責任ってどこまで取るの?って、そりゃあ最後まで。
この仕事してるとたまに「途中で辞めたりしませんか?」って聞かれることがあります。
だって離職率ハンパない世界だし、そもそも金融業界って自分の儲けが最優先な人が多そうだしそう思うよねえ。。とはよく思いますが、結論を言うと、「別の仕事もやると思うけど、死ぬまで関わります」と答えてますし、そうでなければやってる意味ないです。
もちろん、家族でどう幸せに生きるか、という視点が根本にはあるんですが、、
ある医師の気軽な善意が起こした悲劇
以前病院にいた人間として刺さった記事がありました。
この記事を読んでて思うんですが、この先生が最初に連絡先を交換した時はとくに悪気も何もなく、ただ「困ったときには言ってくださいね!」という気持ちだったんだと思います。
全く悪意なく、シンプルに善意として。
それがどういう結果を生むかというと、心に大きなしこりを残すことになることもあります。(この記事ではそういう話でした)
死んでもお金を払う約束をさせる仕事をしてました
僕自身、以前『臓器移植の担当事務』ということをしていて、業務として「移植を待つ患者さんに『もし手術が失敗して死んでもお金は払ってね』という念書を書いてもらう」ということもやってました。
説明に行くと、「移植っていう、他の医療がダメで、しかも成功するかも分からん死の淵にいる人間に、金の話なんてしてんじゃねーよ!」って言われることもありました。
それもあったので、実は初期のころ、「大丈夫ですよ、何とかなりますよ!」とか安直に説明して、とにかく安心してもらって書類をもらう、ということをしたこともありました。
しかし、僕自身もとある体験をして、「自分の説明がいかに責任が重いのか」を理解するに至ったことがあります。
詳しくは以前書いたブログに譲りますが、要は「書類は問題なく書いてくれたが、移植が実際に発生して、しかもうまく適合せず二回目の移植にかけることになったとき、同じことを説明に行った際の患者さんの絶望に耐えられなかった」ということです。
この頃からは患者さんに説明するときに、「とにかく安心してもらおう!」ではなくて「もし本当に何かあっても」という気持ちで説明するようになっていきました。
善意があるのならば本当に相手の役に立つ形を
今の仕事って、その方に万が一があったときの金銭的ダメージを抑える仕事なので、なんとなく「これくらいでいいっすよ!」とか、「今が大事ですもんね!」といってプランニングを適当にしてしまうと、マジでどう責任取るんだよって思います。
(もちろん何もないことが大事だし、むしろ何もない方=長生きが問題なのは最近のニュースでも言われること)
将来の話なので確約したことも言えず、だからこそ契約して終わりじゃなくて、むしろそこから一生かけてのお付き合いが始まります。
だからこそ、この話のゴールというか、どこを見て話すべきなのか?というところは分かってもらいたいし、そのためにいろんな説明をすべきだと思います。
何が必要かって、結局は準備と覚悟
とはいえ、、仕事の件とは違うんですが、いまだに安請け合いして乗ってしまい、お互いに苦労することになる、ということも経験してます。
「とりあえずやってみる」というのも大事だとは思うけど、やった結果どういう責任問題が発生するかがいーかげん分かってきたので、まずはどういうことが想像できるか、そして予想される意見に対する意見(反論に対する反論)をきちんと準備する。
もちろんそれ言い始めて何もできなくなるのは嫌なので、何から何までそんなに重く考えて真剣にやってたら息が詰まるんですけどね。
長い付き合いができるような覚悟をすべき。
働きづらさや男女の問題など、生きづらさを解決する糸口を一緒になって考える「パパFP」。公務員からフルコミの営業にトライし、2年で業界トップ1%のMDRTに。夢は社交ダンスで世界大会に行くこと。