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健康を気にするのをやめたら元気になった

誰しもが、できるなら健康でいたいと思っている、と思う。

わたしもしょっちゅう、健康に関する情報を手に入れては実践してみようとするが、でも実際続かなかったりする。

今は休職中で療養中だから、と思っていろんなことを実践してみた。

大好きなコーヒーは1日1杯まで。
大好きなお酒も極力飲まない。
寝る前のブルーライトは睡眠リズムが狂うからiPhoneの休止時間を設定して、22:00以降は見ないようにする。
SNSばかり見てしまうから、TwitterとInstagramは合わせて1時間の制限を設定。
小麦に含まれるグルテンがなんたらかんたらで良くないから、パンやパスタ、うどんを控えなくてはいけない、起きてすぐ朝日を浴びる、そのために散歩をしなければいけない、懐かしい話ばかりすると前頭葉が衰えるから、読書で活性化させなければいけない・・・

目にした情報すべてを実践しようとすると、自分の健康のための気遣いが、いつの間にか行動制限、課せられたルールになってしまい、生活のなかに「○○してはいけない」が大量発生してしまった。

こんな風にいろんなことを勝手にルール化して、無意識のうちに強迫観念を自分に背負わせてしまうクセがあるらしい。
かなりしんどい。

最近、お酒を死ぬほど飲んで楽しくなったついでにルールをほぼ破り捨てた。

お酒を飲まないと作れない空気があるし、わたしはそれが大好きだったし、そのときの自分も自分として愛してるから、飲む。
iPhoneの休止時間だって、結局「制限を無視」というボタン一つで簡単に解除できちゃうし、しちゃってた。
パンだってパスタだってうどんだって大好きだ、我慢して辛くなるくらいなら他で栄養満点にしてやるから、食べる!

こうやって自分にかけていた枷を取り払って行ったら、みるみる元気になった。

年始から調子が下がり気味で、どうしようかと思っていたところ。
単に新しく飲み始めた漢方が合っていたのかもしれないけど、自分で枷に気づいてから、休職するなかで初めて「あ、今すごく元気になった!」と思えたのだ。

勝手に負荷をかけて、勝手に元気を無くして、勝手に気づいて元気になる。

きっと仕事しているときも、いろんなルールを自分に課していたんだろうと思う。
そのことに気づかないうちに、決定打を打たれて潰れてしまった。
ルールや暗黙の了解が多い仕事の中では、これは自分がかけた枷なのか?それとも会社の常識なのか?はたまた社会人としてというやつなのか?誰にもたらされた価値観なのかわからなくなると思う。

わたしはいったん仕事から離れたことで、自分でいろいろ試しながら今回のように思考のクセに気づくことができた。

走り続けていては麻痺する部分が絶対ある。みんなが立ち止まるチャンスをもらえる社会でありますように。

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