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たかがゴミ捨てだと侮るなかれ。

ようやくだ。ようやく、ここ半年ほど悩み続けていた「古着・古布」を捨てることに成功した。何を大げさに、と思われるかもしれないけれど、私が住まう地域では、厳しめのルールが存在する。

毎月第一・第三木曜日が資源ゴミの回収と設定されている。新聞やチラシ、ダンボールや雑誌など、役目を終えて古紙として捨てられるもの。古着、古布の類い。なぜか白熱灯や小さな金属、例えばフライパンなんかも、このタイミングで捨てることができる。

これらの品は月に二回、捨てるチャンスはやってくる。しかし「古着・古布」に関してはもうひとつ、ルールが決められている。それは「雨の日に出してはいけない」というもの。

布という性質上、雨に濡れてしまうと資源としての価値が下がってしまうらしい。雨の日に出してしまった古布は業者に回収もされず、「出した人は持ち帰ってください」という張り紙がぺたりと貼り付けられてしまう。

しかし、第一・第三木曜日に決まってなぜか雨が降る。前日夜の天気予報を見てはがっくりと肩を落とす。「また雨かー」と独り言を言いながら、たまり続ける古布の山を思い、ため息をつくのだった。

晴れていて、捨てるチャンスが訪れていたのに、仕事に忙殺されてしまい第一・第三木曜日には決まって寝坊をしてしまう。朝早めに起きるぞ! と気合を入れて見たものの、ネコが盛大に毛玉を吐いていたりして片付けに追われているうちに時間が過ぎていく。そうして古紙はなんとか捨てられるけれども、古布は捨てられることなく、溜まっていく一方だった。

それほどたくさん洋服を買うわけでもない。気に入った服を何年も着続ける。裾がほつれてきたり、破れてきたりしても、服の手触りが好きで、チクチクしないからくつろげると主張しパジャマとして着続けたりもする。無頓着な夫が「さすがに、この服、そろそろダメじゃない?」と、取り込んだ洗濯物をみては顔をしかめるころになり、ようやくそろそろ捨てようかと思うようになる。

夫も物持ちが良く、気に入った洋服を大切に何度も着続けるタイプだ。しかし、夫はわりと紺色の服が好きで、何度も洗濯していくうちに色褪せていくため、私よりも洋服の購入スパンが短いように思う。

こうして、捨てる機会を逸していくと、少しずつ少しずつ、古布の山は大きくなっていく。捨てると決めているものなのに、捨てられずに部屋の一角を陣取り続けていたことにもウンザリしていた。もらい物で捨てにくいだとか、思い出が詰まっていて捨てられてない、というわけじゃない。もう、なんならさっさと捨ててしまいたい。けれども、地域の住民としてはルールを守ったほうがいいよね、という意識もあり、今日まで捨てられずにいた。

たかがゴミ捨てのことで大げさかも知れない。けれども、雨が降るか降らないかをこまめにチェックし、捨てられないと分かったときの落胆や、捨てるチャンスがあったのに、そのチャンスを逃してしまったことへの絶望感を考えてみてほしい。これが月に二回もあるかと思うと、結構な心労の原因である。朝からへとへとだ。

そして今日、私はこの不毛な戦いに打ち勝つことができた。達成感がすごい。もう、今日の仕事は、朝八時にして一日の仕事を終えたような心持である。なんというか、今日は仕事がはかどらないかもしれないなと、ぼんやり思いながら出社したのだった。



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