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"笑えるけど笑えない先人たちの失敗"ドントテルミー荒井「教養として学んでおきたい太平洋戦争」

読書メモ#25です。今日は大人の教養TVでおなじみの教育系Youtuberとして支持を集めているドントテルミー荒井さんの著書「教養として学んでおきたい太平洋戦争」を読んだメモです。

荒井さんの動画が非常に見応えがあるので、ぜひこの人の本も読んでみたいと思い購入しました。

荒井さんの解説はその歴史の背後にある人間や各国の思惑を丁寧にまとめられており、時間を追うごとに変化していく戦局やそこでの人々の思いに手に汗握りながらまるで小説を読むが如く一気に読み切ってしまいました。

本書の冒頭部分からも引用すると

戦争!というと難しく考えてしまうかもしれませんが、戦争を起こした原因をたどれば、必ず「人間」に行き着きます。であれば、同じ「人間」である私たちは絶対に理解できます。

とあり、戦争という大きな概念を人間単位まで分解し、その行動や心情へフォーカスしていくことでより理解しやすく解説することが徹底されています。

太平洋戦争はほんの数十年前に実際に起きた事実であり、当時の人々の考え方や行動、そこから生まれてしまった失敗などは今日の私達にも多くのことを教えてくれるものでした。

荒井さん自身も意識的に中立的な立場での解説を心がけているところもあり、事実を受け止めてどう自分の意見を持つかの余白を残してくれている部分も読みやすかった部分に感じます。


追い込まれて戦争へ突き進んだ日本

太平洋戦争とは、第二次世界大戦の中、アジア一体を大東亜共栄圏という大きな経済体を作ろうと目論む日本とアメリカとの間で太平洋をまたいで各地で繰り広げられた戦争の総称です。
日本が大東亜共栄圏の形成を目指した戦争ということで当時の日本人には「大東亜戦争」という名前で呼ばれていたそうです。

では、そもそもこの戦争はなぜ起きてしまったのでしょうか。
太平洋戦争って言葉は誰もが知っているけれど、その発生の背景をちゃんと説明できるかどうか聞かれると怪しくなります。でもこの本ではきちんとその背景から丁寧に説明してくれます。

それは遡ること太平洋戦争が始まる12年前の1929年、アメリカの株価暴落をきっかけに発生した世界恐慌にその根本原因を見ることができます。

世界が一斉に不況となったため、資源の乏しく貿易に依存していた日本にとっては非常にマズイ事態になりました。
そこで日本は「貿易に頼ることないようにするには自国の領土を広げればいい」という考えに至り、最初に中国へ目をつけることになります。

当時中国大陸をまとめていた清という国が弱体化しており、もともと香港を植民地としていたイギリスを筆頭に、ロシア、フランス、ドイツなど様々な国が中国の広大な領土に手を伸ばしている時代でした。

その混乱に乗じて、弱いものイジメがごとく日本も加わりもともと中国の領土の一部であった場所に満州国という日本の傀儡国家を作ることに成功します。

しかし、当時は世界で1000万人以上の死者が出たと言われる第一次世界大戦からまだ15年と経っていない時期、当然そのような領土拡大の動きに対して日本は中国だけではなく世界中から批難を受けることとなりました。

そこからは、満州国を手中に収めたい日本とそれを認めない中国との間で日中戦争が勃発します。
しかしこの戦争は日本の予想に反して泥沼化の様相を見せます。

さらに日本の領土拡大への動きに世界中が反応しました。この前まで同じように中国の領土に手を出していた欧州諸国も含めて「それはやりすぎだ」と言わんばかりに世界中が日本への経済制裁を行い、中国を支援し始めました。
これは今日で言うなら日本がロシア、中国がウクライナと考えればほぼ同じ構造をロシアウクライナ戦争に見ることができます。

このように欧米・ロシアの大国をバックに据えた中国とやりあい続けるのは得策じゃないと判断した日本は、個別にアメリカへ中国への支援をやめるよう交渉を持ちかけました。
しかしアメリカは日本へ満州国を手放すことを絶対条件として突きつけたのでした。
世界中からの批難を浴びながらも多額の資金を投入し開発した満州国を手放したくない日本。両者の意見は折り合うことなく、ここから日本対アメリカで太平洋戦争が繰り広げられることになります。


