先生は勉強しないって本当ですか?
はい、本当です。(語弊ありすぎ)
学校の先生は、大人の中では比較的本を読む方だと思います。
しかし、読書しているからといって、勉強しているとは限りません。
勉強というのは、辞書によれば「学問や技芸を学ぶこと」。
そういう意味で、学校の先生は読書はするけれど、あまり勉強はしません。
教員の勉強
教員にとっての勉強とは、たとえば
・学習指導
・学級経営
・部活動指導
・その他教育に関する全般
についての知識や技術を身につけることを意味します。
知識や技術を身につけるということは、
何か新しいものを自分の中に取り込むということ。
これには時間と労力が要りますが、多くの先生には、まず時間的余裕がありません。
「でも、毎日授業をするのに、勉強をしなくても大丈夫なの?」
という質問が聞こえてきました(どこから?)。
各教科には指導書というものがあり、そこに授業での発問例やその解説が載っています。
実は、教員、特に時間のない教員は、これに沿って授業を作ることが多いです。
これを悪いとは言いません。
しかし、勉強しているとも言えません。
マニュアルに従って行動しているのと同じですから、指導書通りの授業をしている先生を見て、
「あの先生は勉強しているな」
とは思いません。
ですから、
授業が成立している=勉強している というわけではないのです。
時間に追われて勉強することができない教員を見ると、心が苦しくなります。
一方で、その隣には、明らかに暇そうにして本を読んだりスマホを見たりしている人もいます。
この暇そうな人は、では勉強しているのかと言われれば、たぶん違います。
こういう人が読んでいるものは、大抵の場合、小説やニュースです。
小説やニュースを読むことを、大人は勉強とは言いません。
それを言い出したらキリがない。
生きていることは勉強だとすら言い出しかねない。
これが高校の現場の実態です。
教科に関する勉強をしている人も少ないのに、まして教育学に関する勉強をしている人など滅多にいません。
失われていく学び
とはいえ、もちろん勉強している先生だってたくさんいますし、今更勉強なんかしなくても仕事に支障はないというベテランもいます。
ただ、僕が本当に残念だと思っているのは、勉強をしない先生の多さではありません。
年月が経つにつれ学ぶ姿勢を失っていく先生の多さです。
若いうちに大変勉強されて、知識を積み上げた先生たちの中にも、
ベテランになってから、自分のやり方に固執する人は少なくありません。
いくら勉強しても、凝り固まってしまってはいけない。
そこから新しいものは生まれない。
僕は、時間や体力がなくて勉強ができないことよりも、
他者のやり方とか、新しい手法とかから少しでも学ぼうという気がないことの方が、
よほど問題だと思っています。
そして今増えているのが、
「ベテランから学ぶことなど何もない」
と言わんばかりに壁の厚い若手です。
まだ学んでもいないのに、自分から学ぶ機会を打ち棄てている人。
これほど悲しいことはありません。
誤解を恐れずにいえば、
僕は教員こそ最も勉強し、柔軟に学ぶべきだと思います。
子どもが成人するまで、最も強い影響力をもって関わる大人であるのが、学校の先生。
だからこそ、年齢、経験、学歴、そうした一切の肩書に関係なく、
自信と謙虚を兼ね備えた大人として、生徒たちと関わっていくべきです。
……自戒の意味も込めて、少々厳しいことを述べました。
なんにせよ、まずは自分に余裕を作るところから始めなければ……。
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