正義の”見方”は、誰の味方?

99本目。正義の味方について考えます。

仮面ライダーは、悪の秘密結社ショッカーによって、
改造人間にされ、世界征服をするはずだった主人公が、
恩師によって脳の改造手術直前に救出!

人間を守るための闘いに挑むようになる。
という、悪を倒す正義の味方という設定。

わかりやすい正義と悪の設定
でした。


しかし、平成仮面ライダー以降は、
悪にも悪側の事情もあったり、悪の人が仮面ライダーになるなど、

正義と悪、という2分構造ではなくなっている


どの立場から世界を見るか



結局、「正義」って、どの立場でものを見るかで、
みえてる景色や世界が、まるっきり変わります。


ぼくは、竹内涼真さんなど魅力的な俳優さんも多く
仮面ライダードライブ」が大好きでしたが、

正義と悪が分けられない、どっちもそれぞれの事情がある設定。

正義からみると、人々を襲う怪物。
悪からみると、異物を受け入れないのは人間。

そもそも怪人は、「人間の悪意」が生み出していた。


根っこにある「正義と悪」は、
簡単にどっちが正しいとも言いにくい。

戦い、話をし、少しづつ
お互いを理解し合える。

白と黒。正義と悪。

生きていても、そんなにハッキリ分けられることも少ない気がする。

相手の立場を想像してみる


この「ひと手間」を惜しんでしまう人が少なくない気がします。

ワイドショーなどの報道をそのままに受け取っている人も多い。

ちょっと想像する。ちょっと状況を考えてみる。
これだけで、見え方が変わるのに。


コロナ禍に宴会をしたYouTuberが叩かれていますね。

とはいえ、緊急事態宣言中でも
夜に営業してる飲み屋は実際にあったし、

そこで呑んでる若者、おじさんも目撃していました。
(ぼくは店の前を通りがかっただけです。念のため)

つまり、目立つ人だから、報道の名のもとに叩いている。

もちろん、彼らを褒めることはできないですけど、ね。

介護を生業にしている身としては、コロナ収束のためにも、
自粛をお願いしたい気持ちになりますから。正直!!

しかし、

これは、ぼくにとっての「正義の”見方”」


ただ、ここでも相手の立場になってみたい。

飲み屋さんとしては、自粛は死活問題。

テナント料、社員の人件費など固定費はかかるのに、
売上が激減するわけですから、、、

飲む人たちも、仕事や諸々で気晴らしもしたい。
仲間との親睦や、仕事の話をしている人もいたでしょう。

どうせ感染しても症状軽いだろうし、、、
高齢者と接することもないし、、、

などと考える人もいるでしょう。

結局のところ、、、

みんな、それぞれの正義で生きている


この日本で、東京で、三鷹市で、街の中で、
マンションの中で、家族の間で、、、

それぞれが「見ている景色」は「同じ景色」なんでしょうか。

たぶん違う。

なぜなら、それぞれの「正義の”見方”」があり、
価値観も一人一人違うから。


ぼくたちは、世界を”目”で見ているわけではない。

ぼくの目玉を、誰かに移植しても、
同じ景色には見えないはず。

目で見るのではなく、頭で見ている


誰しも、頭で考える価値観、正義の見方で、世界を見ている。

もし、「自分の正義が絶対」だと信じてしまうと、

相手の正義を理解できないし、理解しようとしなくなる。


人は、みんな違う。

日本は、「みんな同じ」が良いとされがち。

でも、実際には同じではない。


一人一人違う。

これが大前提で、相手の正義を知る努力をしないと、
人間関係うまくいかないと思います。

「正義の味方」のつもりが、
相手や組織の「正義の見方」とは違うかもしれない。


物事安易に「いい」「わるい」に分類するのは、
偏った世界にいる」ということ。


「正義の見方」が広がると柔軟になれる。

もちろん、受け入れられない正義を無理に受け入れる必要はなくて
ただ、そういう正義もあるということは認めないといけない。


偏った「正義の見方」で、
正義を押し付ける「正義の味方」になっていないか。


注意する客観性を忘れずにいたい。

日ごろのコミュニケーション、
ワイドショーを見るとき、
SNSを見たり発信するとき、


正義を押し付けない。

「相手の正義」を安易に否定しない。


どうやら、「この世の正義」は、

ひとつではない

らしいので。



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