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「はんどたおる」のようなものごと

身近な人の考えていることって、理解しているようで、ぜーんぜん分からないものですね。

昨日、久しぶりに大掃除をしました。
お恥ずかしいことですが、私はまったく掃除が得意ではありません。掃除機をかけたり、トイレ掃除なんかは、こまめにするようには心がけています。
けれど、モノが捨てられないんです。本をどんどん買ってしまって、本棚から溢れているんです……。積ん読ばかり増えているのに、買ってしまうんですよね。それらの本を「とりあえず見栄えがわるいから」と、一旦大きな紙袋にどさっと入れてクローゼットにしまったり、床に並べたりしています。
本の一時的収納場所として使えそうな、大きめの紙袋は捨てずに取ってあります。

一方、一緒に暮らしている夫は、ほとんど本を読みません。マンガ「ONE PIECE」ですら、ちょっと文字が多いから、なかなか一冊読み終えられない、と言っていてビックリしました。

夫は私が本をしょっちゅう買うことには文句は言いません。ですが、家中あちこちに置かれた本をみては「リスがドングリを隠してるみたい。で、隠したドングリの場所は忘れちゃうんでしょ」と言ってきたりします。その程度の皮肉はさらりと受け流してしまうだけですが。同じような本ばかり、ひんぱんに買っているのが理解できないようです。

変わって、夫の趣味は釣り。似たような釣り道具がたくさんあって、私には区別がつきません。
この一本があれば、全てにおいて対応できる「万能竿」はないの? と聞いてみたら「包丁だって、万能包丁って呼ばれてるものがあるけど刺身包丁とか、出刃包丁とか、菜切包丁って用途によっていろいろあるでしょ? それと一緒」と説明され、ああ、そういうものなら仕方ないなと納得した覚えがあります。

夫は、いつか行く釣りのため、としてスーパーで発泡スチロールの箱をもらってくることがあります。魚を釣ったら、専用のクーラーボックスに入れます。けれど、たくさん釣れたらおすそ分けするために、準備しておきたいのだと。そうして、フタのついているの発泡スチロールを物色しては「これは使える」と言ってもらって帰ってきます。我が家には空の発泡スチロールの箱がいくつか重ねられて置いてあります。

大掃除になると、決まって「これは要らないでしょ」合戦が始まります。

夫は、紙袋なんて取っておかなくてもいいでしょ? と言い。
私は、発泡スチロールの箱こそ、要らないよ、と。
毎度毎度、お互い譲りません。結局ひとつかふたつ処分して、掃除は終わりです。

発泡スチロールなんて、やたらかさばるし、邪魔なだけだと思うんです。けれど、夫にしてみれば紙袋こそ、そんなにたくさん要らないだろうと。お買い物すれば、紙袋に入れてもらうこともあるんだし、改めて保管することはない。

もう9年も一緒に暮らしているのに、いまひとつ夫の考えていることは分かりません。きっと夫も、私のことはよく分かってないだろうなと思います。

「夫婦とはいえ、お互いのことがよく分からない」という落語があるんです。

はんどたおる」という演目。私が聴いたのは立川志の輔師匠のものです。

夫が帰ってみると、妻がむしゃむしゃとシュークリームを食べています。「おい、おまえダイエットするって言ってなかったか?」と夫が問いかけるところからお話は始まります。

この落語、私は最近になって初めて聴いたのですが、いやー、もっと早く聴けばよかったです。

夫婦や家族って、たぶん、永遠に本当のところは分かり合えないんだと思います。一緒に暮らしていれば、なんとなく察することはできるかもしれない。けれど頭の中までのぞき込むことはできないですよね。何から何まで分かっている、理解する、というのは難しい。だからこそ思いやりをもって、接しなきゃいけないんですよね。ついつい、忘れがちですけれど。


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