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"生え抜きの日本人が仕掛けた「感動」による企業改革" 前田育男「デザインが日本を変える」

読書メモ#10です。

低迷していたマツダをデザインの力で一気に立て直した前田育男さんの著作です。

前田さんは新卒からずっとマツダ一筋のいわゆる生え抜きの日本人インハウスデザイナーなのですが、その肩書きからは想像できない(←偏見は承知の上ですが)ほど非常にアーティスティックで感覚重視な考えの持ち主です。
その非言語的な美のセンスをいろんな考えの人がいる大規模組織の中で理解を得て、有名な「魂動」のブランドビジョンを体現させるまでのストーリーに震えっぱなしな一冊でした。

同じようにメーカーに勤める1デザイナーの自分としては「これうちの会社のこと言ってる?」というくらいに内容に共感できるポイントが多く、それゆえに前田さんの葛藤やそれを乗り越えた施策の事例はまさに魂を動かされるものばかりです。

以前読書メモを書いた中西元男さんの「コーポレート・アイデンティティ戦略」を”(お金があれば)自腹で買ってでも社内に配ってまわりたい1冊”と書きましたが、この本は"頭下げてでも社内デザイナー全員に読ませたい1冊"と間違いなく言えます。もし途中まで読んでも心が動かなかったら自分がこの本の代金を肩代わりしてもいい。
ちなみにKindle版なら今だけ半額分がポイントバックされる(2020/08/11時点)みたいなので、もし身内の人がこのnote読んでたら本当に一旦ポチってほしいです。

カタチと言葉の両輪で共通認識を形成

90年代後半から続いたフォード傘下の時代から、本体の経営不振の煽りを受けて突然の独り立ちを余儀なくされたマツダ。このタイミングでフォードから派遣されていた外国人のデザイン本部長のポストが空いたことで、そこに白羽の矢が立ったのが生え抜きの日本人デザイナー前田さんでした。

前田さんは、それまで次々とフォードから派遣されるデザイン本部長ごとにデザイン方針も変わってしまっていたことを反省し、「日本らしさ」と100年近く続く歴史から「マツダらしさ」を汲み取り、それをブランドの強固な軸としようと情熱を注ぎます。

しかし急な本部長指名だったこともあり、情熱はあるものの具体的な方針を示すことができず、チームは余計に混乱してしまいます。デザイン本部の社内アンケートの結果も散々で、チームとしての結束力も最低な状況でした。

ドン底まで落ちた末にわかったのは、人に何かを伝えるには明確なものを提示しなければダメだ、ということだった。
(中略)抽象ではなく具象を差し出さないと、相手はこちらのイメージを理解できない。つまり”カタチによるメッセージ”➖私に必要なのは、まずそれだったのだ。
(中略)チームでイメージを共有する上で、カタチと同じくらい重要で欠かすことができないもの、それは言葉だ。
まずカタチがあった上で、それを体現する一言があることでカタチは一層明確な像を結び、相手に伝わりやすくなる。つまり大事なのはカタチと言葉➖まるで車の両輪のように2つが並び揃ってこそ初めて相手を動かす力が生まれるのだと私は強く信じている。

上の引用が全てですが、前田さんは「カタチ」とシンプルに洗練された「言葉」によってチームの共通認識を図り、マツダデザインの向かうべき方向性を示そうとしました。

それは前田さんの「デザイン本部は心で結びつかなくてはならない」という思想から来ており、長い文章でくどくど説明するようなものではなく、一瞬でリーダーの想いを直感できるようなカタチとシンプルな言葉を作ることにしました。

そしてマツダデザインの"カタチ"の象徴として「ご神体」(写真)が、"言葉"として「魂動」が生まれました。

ご神体は野生生物が獲物を捉えるときの動きから連想された躍動感、生物としての骨格感(特に「背骨」を重視しているそう)、そして日本的なミニマイズの精神を表現したもの。
そして、そのカタチを伝えるコミュニケーションとしての言葉が「鼓動」から発想された「魂動」となりました。

魂動デザインでブランドイメージを押し上げた「SHINARI」

そして魂動というキーワードと共に2010年イタリアにて発表されたのがビジョンモデル「SHINARI」。これが非常に高い評価を受け、新たなマツダを全世界に知らしめるものとなりました。

前田さんの信念として、デザインはまず「カタチ」で見る人を一瞬で圧倒させ、感動させるものでなくてはならないというものがあります。
いくら言葉で論理的な説明ができたとしても、最初の一瞬、新製品であればその製品のベールが取られた瞬間(アンベール)に見る人の心を動かせなかったら駄作であるという覚悟のもと、SHINARIは発表のギリギリまで調整されました。

