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ギリギリアウトだった同僚の話②

同僚で、処分にはならなかったけど、ギリギリアウトだった人の話パート2です。

パート1はこちら↓

ある年の秋。
ひとりの高校三年生が、同僚Bのもとにやってきました。

「先生、大学入試の小論文対策をお願いしたいです」

彼女は真面目な生徒だったので、Bは快く引き受けました。
彼女は毎回きちんと小論文を書き、定期的にBに添削指導をしてもらっていました。

ところが、受験のプレッシャーもあってか、彼女はだんだん学校を休みがちになりました。
授業にはほとんど出ず、出るのは、過去問や演習問題を扱う授業だけ。
彼女はわかりやすく授業を取捨選択するようになりました。

そしてある日、

生徒「先生、小論文お願いします」
B「それはできない」
生徒「え、なんでですか」
B「わからないのか。授業に出ない生徒の小論指導なんて、できるわけないだろう」

そう、彼女はBの授業にも出席していなかったのです。
戸惑う生徒に、Bは畳み掛けるように言ったのでした。

B「こっちが何時間もかけて準備して、授業という形で提供しているのに、それを無視して自分の必要なものだけやってもらおうだなんて、おこがましいと思わないのか」

生徒はショックを受けた表情で、何も言わずに帰ったそうです。

翌朝。
生徒の保護者から電話がありました。

保護者「よくもうちの娘に『おこがましい』なんて暴言を吐いてくれたな。娘は今もショックで学校に行けないと言っている。どうしてくれるんだ!」

それから、毎日のようにその保護者から電話で抗議があり、Bは日に日に弱っていきました。

この件で引き金となったのは、「おこがましい」という言葉。
もっといえば、その言葉に対する感覚が、Bと生徒で違ったのでした。

「おこがましい」は漢字で書くと「烏滸がましい」もしくは「痴がましい」。
「烏滸」というのは、辞書によれば「馬鹿げていること、愚かなこと」を意味します。
転じて、「烏滸がましい」は「身の程知らず」という意味になります。

いい意味の言葉ではないことは確かですが、
Bはおそらく「道理に合わない」とか「筋違い」というニュアンスで使ったのだと思われます。
もしこれが、「おかしい」くらいの言い方であれば、問題は起きなかったかもしれない。

しかし、その言葉を受け取った生徒や保護者は、そこに「馬鹿」や「痴」といった響きを聞き取った。

この言葉が持つ負の意味に鈍感だったのは、Bの方。
これは、ディスコミュニケーションとか、すれ違いとかいう話ではなく、言葉に対する感覚の話です。

Bは結局最後まで「自分は間違ったことは言っていない」と言っていました。しかし、その上で「言葉選びは慎重にした方がいい」とも。
保護者に詰められ、かなり懲りた様子でした。

その言葉にどんな意味が込められているかは、ほとんどの場合は文脈で決まると思います。
しかし、長年かけてその言葉に蓄積された力言葉が本来持っていた力というものを見くびってはいけない。
だからこそ、古語を学ぶこと、歴史を学ぶことには、いつまでも価値があるのです。

さて、Bがその後どうなったかというと、保護者から和解の申し出があり、無事関係を修復することができました。

「娘が、B先生の指導が一番ためになると言っているんです。授業にはなるべく出るように言いますから、また小論文のご指導お願いできませんか」

Bは、それからは二度と「おこがましい」という言葉を使わないと決めたそうです。
言葉というのは、箸よりも身近で、刀よりも強力です。
だからこそ、そこにはできるだけ敏感でいたいな、と思います。

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