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NFTから「良いコミュニティの作り方」がわかったかもしれん

"しれん"ってナンダ

ここ最近ちょくちょくNFT関連の記事を書いていますが、各所でNFTにおける重要な要素として「コミュニティ」の存在があげられています。

現在世に多く存在するNFTの価値は単に「周りにドヤれる画像」そのものにあるわけではありません。NFTには「コミュニティへの参加権」という意味合いがむしろ強く、魅力的なコミュニティに対しては当然その参加権の需要も高まり、結果としてNFTの価格が向上していく、というカラクリがあったりします。

以前の記事でも述べましたが、NFTの面白みはまさにこの「コミュニティの価値化」にあると考えていて、コミュニティに属する人たちが自身のコミュニティを魅力的に盛り上げていくことで自分の資産価値を高めることができるという側面に多くの可能性を感じていたりします。

そんなわけで「コミュニティ」の重要性が高まっているわけですが、体系化されたコミュニティづくりのレシピはどこにも存在せず、上手く駆動しないコミュニティが後をたちません。

それだけ人間は複雑だし、集団のコントロールは困難ということも言えるかと思います。

とはいえ自分も何か大きな実績を挙げているわけではないので偉そうなことは言えないのですが、最近ぼんやり考えたことを記録としてまとめてみようと思いました。

個人的には良いコミュニティの形成に必要なものは3つあると考えていて、そこを実体験を踏まえながらなるべく抽象論に終わらず、具体的に踏み込んで書いていけたらと思います。

別に優しいコミュニティはNFTだけじゃない

NFT関連の情報を漁っていると、多くの人が「NFTコミュニティの人たちはみんな優しい」と口々に言います。

昨日Voicyで公開されたイケハヤさん×鴨頭さんの対談でもこのことについて語られていました。

実際自分もNFTを購入してTwitterやDiscordのコミュニティに参加したりしているのですが、コミュニティ全体が優しいのはガチです。

100人もフォロワーのいない自分のNFT用Twitter(※よければフォローしてね)のツイートに、NFT界隈のフォロワーの人からのRTやリプライがよく来ます。こういう文化って太古の昔のTwitter黎明期には存在した気もしますが、今となっては知人ですらリプライや個人のツイートのRTなんてしないですよね。

そしてDiscordの中のコミュニティも自己紹介をすれば必ず数件リプライが届きます。質問をしたら丁寧に誰かが答えてくれます。
普通に考えて、見ず知らずの人間の不特定多数へ向けた自己紹介や困りごとのコメントを読んでわざわざ回答を返す奇特な人ってふと現実世界に目を向けて、どれくらい頭に浮かびますか?

Webカメラも付けず最初から最後まであいさつすらなく黙っていなくなる人が過半数を超えるようなZoom会議が連日行われる弊社とは真逆の世界観が繰り広げられています。

そしてもし、自分が周りに誰も知っている人がいないコミュニティで見ず知らずの人が声をかけてくれたらめっちゃ嬉しくないですか?

ネットの普及で希薄化した人間関係の中で、こんなにも血の通った場所があったのかと大げさではなく思います。

ただ、すでにこの章の冒頭でネタバレしてますが、「これって別にNFTじゃなくても実現してたよね」と思い至ったりしています。

そこから翻って、こういう優しいコミュニティはどう生まれるのかを考えていこうというのがこのnoteの主旨です。いつものごとく導入が長いですが、少々お付き合いください。


巷に隠れる「良コミュニティ」からコミュニティを分解する

新参者に対して優しく、見ず知らずの人同士がお互いを気遣い合って言葉を交わし続けるコミュニティは最高です。この言葉の掛け合いこそが良コミュニティの最大の特徴であり、最低条件と個人的に考えています。
もちろんNFTのコミュニティもそういった空気感はあります。

ただ、そういった良いコミュニティはまだ他にもあるなぁと思っていて、何となくNFTコミュニティ(DAO)に感じる空気感に近いコミュニティを私見で挙げます。

・オンラインサロン
自分がDAOに感じる空気感に最も近いと感じたのがオンライサロンです。
自分は複数のサロンに入っているのですが、どこも程度の差はあれど参加者同士の交流が盛んで、みんなが優しくフレンドリーです。

・スポーツジム
これも程度の差があるかと思いますが、ここにも似たコミュニティ性を感じています。
自分はほぼ毎日ジムのスタジオレッスンに行っているのですが、そこに集まる人はだいたい顔なじみで、みんなで毎日挨拶をしたりレッスンの準備や片づけなどを自然と助け合う文化ができていたりします。

この他にももしかしたらママさんバレーや社会人フットサルサークルとかも入りそうな気がしますが、どれも自分が体験したことがないのでひとまずこの2つのコミュニティをとっかかりにnoteを書きすすめてみます。

規模や親密さなど差は色々あれど、この2つのコミュニティと、注目の集まっているDAOとを見比べて、どのような共通項があるのかを因数分解して考えてみました。


要素1:課金させられる

まず良いコミュニティづくりには「課金」が必要のように感じます。

DAOであればNFTの購入資金、オンラインサロンやスポーツジムは月会費がかかります。
ではなぜコミュニティ課金が必要と考えるのか。

それは言葉を選ばずに言えば「人の選別」です。

課金とは往々にして投資の側面を少なからず持ち合わせています。この会費に対する見合ったリターンがあるのかという博打を誰もが打っています。

そして、この「博打を打てる人」が集まるコミュニティというのが良いコミュニティ必要要件な気がしています。

ちなみに言うまでもないですが、パチンコや宝くじなどの本当の博打のことは指していません。あれらは「ほぼ確実に負けると分かっている」性質のものであり、演劇や映画などのエンタメを買っているに近いものと自分は思っています。

