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深泥丘から見た風景

深泥池。京都市街から北東に位置し、いわゆる心霊スポットとして知らている場所がある。
私は訪れたことはないけれど、地図で見る限りでは閑静な住宅街にほど近く、近隣住民の方々のお散歩コースになっているだろうことが予想される。

綾辻行人さんの「深泥丘奇談・続々」は、深泥池ならぬ「深泥丘世界」で繰り広げられる、不思議な物語だ。短編がいくつも収録されているため、読んでいる間は何度も不思議な世界に訪れているような気持ちになる。

深泥丘シリーズは三作あり、「深泥丘奇談」「深泥丘奇談」「深泥丘奇談・続」と、今回読んだ作品の前に位置する物語がある。一応シリーズものなので、順に読んだ方がいいかも知れない。作中に「以前の記事、あのとき……」のような記述もちらほら出てくるので、あー! あの時の不思議な話ね! と繋がりやすく、深泥丘世界の住人になった––ような気がする。

深泥丘ではなくても、「あれ? 深く考えると奇妙なだな?」と感じることは、割と良くある。さっきまでそこに人が立っていたのに。庭先にいつも感じる白い犬のような影は何? あのトンネルを潜り抜けるとき、いつもひやっとした気持ちになるのはなぜだろう……。私の暮らしの中でも、考えると怖いからやめておこう、と思考停止することがいくつかある。

深泥丘世界では、主人公以外の人達は深泥丘で生じている不可思議なものごとを、ごく普通に受けとめているようだ。「前もあったじゃない? 忘れちゃったの?」と主人公の妻はあっけらかんとしている。また、物忘れが増え、目眩がするなどの健康に不安を感じて訪れる病院の医師たちも、またどこか不思議な様相だ。主人公だけが不思議な世界に足を踏み入れてしまったかの如く、何やらひとり腑に落ちないままに物語は進んでいく。

会員制のプールに潜むぬるりとした何か。猫にまつわる不思議な話。夢の中であった出来事なのかもしれないし、その記憶すら曖昧だ。

シリーズを通して、はっきりと解決していない物語も多く、さっぱりとした読後感ではないかもしれない。また、言葉遊びのような事象も多く、どこかキツネにつままれたように感じることもある。けれども、深泥丘の物語に触れている間は読者もまた奇妙な世界に迷い込んでしまっているのだろう。足を一歩踏み出してしまったばっかりに、どこか、いつもとは違ってみえる。毎日同じことの繰り返し、ではなくて、ふとした瞬間から風向きが変わってしまっている。そのことに気が付かないまま、これまで通りの暮らしをしているとどこか認識のずれがでてきてしまう。何年も前に行ったらしいけれどその記憶がないとか。段ボールの中に入っていると思っていたのに、開けてみるとからっぽで、蜘蛛がちろりと動いたり。物語の世界なのか、現実のことであるか、その線引きすらも難しいこともある。

明確な答えばかりを求められることばかりの暮らしに飽き飽きしたならば、答えの出ない奇妙な世界に浸ってみるもの悪くないだろう。もしかすると、戻ってこられなくなるかもしれないけれど。

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