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森へのパスポートを握りしめて、君に会いにいこう。

「メイちゃぁぁあん」

ある夏の夕暮れ時、ひとりの女の子の行方が分からなくなった。近くに住む大人たちは池のなかから、幼い子供用のサンダルを見つけ出す。どうか、これはあの子のものじゃありませんように……。どうか無事でありますように……。声に出さずとも、みな心のなかで祈りつづけている。蝉の声も遠くなり、夜の帳が下りはじめる。夕闇というにはまだ早い、昼と夜の境目に、ざあああっと強い風が吹き抜けていく。……大人たちに、その風の正体なんて見えやしない。

「草壁でぇす。引っ越してきましたぁ」

どこか、お化け屋敷にも似た古い一軒家に引っ越してきた元気いっぱいな家族と、その地域に住むふしぎなふしぎな生き物の話。ジブリ映画のなかでも「となりのトトロ」は夏の気配をたっぷりと含んだ物語だ。夕立やトウモロコシと言えない幼い妹。ノースリーブのワンピースに、妹を捜して裸足で懸命に駆け回るサツキの姿。高く澄んだ空の色や雲の表情だけでも夏を感じさせてくれる。

物語自体は姉妹の妹であるメイが「トトロ」と呼ぶ不思議な生き物に出会うことで巻き起こる、いくつかの冒険がメインとなっている。決して夏でなければ行けない物語じゃあない。けれども、物語を彩る様々な場面がやはり夏でなくてはならないものばかりだ。

隣町に入院しているお母さんに、どうしても「とうもころし」を食べてほしい。夏の夕立に、姉妹が立ち往生していると「ん!」といってぶっきらぼうに傘を差し出していくカンタ少年。庭先でひとり遊ぶ娘の姿をみて、静かに微笑むタンクトップ姿のお父さん。初夏から夏にかけてどんどん強い日差しへと変わっていく太陽の光。これらのすべてが「となりのトトロ」の世界を作り出す魔法をかけている。

トウモコロシじゃなくたって「メイが掘ったサツモイモ、お母さん食べるって約束したもん」と言うシーンだって考えられる。寒い寒いと首をすくめながら縮こまっている幼い妹に「ん!」といってマフラーを差し出してもいい。寒い寒いと半纏を着込んで、庭先で雪だるまを作る娘を微笑ましく眺める姿であってもかまわなかったろう。

けれども、これは夏の物語なのだ。人生の中で幼い時間は夏そのもののように、儚くて短い。子どものころにしか感じられない、きらめきをたっぷりと詰め込んでいる物語なのだ。

夏が近づくたびに、「となりのトトロ」が見たくなるのはなぜだろう。一足早く夏休みを味わいたくなるからだろうか。それとも、幼いころに感じた、不思議な感覚をもう一度味わってみたくなるからだろうか。ふかふかしたネコバスのシートにちょこんと座って、ざああっと吹き抜ける一瞬の風をただ感じたいのかもしれない。

今年もまた、暑い夏がやってくる。

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