常生活に支障があるような、心身の状態がある方
が、介護のサービスを利用する方です。
ただのお年寄り、ではなく健康状態や、認知症などで
困っている人です。
知り合った時点で、「死が近い人」ともいえます。
死の予感を意識しているか
普段の、介護の仕事で
常に「死」を意識していますか?
している人もいれば、していない人もいると思います。
でも、「死が近い人」というのは、誰もがわかっている。
高齢で、要介護状態なのですから。
そして、利用者さん自身も
自分の死が遠くないことは知っている。
いい介護=利用者さんが安心して暮らせる
だとすると、
死に向かう暮らしの中での安心
ということを意識しておくことは、とても大切だと思います。
いつきてもおかしくない、”そのとき”
満足したり、納得したりして、
最期のときをむかえられること
遠くない「死」に向かって、今をどう生きるのか
死の予感を意識して、日常を支える。
介護職として、とても大切な視点かなと思います。
家族や友人に「死」の予感はあるか
利用者さんに対しては、「死の予感」があるけど、
自分の家族や友人と普段接する中で、
いつきてもおかしくない「死」を意識するでしょうか。
身近な人を亡くしたことがある方は、
意識されているかもしれません。
そういうことがないと、意識することは少ないかもしれません。
まさか、うちの子に限って。。。
まさか、あいつが、、、
という「まさか、、、」
を感じるのは、「死の予感」を日常では感じないからだと思います。
ぼくは、親友とか、近い家族や親せきの方を亡くした機会が少ないので、まさしく「死の予感」を意識することは、あまりありませんでした。
ただ、介護職としては、
仕事で「死」を意識しているので、
自分の親など、死が近い人に対しては意識があります。
そして、突然の知らせをいただきました。
学生時代からの親友が、ガンのため治療に入る
というのです。
基本的に元気な人だったので、
「死の予感」を全く感じていませんでした。
むしろ、旦那さんが事業で成功していて、
「うち、いまお金持ちやで~」
って言っている始末ですから(笑)
いまだ現実味がなく、
ほんま?
という感じで、感情がフリーズするような
悲しくなるというより、信じられないというか
そんな不思議な心理状態になっています。
電話でしゃっべていて聞いたのですが、
声も普通だし、
「とくに元気やねん。なんとなくお腹痛いときもあるけど」
とは言っているけど、
話している感じでは「死の予感」を感じ取れないというか。。
それを感じられるようになると、
感情が揺さぶられるんだろうな、と思います。
誰もがいつか死ぬ
これは当たり前のこと。
でも、それを意識しているか
なかなか、しない。
でも、いつか誰もが死ぬとしたら、
そのときまで、今をどう生きるか
今をどう関わるか
今を大切にしたいな、と思います。
その人との今
は、もう二度とこないのかもしれないんだもの。
そう思うと、人との接し方が変わるかもしれない。
死を意識すること
今を大切にすること
人を大切にすること
やさしさ、につながるのかもしれない。
タイミングよく、大阪に行く機会があり、
この親友とも会えるので、
いつものように”いじる”だけでなく、
ちゃんと優しくしようと思います♬
いや、いつも通りいじって、
笑って過ごすんだろうな~~
それでいいのか、、、な♬
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