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学校の先生と友達になってわかったこと

自分が生徒側にいたとき、先生というのは不思議な存在でした。
表現が難しいのですが、彼らは決して自分と同じ「人間」ではなく、あくまで「先生」という別の生き物でした。

「先生」は学校という世界の住人で、こちらの都合で利用できる、いわばゲームのNPCみたいな存在。
何か聞いたら答えてくれるし、頼めばやってくれる。
いつもそこにいて、杓子定規のような授業を繰り返す。

レストランやホテルのスタッフに近いものはあるけど、精神的な距離感というか、そもそも纏っている属性が違う感じ。
ホテルマンの顔写真に落書きしたりしないし、あだ名をつけたりもしない。
ホテルマンとの出会いにある一回性が、毎日通う学校の先生にはない。

……要するに、僕は知らず知らずのうちに、先生たちから人格を剥奪していたんです。

そこにいるのは○○という「ひとりの人間」ではなく「○○先生」だから、いくら陰口を叩いても心が痛まなかった。先生はサンドバッグでもあった。
「○○先生」が結婚しても、子どもを産んでも、病気になっても、興味が湧かなかった。
年賀状を送るから、休日に連絡するかもしれないから、といって住所や電話番号を聞き出すことになんら抵抗を感じなかった。

さて、自分が教員になって。

当然、そこにいるのはひとりの人間で、学校にいるのはあくまで仕事をしているからであって、それよりプライベートの生活が大切で。
友達と遊んだり、ひとりでゲームをしたり、鼻をほじったりして。
悪口を言われたら傷つくし、休日に仕事の電話なんておぞましいし、住所を特定されることなんてもってのほか。

立場が変われば見方も変わります。
先生は普通の人間でした。

……が、気づいたのはそれだけではありませんでした。

先生というのは、
偉そうで、頭が固くて、短気で、ユーモアのセンスがなくて、なんならそんなに優秀でもない人たち
そんな認識がどこか心の奥の方にありました。

しかし、いざ同僚たちと生活してみて、それがいかにひどい誤解だったかを思い知りました。

みんな(一部を除いて)すごく謙虚だし、柔軟だし、寛容だし、面白い(ほんと一部を除いてです)。
中には、一生敵わないと思うスーパーマンもいます。

教員同士で遊んだり、ご飯食べたり、飲みに行ったりする中で、
そこに存在する個人の輪郭が見えてくると、

ああ、普通の人だな

という謎の実感が湧いてきます。

生徒時代には気づかなかったこと、また、自分が教員になっただけでは剥がせなかった「先生」のレッテル。
生活を背負ったひとりの人間が、仕方なく(もしくは喜んで)教壇に立っているのだということを、すべての人に知ってほしいです。

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