また、このSHINARIは単に魂動デザインの初の体現というだけでなく、前田さんにとっては「マツダをカジュアルブランドから脱却させたい」という思惑もありました。

これまで、フォード傘下に入る以前からマツダは時流に合わせて作りたいものを作り、売りたいものを売るという姿勢のものづくりで、ブランドとしての一貫した軸がないまま自動車を次々と開発していました。

そこからフォード傘下に入ったことで「子供の時感じた動くものへのワクワク感の想起」というイメージからこれまた有名な「Zoom-Zoom」(日本語的には「ブーブー」に近いニュアンス)というブランドコンセプトが立てられたものの、前述のように数年おきに次々フォードからデザイン本部長が送られてくるような状況もあり肝心のブランド哲学が不在な状況が長く続きました。

さらに会社の経営自体が危うい状況が続いたこともあり、そもそもブランド戦略を社内でおおっぴらに議論するような雰囲気も余裕もなかったとのこと。(こういう「社内の雰囲気」に強く影響されてしまう部分にインハウスデザイナーとしての共感する部分が多いです、、)

前田さんはそれでも「マツダを欧州メーカーのようなプレミアムブランドにしたい」という想いを掲げ、社内からの反発を得ながらも「SHINARI」によってそれらを力技で封じ込めました。
※ここでの社内からの反発についても「根回しが足りてなかった」と回想するらへんにやはりインハウスデザイナーとしての共感を覚えてしまいます

市場調査はやらない-デザインをマーケティング重視からものづくり起点へ

これまでマツダは様々な車種の新製品のプロトタイプをそれぞれ顧客に見せて「ここのかたちはこうしたほうがいい」とか「こういう色があれば買うだろう」といった意見をもらうという市場調査を重視していました。

それは「どういうものが顧客に受け入れられるのか」という非常にわかりやすく強力なデータが示される一方で、そればかり重視してしまうとメーカーとしてのポリシーが消え、ブランド価値を構築できなくなります。
また、5年、10年先の未来を見つめているものづくり現場と「今欲しいもの」という現在に主眼が置かれている顧客との間には意識の乖離がどうしても生まれてしまいます。

とはいえ、これまでの文化もあり市場調査を全くなくす、ということはできないため、前田さんが取った施策は「ビジョンモデルのSHINARIで市場調査を行う」というものでした。

SHINARIは単なるブランドのイメージを体現させた空想のコンセプトカーではなく、近い将来の量産化までを見通した現実的なモデルとして「ビジョンモデル」と銘打っていました。

(ちなみに、前田さんがトップになる前のフォード傘下時代に発表された「コンセプトカー」がこちらです。SHINARIと比較するとより「ビジョンモデル」が何かがわかるかと思います。)

つまりSHINARIは今後のマツダの進む道のすぐ先にあるビジョンであり、それを市場調査にまわすことで今後進むべき道の妥当性を判断しようとしました。

SHINARIの反応はやはり非常に好評で、魂動デザインとしての方向性が妥当であることが市場調査からもお墨付きをもらうことができました。

これは、マーケティング重視のデザインからものづくりの現場起点のデザインへの移行だった、と言います。ひとつの信念を貫くブランドの考え方として、この部分は非常に重要な要素だと思いました。

ちなみにこれは2019年発売のMAZDA3。2010年発表のSHINARIのDNAが未だに根づいています。※ただ厳密にはSHINARIの後に発表されたビジョンモデルの量産機という位置づけ

強固なチーム作りには連続的な成功体験を

チーム作りの上で、メンバーのモチベーション維持はリーダーの必須要件です。そしてそれには「連続的な成功体験」が必要だと言います。

前田さんはこのことを念頭に、イタリアでのSHINARIの成功に留まらず、次々に二の矢、三の矢を放ち続けました。
前田さん曰くひとつの成功が生まれたときは次の矢を放つ好機であり、組織をダイナミックに飛翔させる千載一遇のチャンスであると言います。それによって加速度的にチーム内の熱狂度が上がっていったと言います。

ちょっと数が多いですが、特にすごいのは2016年のロードスターによるワールドカー・オブ・ザ・イヤーとワールドカー・デザイン・オブ・ザ・イヤーでしょうか。

とにかく前田さんは繰り返しメンバーへ理念を語りながら、ブレないアウトプットを投入し、それが市場で評価される、というサイクルを意識的に繰り返し生み出していくことをしました。

他部署への本気デザインプレゼンによる意識共有

デザイン部署内の結束は連続的な成功体験によって強固なものとする一方で、他の設計、開発やクレイモデラーなどデザイン部署以外のものづくりに携わる人たちへは各デザインについてデザイナーがその中にある想いを直接伝える「デザイン戦略カスケード」を行いました。

ものづくりの部署の人たちを部署ごとに一同に集めて、そこでデザイナーがその人達に作ってもらう車のデザインについての想いを直接伝える場で、それまで縦割りの強かった組織の中でも、デザインの観点から横串で共通認識を持ってもらうことを狙った施策でした。