アメリカを知る男が企てた真珠湾攻撃

ついに戦争へと腹をくくった日本はどのようにアメリカを倒せばよいか考えました。
そこで、当初は日本とアメリカの間にまたがる太平洋上で小規模な攻撃を繰り返して徐々にアメリカの艦隊を弱らせた後に本土近くで一気に叩くという戦法が提唱されました。
ですがこの作戦、実はその当時からさらに36年前の日露戦争中に実行された大昔の戦法で、とっくに世界各国に研究・対策されつくされたものでした。
しかし当時戦争で大敗したことない日本の慢心が旧来型の戦術に固執させていました。

そこに異を唱えたのが山本五十六という軍人。
山本はアメリカ留学を経験し、当時日本より遥かに科学的にも経済的にも発展していたアメリカの姿を見ていました。
そんな山本には日本がアメリカと対等に真っ向から戦争をしても勝ち目がないことがわかっていました。

そこで山本が提唱したのが「超短期決戦」でした。
開戦早々に全軍全力でアメリカへ強烈な一撃を与えて、その勢いでその後すぐに日本に有利な条件で戦争停止の交渉をするというもの。

そんな山本が目標としたのがハワイの真珠湾。英語名「パールハーバー」として同名の有名映画でも描かれたその場所でした。

真珠湾はアメリカ軍の大規模な基地があっただけでなく、日本とアメリカとの間の太平洋上にぽつんと浮かんでいるという点で地理的にも重要な拠点でした。
日本との戦争において、アメリカ軍は真珠湾を拠点に攻撃を展開するでしょうし、逆に日本がまず真珠湾を落とせば一気に戦局を日本側優位に持っていくことができます。

さらに山本はアメリカ国民の国民感情への影響も考慮していました。
当時のアメリカ国民にとって戦争とは遠い異国の地で行われていたものであまり自分ごととして捉えづらい状況にあったがため、いきなりハワイという自国の領土への進撃が行われたとなると一気に国民感情は反戦へ傾くと予見しました。

ハワイが機能停止し、さらに本国で反戦ムードが高まればアメリカは戦争どころではないという状況に追い込まれる。そこまでを見越しての真珠湾攻撃でした。

当初は旧来の戦術に固執する向きの強い日本国内ではこの斬新な作戦に対して批判的な意見が多く噴出しましたが、山本の綿密なリサーチと熱意に根負けする形で真珠湾攻撃は実行に移されることとなりました。


本当は大失敗だった真珠湾攻撃

真珠湾攻撃はアメリカ政府への宣戦布告の直後か、ややフライング気味に行われました。
1941年12月8日の未明に、艦隊を真珠湾までこっそりと集結させて一気に攻撃。相手への反撃の準備をさせないためでした。

日本の奇襲はアメリカへ大きな打撃を与えます。艦隊を次々と沈め、日本の攻撃部隊はほぼ無傷での帰還に成功しました。

しかし、当初の山本の目標は真珠湾を再起不能なまでに攻撃し、アメリカ国民の反戦感情を焚き付けてその勢いで一気に停戦交渉へ持ち込むというもの。
一方真珠湾攻撃においては確かにアメリカ軍へ大きなダメージは与えられたものの、船を修理するドックも燃料タンクも無傷のまま残されており、基地としての機能はまだまだ残っていました。つまり今後もアメリカの拠点として活用するのに十分な状態のまま撤退してしまったのです。

これは山本の作戦の真意が戦場の兵士にまでしっかり行き届いていなかったからだと言われています。真珠湾攻撃自体は実行されたものの、本来の目的は達成させられずに終わっていたのでした。


真珠湾攻撃をきっかけにアメリカ国民が団結

さらに悪いことに、中途半端に終わった真珠湾攻撃はアメリカ国民の反戦感情を呼び起こすどころか、国民を戦争へ団結させる結果となりました。

当時のアメリカ大統領、ルーズベルトが「戦争をしかけた日本人を許すな!」と大々的に呼びかけ、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉にアメリカ国民の戦争への協力意識が一気に高まることになりました。

これによって、当初は真珠湾攻撃の最初の一撃で一気に戦争の幕引きを図りたかった日本の思惑とは全く逆の方向へと突き進んでいくことになりました。

ここから日本人の心にも深く刻み込まれることとなる太平洋戦争が加熱していくことになりました。

太平洋をまたいだ攻防を繰り広げながらも着々と侵攻してくる米軍に圧倒され、最後は当時の最新兵器である核爆弾を2発打ち込まれ終戦を迎えることとなります。

この本は「真珠湾攻撃と原爆投下」という開始と終わりだけ何となく我々の頭にぼんやりと印象付けられている太平洋戦争について、その前後を含めた両国の駆け引き、思惑について丁寧にわかりやすく説明してくれています。


