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音楽を作りました

あけましておめでとうござます。本年もよろしくお願いいたします。

大阪の京橋のNTT西日本の敷地内にあるQUINTBRIDGE(NTT西日本)という施設の2Fで開催しているアート展示イベントに音楽作品を展示いただいてます。

と言っても一見するとただの絵画作品で、中央にあるQRコードをスマホで読み取るとSoundCloudに繋がってはじめて音楽が聞ける仕組みになっているのですが、作品にそういった説明を特に載せていないので恐らく作品を目にした99%の人がスルーしているんじゃないかと思ってます。

ちょっと今日は新年最初ということで毛色を変えて、ほそぼそと気づいたら15年ほど続けている音楽制作の話をしようかと思います。私の音楽制作の話なんかに興味ない世の99割の人にとっては全く面白くないnoteになりますので、予めご了承ください。


アートとして音楽と向き合う

アートイベントへの出展をお誘いいただいた時、ふと音楽をまた作ってみたい、という思いが湧きました。2年くらいのブランクになりましたが、常に何かしら音楽制作をするきっかけのようなものを探していた気がします。

そしてその際にはなるべく自分が伝えたいメッセージや意図みたいなものを徹底的に排除した作品を作りたいと考えました。

胸に湧き上がった感情や言葉が、自分の中で何かしらの意図や意味に結び付けられてしまう前に刈り取って、それらを団子状に丸めてしまって無理やり「作品」という札をつけて展示させるような、便器を「泉」と言い切って飾るような、そんな創作ができないかと考えました。

と、そんなことをぼんやりとアイディアとして浮かんだはいいものの、そこからは「じゃあどんな音楽を作ればいいのだろう」と悶々と考える日々でした。

言うなれば「思考の排除」をテーマにしようとしているのに、「いかに思考を排除するのか」を思考し続けていました。

最初は澤野弘之(進撃の巨人などの音楽家)のような、ゴリゴリに深いバンドサウンドにバキバキのストリングスを重ねた、Evanescenceみたいな音楽を作りたい!と考えて、実際作り始めてもみたのですが、何か違う。

そんな壮大でドラマティックな音楽を作ろうとする自分のどこかに「人から称賛されたい」という下心が見え隠れしているような気がして、なんとも手が動かなくなってしまいました。

創作をしようとするとどこかにどうしても他人の目を気にしてしまう。

ごく個人的な活動でもない限り創作において他者の存在は切り離せない問題で、むしろ本業としているデザインに関してはその他者との関わり合いの部分をいかに美しく設計するかを問われ続ける行為であったりもします。

でもやはりアートをする、と考えるなら普段やっているデザインからはできる限り離れた場所で創作をしたい。使っていない脳の部位のスイッチを入れ直したい。

そんなことを考えながら、「他人の目を考えず、ひたすら今の自分(制作をはじめた2023年10月時点)が気持ちいいと思える音楽をつくる」ということに真剣に向き合ってみることにしました。

誰かにこんな風に思われたい、とか、世の中にこんなことを伝えたい、みたいな無意識的に湧き上がる欲の皮を一枚一枚剥がし取っていき、自分はどんなものを求めているのか?何が好きなのか?ということを問い続けて作りました。

曲のタイトルは「図星」。曲を作ろう、と決めたときになぜか「タイトルは図星がいいな」と思ったのでそのままタイトルにしました。


作曲について

目指したのはミニマムな構成で音の余白感のある、20~30年ほど前のJ-POPバンドサウンド。

多様な音を重ねて厚みをモリモリにした2000年以降の音楽ではなく、もっと削り出したような荒々しさと耽美な空気感を纏った音を目指そうと思いました。作っていた当時の自分がそんな音楽を求めていました。

とはいえ正直目指してはみたものの、結局イメージにはたどり着けませんでした。むずい。
過去にも何度も挑戦してるテーマではあるのですが、やはりプロの作る音の世界観に届きません。ミニマムな構成ほど各パートのハーモニーの設計の妙が必要で、この点はシンプルなものほど難しいデザインにもやはり似ています。何十年も前に、現代と比べれば相当制限のある制作環境で生み出された風街ろまんが未だに邦楽の最高峰と言われているのもこういう部分に通じている気がします。