これだけならまぁデザインに理解ある企業であれば行っているものかなぁとも思ったりしますが、そこへの意気込みと力の入れ方がすごい。

デザイナーはそのデザイン戦略カスケードへ向けて、デザインを紹介するために念入りにプレゼンの構成を考えて、コンセプトムービーまで制作すると言います。相手はお客様ではなく社内の人間に対してなのに、です。

そこにも前田さんの「人を動かす一番強力な手段は感動」「最初の一瞬で勝負が決まる」という哲学が色濃く反映されています。

とにかく社内の人間を感動の力によって鼓舞させる。理屈での理解より、もっと心の奥のエモーショナルな部分への作用を促す。それによって、実際社内のものづくりの人たちのモチベーションも上がり、デザイン部隊とのコミュニケーションも非常に活性化されたと言います。

デザインの好き嫌いを超越した”オーラ”を信じる

ここまでの前田さんの施策を読むと感心する一方で、非常に非言語的で感覚的なレベルでの共有の度合いが大きいことを感じます。

デザイナーの恐らく誰もが悩み続ける問題として「デザインの判断は最終的に個人の好き嫌いに依存してしまう」というものがあるかと思います。
どんなに自分が良いと思ったものでも、デザインにはわかりやすい指標や数値化、言語化できない要素が多く、いくらロジカルな説明ができたとしても最後は決裁権のある人の好き嫌いの感覚に委ねられてしまうというもの。
そしてその個人の好き嫌いの感覚は人によってバラバラな上に外部から作為的に操作することが極めて困難な、人間の心の根幹にあるピュアな感覚であったりします。
しかし前田さんの事例を見ていると、感覚的な共有が図られる中で個人の「好き嫌い」への言及がありません。その点に関しては少し疑問を持ちながら本を読み進めていました。

ちなみにこの問題に関して、以前読書メモに書いた私が大好きな中西元男さんの場合は、自身の豊富な経験と知見によって、極限まで相手の好き嫌いでの判断の余地をなくすというアプローチに感じます。
ある意味デザインで語れるロジカルな部分を最大化させ、とことん論理と経験則でもって「最適解」的なデザインへ相手を誘導させるというもの。

自分はこの考えが好きで、自分の仕事の中でも心がけるようにしていますが、前田さんの場合はやはり感性的なデザインへの信望が強く、異なった考えを持たれていたようです。

前田さん曰く、「デザインは好みで判断される」という部分があることを認めた上で、その好き嫌いを超越した「オーラ」のような存在を語っています。

一人の作家(デザイナーに限らず、伝統工芸の職人などでも)が”これ以上のものは作れない”というレベルにまで作り込んだものには異様なオーラが宿る、というもの。

そこには「カッコいい」とか「美しい」と言った個人的な好み感覚を超越した「これすごい!」という感情を呼び起こす力があると言います。

前田さんが目指しているデザインはこの「これすごい!」の領域のデザインだと言い、それができたからこそ社内の意識を一つにまとめることができたと振り返っています。

感想:インハウスデザイナーのイメージをぶっ壊された!!

自分がメーカーのインハウスデザイナーということをガン無視して書きますが、ある程度の規模の会社でずっと働いている生え抜きのインハウスデザイナーって「保守的」で「美の追求よりは社内に不要な波風をうまない」ために「要件を満たす論理を重視」する人間のイメージが強いのですが、前田さんはその真逆も真逆な人物でした。

大規模な組織であればあるほど、非論理的な「美」を基軸にした方針を多くの社員の合意を得て打ち出していくことは非常に難しい。

そのためインハウスデザイナーはあれこれデータや論理を集めて、自分の提案の妥当性を打ち出そうとしますが、時として自分が感覚の部分で「これが良い」と思っているものと論理や理屈が噛み合わない場面が出てきます。

しかしそれを前田さんは圧倒的な熱量を込めたデザインと、「ひと目見た時の一瞬の感動」をとことん追求し緻密に練りあげた戦略によって社内の意見をまとめ上げていきました。それはもちろん前田さんの圧倒的な造形力に裏打ちされたものではあるのですが、その前田さんのとことん感動を追求して社内の合意形成を図っていくという姿勢に同じインハウスデザイナーとして心を震わせられました。

間違いなく今後も何度も読み直して自分のバイブルとする一冊になると思います。うちの会社で講演とかしてくれないかな、、

あと完全に余談ですが昨年まで自分は地方で勤めていたため自家用車として旧型のMAZDAのDEMIOを所有していました。値段と性能とデザインのバランスでこれが最高と思い、わりと色などもこだわって中古車を探していたのですが、このDEMIOを手掛けたのも本部長になる前の前田さんだったとのことでちょっとうれしくなりました。

DEMIOに関して言えば魂動デザインの現行モデルより、こっちのほうが愛嬌があって好きだったりします。

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