なぜ"普通のデザイン"がデザインの正解と言われるのか【海外記事メモ】
今日はこの記事を取り上げたいと思います。なお、写真も以下の記事から引用いたします。
デザイナーとしては当たり前すぎて忘れがちですが、デザインは情報を整理して極力無駄なものをなくした状態が良しとされています。おそらくジャンル問わずデザイナーとして働いている人でこういうディーター・ラムス的な哲学に疑問を持つ人は少ないと思います。
ですが翻って「なぜ無駄のない普通でプリミティブなデザインが正解なのか?」と言われるときちんと説明するのが難しかったりもします。
今日はそんな「なんでこういうデザインが良いとされてるんだっけ?」ということを改めて考え直す記事を読んでみたいと思います。
内容はプロダクト(インダストリアル)デザインの話ですが、考え方としてはデザインの根底に通じるものだとも思うため、よければお付き合いいただけたらと思います。
本日もよろしくお願いいたします。
普通なデザインが最強
「Ordinary (普通な)」デザインというものを想像した時、まず浮かぶのは「シンプル」で「つまらない」という言葉です。
シンプルデザインという言葉は良いイメージがある一方で、「つまらない」という言葉はデザインの完成品の目指すべき姿であると捉えられることはありません。
では「普通のデザイン」はプロジェクトの成功にとってはネガティブな要因となるのでしょうか?
いいえ、実際は真逆の効果をもたらします。
世にある多くの成功したプロダクトたちは完璧なまでに普通なデザインに収まっています。
では、なぜ普通なデザインが多くの場面で競争優位性を得ることができたのでしょうか。考えていきましょう。
普通なデザインと普通じゃないデザイン
デザイナーは新しい製品を作る際は本能的に全く新しくてエキサイティングなデザインを作ってやるぞと意気込みます。
一方で、可能な限り退屈なデザインにならないようにかっこよくトレンドに合うようなフォルムを生み出そうとします。
しかし多くの場合は、デザインの最適解は「普通なデザイン」です。
例えばもしトヨタのカローラを街中で見たとしても、そのデザインに特別な何かを感じ取ることはできないかもしれません。トヨタカローラは退屈なデザインの最もメジャーな例のひとつであり、どこでも見みかける製品です。
ユニークな特長を廃したデザインは、他の車種と見分けることを困難にしています。
一方で同時に光岡自動車のOrochiを見たときには多くのポイントがあなたの心に残るものとなるでしょう。スポーティなシルエットや魚の口のような前方のグリルがOrochiを印象的なものにしています。
まるで車自体が「私を見て!」と叫んでいるようです。
ここでの疑問は、なぜトヨタカローラのような車は多く見かけるのに、Orochiのような車はめったに見かけることがないのでしょうか?
答えは簡単で「ユーザーの好み」です。
普通のデザインとその成功
他と違うみためであればあるほど、人々にデザインのインパクトを与えることができます。しかし、特徴的なデザインは潜在的な顧客を取り逃す要因にもなります。
光岡自動車のOrochiを見た時、それを好意的に捉える人もいれば不快に思う人もいるでしょう。
しかし、トヨタのカローラは違います。カローラ自体には顧客に感情的な衝撃を与えることが少ないですが、それは実際にトヨタ自身が意図している部分でもあります。
多くの異なるターゲットに訴求できることがデザインの大いなる成功には求められます。中年男性でも高齢女性でも、あるいは若い人たちですらカローラを運転するような姿は想像できるでしょう。
プロダクトデザインの目標のひとつは、最も多くの人々の課題を解決することにあります。普通のデザインは人々に嫌われることがなく、それゆえに大多数の人々の課題解決に寄与することができるのです。
しかしなぜ人々は普通のデザインを選び勝ちになるのでしょうか?
普通のデザインは視覚的にも感情的にも容易に親しみを感じることができるものです。人々はそのデザインに心地よさを感じるため、多くの支持を得られるのです。
もう一つの理由として、普通のデザインは多くのシーンで使いやすいという点も挙げられます。トヨタカローラであればタクシーでも、自家用車でも、社用車でも使うことができるでしょうが、Orochiはそうもいきません。
普通のデザインの車は様々なケースで使うことができるポテンシャルがあります。
社会はどんどん多様化しているため、製品製作者は人々が持つ多様性を包括し、安全なデザインを目指さなくてはいけません。普通のデザインはできる限り攻撃性を廃したものでなくてはなりません。
製品自体が環境に溶け込み、我々に気づかないくらいにまでになることを目指してください。そういったプロダクトが正常に駆動すれば、より社会は幸せになっていくことでしょう。
何かを主張するためにデザインを使うこと
自動車製造業者の中には、彼らの主張を体現するためにデザインを利用することもあります。例えばTeslaのCybertruckです。
Cybertruckがメディアに公表されるやいなや、大きな話題となり、多くのネットミームが生まれて揶揄されました。
イーロン・マスクは2021年末までに販売することを公言していましたが、2022年の現在でも発売がされていません。この事実はTeslaの目的が収益拡大のために市場への投入を目指すことにあるのではなく、話題を生み出すことでブランドを認知させることにあったからと推測されます。
そのため、彼らは私達が見慣れないフォルムをあえて発表したのでしょう。そのため、Cybertruckが市場に投入されるころには、そのデザインは公表されたものとは全く異なるものとなっていることでしょう。
今一度、どんなデザインが良いのか?
20世紀の最も偉大なデザイナーの一人であるディーター・ラムスは、良いデザインの10か条を示しています。
その中のひとつは目立たないこと、です。
プロダクトは装飾的なオブジェクトでもアートでもあってはなりません。プロダクトはただそれ自体の目的のための道具でなければなりません。
それゆえにデザインはニュートラルなものでなくてはなりません。
これは果たして常に退屈なデザインを作ることを意味しているのでしょうか?いえ、その必要はありません。
私たちは常にデザインの対象とするユーザーが何を求めているのかを理解し、彼らのためにデザインを行うべきです。もしOrochiのようなデザインをつくるときは、多数派の市場を狙いに行かないという発想が必要です。
一方で、裕福な自動車愛好家の中にはそういったデザインを好んで多くの資金を費やしてくれる可能性もあります。
そのため、私たちはどの顧客層に対してアプローチをするのかを検討した上で、その中でデザインを評価する必要があります。
デザインは課題を解決するために存在しています。そしてデザイナーは何の課題を解決すべきかをつねに考える必要があります。
感想:記憶に残らないデザインを良しとしてよいのか?
記事の中では「デザインとは普通で記憶に残らないもので構わない」という言及も見られましたが、自分はそこに対しては少し疑問が残ります。
デザインとは、例えそのディティールまで詳細に記憶に刻まれなかったとしても、人の脳の奥底にぼんやりとした印象が沈殿していき、その印象から生み出されるイメージをもとにブランドを作り出していく営みであるという側面もあると考えます。
もちろん、記事に書いてあるような「普通なデザイン」はビジネス合理性の上では正しい側面もあるかもしれませんが、全く特長を配して周囲に溶け込むことだけを志向するデザインは別の部分で大きな欠落を抱える危険性をはらんでいるようにも感じます。
ゼロイチで極論を考えるのでなく、それぞれのアプローチの特長を理解した上で割合や配合を考えていくようなバランス感覚がデザイナーに必要なのだろうと感じました。
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@やました
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