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表現者ってなんだ?

こんにちは。初めまして。前川結佳と申します。

さて、これまで私のnoteをいつくか読んでくださってきた読者の方々はご存知かと思いますが、私は24年の春にムサビ通信(通信制美術大学)を卒業しました。そしてその後アルバイトをしながら作品制作を継続しています。

通信と言えども、美術大学を卒業した私は、卒業した直後は『私は美大卒!!』という謎の高揚感や幸福感、自信などを感じ、心が満たされていました。前回のnoteにも書きましたが、私は表現者として生きていくぞ!と決めています。……ですが、そうと決めてはいるものの、やっぱり私ってフリーターだよなとか、いやいや表現者!表現者なんだよ!とか、自分のポジション/カテゴリーがボヤけている感覚から抜け出せずにいます。そして『私って一体何?』という疑問を卒業してから約1ヶ月半抱え続けています。


私個人の意見では、表現者/画家/アーティスト/artist/作家…とは自称することができるものです。つまり、自分でそうと認めてしまえば誰でもいつでもなれるものだということです。
例えば、美大卒業生だからとか、個展などの展示を〇〇回やっているからとか、作品を販売して生計を立てているからとか、なにか明確な指標があれば分かりやすいのでしょうが、私はそんなものは無いと思っています。
以前は、作品を販売してその売り上げだけで生活を成り立たせている人=画家だと考えていました。ですが、別に仕事をして収入を確保しながら制作と発表を行なっている方々の存在を知り…というか寧ろそっちの方が多いということを知り、この考えが改まりました。

考え方や捉え方が変化したことで、私もアルバイトをしながら制作をしていくことが誰かに劣っているんだとかいう考えも変わっていきました。

けれど、どうしても誰かと比べてしまうのです。もう癖になってしまっています。
既に評価されている方々を見る度に、必ずいまの自分との差を感じて劣等感を抱くのです。(私が評価されていると感じている方が、その評価に満足しているのか?とか何かに苦労している/苦労してきた可能性などなどの背景を考えずにです。)
目の前にある私にとってキラキラして見えるものが羨ましくて仕方がなくなってしまいます。
そして、私ってなんて何もしていないのだろう…努力も実力も技術も何もかも足りていないじゃないか…とただただ落ち込むのです。

技術や実力などは、自分の頑張り次第で手に入るものだと分かっていながら、劣等感の大きさに自分で押し潰されて何もしなくなる。
自分でなんて愚かだろうと感じる日々です。何もしなくなったときにまた、何もしていない私は果たして表現者だと名乗り続けて良いものだろうか?と考え始めます。

自分の存在意味や価値を他に評価してもらおうと委ねていると、評価されないことに対して『どうして評価してもらえないのだろう』と感じるようになるのだと思います。それでも、そこから、どう評価してもらえるようになるか?を考えていくこともできると思うので、そのように感じてしまうことは必ずしも悪いことではないと思っています。


最近、都内のギャラリースペースでいくつか展示を見て回りました。その時にも散々書いてきた『劣等感』は感じてしまいましたが、改めて私に足りないものを探しながらいろんな作家さんの作品を見ると、作品と作品制作のための画材/素材そのものに対する愛情、勉強熱心さ、貪欲さが私には欠けているのだと気づくことができました。


いまの私の考える『表現者』とは、作品制作を愛情と信念を持ってひたむきに行っている人のことです。
途中で描くことが辛くなって止ってしまっても、そうなった人や自分を否定する必要はないのだと思います。またエンジンがかかってきた時に徐々にギアを上げていけばいいのだと思います。

私の当面の目標は、愛情と信念を持って制作していくことです。公募や展示にチャレンジしていくことをその手段として捉えようと思います。
なかなか不安定な私を応援してくださると嬉しいです。

それでは、今回はこの辺りで失礼します。ここまで読んでくださってありがとうございました!
次回の記事の更新もお待ちください!

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