風が強く吹いている 三浦しをん
なんだ、この爽快感。読んだ後に感じる清々しさ。美しさ。走りの世界にはこんな景色が広がっていたのか。
そんな気持ちになる箱根駅伝の物語。そして毎年駅伝が始まるころには読みたくなってしまう本だ。
東京郊外に建つオンボロ下宿「竹青荘」。そこに住む寄せ集めの住人たちが8ヶ月で箱根駅伝を目指す物語。そんなありえない設定だが、なんの疑問に思うこともなくエピソードが入り込んできて、頭の中に走りの世界を広げていく。そしてその全てが清く美しく、輝いているのだ。
もちろん主人公の葛藤や怒りやドロドロもないこともない。喧嘩もある。嫉妬もある。でも、そうであっても、常に物語には爽快な空気が広がっているのだ。
それはどうしてだろう。
ひとつは、作者の言葉の選び方。ひとつひとつの言葉が丁寧に選ばれ、適切に使われているからではないだろうか。難しすぎない、でもチープな言葉ではない、選ばれた理由がそこにある言葉たち。
そしてもうひとつは、主軸になる主人公・走とハイジの真っ直ぐな関係性である。それがとても清々しい。嘘をつかない(ハイジは自分の足の様子を隠してはいたが)、気持ちをくもりのない言葉で真っ直ぐに伝える。どんなときもハイジは正直な言葉で走と接している。そして生まれる走のハイジに対する信頼感。その関係性は何よりも純粋だ。
ふたりの走りに向かう真っ直ぐな姿勢も、疑う余地なく清々しい。青い炎のような静かな情熱がそこにはあり、常人には届かない世界にふたりはいる。私は長距離を走るなんてとうてい考えられないが、このふたりを通して、走ることによって見える景色、到達する世界を体験することができた。それはとても美しいものなんだ。
物語は箱根駅伝の10区、ゴールの大手町で終わりを迎える。ハイジの走りを読み進めるにつれ、自分がまるでその場にいたように歓声が聞こえ、ゴールに涙し、私は寛政大学陸上部の一員になっていた。そして、走とハイジのこの先の物語をもっと見たいという強い気持ちがあった。どんな大人になるのか、走りを続けているのか、それは想像するしかないが、きっといつになってもふたりは清々しいのだろう。
「なぜ走るのか」に対する答え、それは人それぞれだが、この物語の8ヶ月ほどを通じて、少しだけれど何か分かった気がした。美しい世界を見るために、そして強くなるために、人は走る。
来年もまた、箱根駅伝の季節にこの物語を読もうと思う。
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