日本は救世主なのか侵略者なのか

さて、本当はざっと本全体の中で自分が面白かった部分だけでも要約してまとめられたらと思い書き始めたのですが、まさかの真珠湾攻撃で4000字超えてしまい、このままだととてもnoteにまとめきれない(これからまだまだ沢山面白い部分がある)ためここでやめにすることにしました。

ただ最後に非常に興味深かった表題の部分だけでも本書の内容をまとめてみたいと思います。

さて、真珠湾攻撃を契機に一層日本vs米国という対立構造が明確になり、太平洋上の国々を巻き込んだ大戦が繰り広げられることとなります。

そこで太平洋上の国々で戦闘を繰り広げ、領土を拡大しようとする日本をアジアの国々はどう思っていたのか。
韓国のように未だに日本への戦争責任を追求し敵意をむき出しにしている国がある一方で、台湾のように統治していたにも関わらず友好的に接してくれる国もあります。
この違いはどこから来るのでしょうか。

実は、このどちらか一方が歴史的に正しいということはなく、どちらもそれぞれ存在していた歴史の一側面だった、というのが本書を読むことで理解できます。

まずアジア侵攻における日本の表向きの言い分は「欧米諸国の植民地支配からの開放」や「大東亜共栄圏によるアジア同士の共存共栄の礎を築く」であったのですが、実際に統治を受けた国側からもそのようにポジティブな統治として捉えられる事例もありました。

それまで植民地として農作物を遠く離れたヨーロッパやアメリカへ搾取されていたアジア諸国の中には、統治されるなら同じアジアの日本のほうがマシという考えであったり、欧米人をアジア人が追い出しに来てくれた、という声もあったそうです。

そういった良い側面としての話として、今もなお親日国として友好的な関係を築いているパラオの事例があります。

パラオでは学校や病院、その他インフラ整備が日本によって推し進められて移住してきた日本人も現地民を極力日本人と同等に扱ったと言われています。

そんな友好的な関係を築いてきたパラオにおいてアメリカ軍との戦争が激化してくると、日本軍は一気に態度を変え、それまで仲の良かった現地住民へ差別的な言葉を浴びせて無理やり外へ追いやったそうです。

しかし、それは現地民を戦場から避難させるためのもので、現地民を乗せた避難船が出発する際には多くの日本軍が見送りに来たといいます。
結果的にパラオの人々はほとんど被害を被ることがなかったそうです。
このあたりのエピソードは4月に公開された動画でも語られておりとても感動的でした。

そんな素敵なエピソードもある一方で、マレー半島では鉄道などのインフラ整備のために多くの現地人が過酷な労働を強いられて、多くの人が体調を崩したり感染症の蔓延によって命を落としたと言います。

このようによく言われる「過去の日本の各国の統治は人道的だったか否か」という議論においては「その時と地域による」というのが正解のようです。


感想:歴史も世界情勢も人間が軸、だから不安定で泥臭く、面白い

この本を通して感じたのは、歴史とは「あの国は悪い」とか「あの人がいたから世界が良くなった」などという1側面を切り取った因果関係で語れるものではなく、実態は非常に多層的・多面的であり、そのどれにも良い面も悪い面があるということです。そしてある種の非合理的な行動も矛盾も存在しているということでした。

時代や国・政府という想像もできないほど大きな存在は、ともするとそれぞれがシステマチックに合理的で一貫した行動を取るように物事を単純に考えてしまうところもありますが、時代の流れも国の動きも究極的に分解をしていけば小さな「個人」という単位に行き着きます。
そして言うまでもなく「個人」は揺らぎやすく不安定で、ときに合理性よりも感情を重視したり、昨日言ったこととは全く別の行動をとってしまったりします。

そういった小さな個人の集合体たる国も時代の流れはとても「これはこう」という単純化した一直線の図式で語れるものではありません。
小さな個人の思惑が重なり合い、ぶつかり合い、それらが大きな国や世界のうねりを形作ります。

この本は大きな歴史の流れをダイナミックに描きながらも、その中にいた集団や個人の思惑も丁寧に描いており、太平洋戦争という題材を様々な角度から切り込んだ非常に面白い読み物でした。

あくまで事実に基づいた様々な視点から多層的に1つの題材が語られることで全体としての主張は良い意味でフラットにまとめられており、読者自身が「自分はどう考えるか」という思考を巡らせる余白を与えてくれています。

久々に読書に熱中して(超遅読な自分が)平日2日で読み切ってしまった本当に面白い本です。皆さんはどう考えますでしょうか。


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