聞き返すたびに納得がいかず、ダメ押しでサビにピアノのリフも重ねました。でもこれはこれで「自分が気持ちいいと思う」音にはなったので一旦よしとしました。

作詞について

歌詞は諭吉佳作/menやリーガルリリーなどのティーンアーティストが作った、どこかシュールで、意味の接合が弱く、音の空間に言葉が浮遊しているような、それでいて涙が出るような儚さをまとった世界観に強く惹かれており、そんな言葉の装飾を自分の音楽にも施せないかと考えました。

そう言えばサビの出だしがⅣmのコード(Gm)なのは完全に崎山蒼太と諭吉佳作/menの「むげん」という曲のパクリだったりしてました。

しかし言葉は考えすぎるとどうしても歌詞が意図をまとってしまうような気がしたため、自分が好きな歌詞を横目に見つつ、ほとんど一筆書きで歌詞を作りきりました。

歌詞全体でのメッセージ性やまとまり感を考えることはなるべくせず(かと言って全く意味がないというわけでもないのですが)、センテンスごとに生まれるグルーブ感やメロディの起伏と合わせて音として発したときの心地よさがある言葉を探す作業でした。

そして作りきって改めて眺めると、ここも何か違う。一筆書きしてみると、歌詞を打ち込むスピードに語彙力が追いつかず、ところどころ表現が強すぎてノイズになったりしているように感じていました。

そのまま提出したものの、やっぱり納得行かず歌詞を3分の1くらい書き直してさっき音源をSoundCloudアップしなおしました(そんなことやっていいのか)

ちなみに歌詞を変えるときに、やらなけれりゃいいものをベースとギターの音量バランスもいじってミックスが崩れてしまったので、前のバージョンのほうが音質はいいです。バカヤロウ

Synthesizer Vがすごい

ボーカルはSynthesizer VというAIボーカルを初めて使ってみました。使い方はボーカロイドとかを使ったことある人ならすぐ使えるくらいにシンプルな設計。もともと開発者自身もボーカロイドに感銘を受けた中国人の20代の開発者が作ったものだそうなのですが、非常に歌のクオリティが高いです。

自分はEriという有料音源を購入して使いました。エディターと音源はそれぞれ無料版と有料版があるのですが、一旦使ってみる分には無料版のエディターと音源で十分なものが作れます。※自分もエディターは無料版を未だに使っています

SynthesizerV 無料版DL↓


まとめっぽい、抱負っぽいこと

さて、こんな行き先のふわふわした長文を書いて何が言いたかったのかというと、AIによって高速でクリエイティブの正解を無数に出せるようになった時代においては、こういう「意味性を排除した、非合理的な創作」の価値が高まるのは間違いないと思っていて、こういった他人の目や世界の進化などには全く関与しない、徹底的なまでの個人的なものづくりをどこまで突き詰められるか、という課題に今後真剣に向き合うタイミングがくるのではないかと考えています。

そんな感じで、とにもかくにも来年はこういう「わけのわからない個人的な創作」にもっともっと全力で取り組めたらと考えています。確か昨年の年初も同じようなことをnoteに書いていたのですが、考え方がアップデートされてない事実を見るに今年はインプット量が少なかったのでしょう。このあたりも見直したいです。

自分の中で音楽の創作意欲と音楽のインプット量には明らかな相関関係があるとわかっているので、音楽ももっと聞きたい。10年近く離れていたミスチルの新しいアルバム聞いたら不覚にも感動してしまいました。

アウトプットの面では昨年は102本のnoteを投稿できました。懲りずにほとんどデザインに関する記事だったのですが、今年もきっと相変わらずデザインのことを毎朝noteに書き続けていると思います。

本年も何卒よろしくお願いいたします。


個人的に気になった海外記事を週数本メモしてたりしますので、よければフォローお願いします。

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