見出し画像

くらしに漂う影を見つめて。

お話をひとつ読み終えるたびに、ふうっと息を吐き出さずにはいられない。息をするのを忘れるほどに、集中してしまう、という類ではない。ただただ、息を潜めて、気付かれないように。見つけられないようにしなければ。小山田浩子さんの短編小説集「庭」は、そんな緊張感を漂わせたお話が詰められていた。

おばけみたいな、あからさまに怖い対象があるわけじゃあない。
毎日の暮らしの中で、ふと焦点がぼやけてしまった。目をこすった後に見えたものは、これまでとは違っていて、どんより曇ってみえる。こすればこするほど、目の前には靄がかかって、もうそこはどんな場所だったかも、思い出せすことはできない。そんな印象を受けた話が多かった。

毎日暮らしていると「深くは考えない方がいいかもしれない」というような事柄によくぶち当たる。

実家で長年過ごしていた部屋もまた、そうだった。
私には姉がいて、姉と私の二人に二階にある一室を勉強部屋として与えられていた。たいして広い家ではないけれど、姉妹にそれぞれの学習机も購入してもらっていた。ただ、その部屋に行くのは姉も私も好きじゃなかった。どちらかと言えば、怖かった。

実家は新築ではなく、中古物件だった。そのため、前の住人の気配がぽつぽつと残っていた。

勉強部屋の扉は北向きで、昼間でもまったく陽の光が差し込まない。暗いだけでも正直なところ気味悪く感じるのに、その扉には鍵がつけられていた。部屋で過ごす人が鍵をかけるのではない。鍵は扉の外につけられていた。簡単な作りのもので、閉じ込められたら力いっぱい体当たりをすれば壊せることもできるかもしれない様なものだった。

それでも、姉も私も「部屋にいる間に鍵をかけられていたら出られなくなる」というえも言われぬ恐怖心があり、その部屋にあまり寄り付こうとはしなかった。父はせっかく机を買ったのに、なんで使わないんやとぶつぶつ文句も言っていたけれど、小学生にとって怖いものは怖い。落ち着いて勉強をするどころじゃあなかった。勉強部屋とは名ばかりで、そこは大半は物置き部屋と化していた。

中学生になり、私はひとりになりたいと思う時間が増えた。姉は相変わらず勉強部屋には寄り付かない。私はその部屋にこもることが増えた。勉強をしたり、漫画を読んだり。学校から帰ってくると、ほとんどの時間をその部屋で過ごした。

ただ一度だけ、不思議なことがあった。試験か何かがあり、集中して勉強をしていた。そろそろ一階へ降りようかとドアノブに手をかけた。けれども、扉はガタガタと音を立てるばかりで開こうとはしない。どうやら鍵がかかっているようだった。ぶつかって扉を壊す、なんてマネはしなかったけれど、ドンドンとしつこくしつこく扉を叩きつけた。

「なんやねんな」とぐちぐち言いながら階段を上ってくる母の声が耳に届いて、私は心底ほっとした。鍵がかかってるみたいで開けられへんと告げると、母は不思議そうに「いや、なんでやろ?」といって鍵を外し、扉を開けてくれた。私の家族はいたずらで鍵をかけたりしないし、その時家にいたのは母と私のふたりだけだった。

気味が悪いと言えばそれまでだけれど、勝手に鍵がかかってしまった後も、私は勉強部屋に居続けた。ただ、また鍵がかかるといけないので、扉をバタンと閉めないで、ティッシュペーパーの箱を扉にかませていたことを覚えている。

以前の住人は、何の目的があってあの部屋に外側から鍵を取り付けたのかは分からない。わが家にはいまでも、その鍵がつけられたままだ。

不穏な空気が溜まる場所や、じっとりと水はけのわるい裏庭みたいなものは誰にもひとつかふたつは抱えている。普段はそれらを見ないように、遠ざけている。けれども、ふとした瞬間に目が合って、そして一時期目を離せなくなるのだろう。この「庭」という本にはそういった影のような、不穏なものたちで紡がれたお話が詰められていた。




この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,762件

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。