話を戻して、「博打を打てる人」はある程度の資金的余裕がある人です。
オンラインサロンは安くとも月1000円はかかるし、スポーツジムも1万円程度かかるでしょう。日々の生活に金銭的にも精神的にも余裕がある人でないと、役に立つか立たないかわからないものであれば月額1000円だって渋る人が大勢いるはずです。

しかしこの課金というハードルが防波堤となって、ある程度の人間の選別機能を果たしているのは間違いないと個人的には考えます。


要素2:面倒が伴う

コミュニティにおけるリターンを享受するために多少の面倒があり、リターンを得るかどうかは不確実で自分次第という性質のコミュニティは良いものとなりやすい気がしています。

DAOもオンラインサロンも自分が積極的に発信をしたり、情報を追わない限りメリットを享受できませんし、スポーツジムも通わなければ月額費はまるまる無駄に終わってしまいます。

しかし、この「面倒」を全員が共有しているからこそ、面倒なことを頑張ってしようとしている人に対して暖かく迎え入れる文化が自然と醸成するような気がしています。

大抵このような面倒を伴う上に不確実性があるものに触れてみようという好奇心がある人は、日常生活も比較的安定的な充足感を得ている人が多く、その精神的な基盤の上で新たな1歩を踏み出そうとする人の割合が高いような肌感覚を持っています。

リアルの生活が安定しているから、未知のコミュニティにおいてもリスクを恐れず果敢に人と交流して、より自分の生活にハリを持たせようとしているのかなぁと推察しています。


要素3:共通課題とマイノリティ性

ちょっと無理やり感ありつつですが一つにまとめてしまいました。これらもコミュニティの結束や帰属意識を高める意味ではこの要素も無視できないものと考えます。

内部の結束を高める意味では、参加する人に一定の共通の課題意識や、ある時は共通の敵が必要だったりします。昨今の企業ではこれを「パーパス」やら「ビジョン」と言い始めたりしている気がします。

DAOであれば共通の課題や世界観を共有していたりするし、オンラインサロンも何かしらの目標や近い価値観の人が集まっていますし、スポーツジムも毎日スタジオレッスンに参加するようなくらいの人だとやはり似た価値感を持つ人が集まっている傾向を感じます。

「そのコミュニティに所属している人は少なくともこんな人達だよね」ということが担保されていると見ず知らずの人でも距離感がぐっと近くなったりします。

さらにそこに加えて「マイノリティ性」が加わるとその結束がより強固なものになります。極端な話「自分たちは大多数の世間からは迫害されている」くらいにまでなってくると、その内側の組織の連帯感はめちゃくちゃ高くなります。

そこまで極端ではないものの、NFT界隈で言えばコミュニティの枠を越えて「自分たちはまだまだマイノリティでこれからもっとNFTを盛り上げていきたい」という強い課題意識から横のつながりを作って仲間を増やそうとする力学が働いているようにも見えます。
NFTの画像をアイコンにしているTwitterを無作為にフォローし合うようなことがNFT界隈では行われているのもそこに起因するものが少なくないでしょう。

カンの良い方なら気づいてくださっているかもしれませんが、まさしくこの「共通課題とマイノリティ性」に根ざした組織構造は宗教のそれそのものだったりします。

「NFTってなんか宗教じみてて怖い・・・」という声が増えれば増えるほど、NFTコミュニティはどんどん結束を強めてもっともっと盛り上がりを見せることでしょう。

ただ、さすがにもう情報感度の高い多くの人達の中ではNFTに関して疑義の意見を表する人が少なくなってきてしまったので、NFTもこの段階はすぎつつあるのかなぁと肌感覚として思っていたりします。


コミュニティは面白い!

このコミュニティつくりに関しては実は前々から興味がある分野で、何回かnoteでもトピックとしてあげていたりしました。

思えばWeb2.0の黎明期(mixiが拡大し、イケてる人がTwitterをやり、facebookが過疎っていた時代)は、様々な小規模な趣味系のSNSが乱立して、そこで活発な交流が行われていたりしました。

特にVOCALOIDで楽曲制作をしていた自分が入り浸っていたのは、VOCALOID好きが集まるSNSである「にゃっぽん!」(※現在は閉鎖)で、そこで様々なクリエーターやファンの方(私にも当時はいたんです、本当です)と交流していました。

自分は今のWeb3.0の世界観はどちらかというとそんなWeb2.0の黎明期に近いニオイを感じていたりします。

その後Web2.0の世界ではmixiは消え、Twitterは一般インフラ化し、Facebookはオッサン御用達SNSになりました。有象無象の罵詈雑言や便所の落書きやSNOWで悪魔整形された自撮りがスマホからあふれ出る時代になりました。

そんな中でも、Web3.0の世界には遠い昔の「生暖かいネット世界」の面影を感じています。

そんな懐古厨おっさんの戯言でした。ではでは

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@やました
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