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私がハーバードで学んだこと

6月頭にハーバード留学から帰ってきました。

10ヶ月の短く濃密な滞在期間でしたが、その中で最も印象的だったのは、大学の授業の雰囲気の違いです。

ハーバードでは、「質問ありますか?」と講師が尋ねると、学生たちからいくつもの手が挙がります。
たとえ大教室での100人規模の講義でも、です。

この授業中の活気に、私は衝撃を受けました。
そしてどうやらこれはハーバードだからというより、アメリカではどこでも見られる風景らしいということも分かりました。

日本では、発言を求められると、
  大勢の前で間違えたら恥ずかしい、
  目立ちたくない、
と、指名されるのを避けるように目を伏せるのが普通です。

ところが、アメリカでは、大勢の前で発言しない方がカッコ悪いのです。
彼らは、全く空気を読まないのでしょうか。

アメリカでも敬語やお世辞、婉曲はあります。
本音を飲み込んで「空気を読む」こともしばしば求められます。

つまり、彼らは空気を読まないのではありません。
そもそも、空気すなわち雰囲気自体が違うのです。

空気を読んで何も言わないのではなく、
  空気を読んで場に合った"何か"を言おう、
  周りはそれを真剣に聞こう、
という雰囲気なのです。

留学中、英語にも内容にも自信のない私は、授業中に発言をするたびに

「うまく言えなかった・・・」
「また間違えてしまった・・・」

と恥ずかしさにさいなまれていました。
この中で自分が一番できていない、と常に感じていました。

しかし教授や同級生たちは、
私の崩れた英語の崩れたコメントを最後まで聞き、
助け船を出し、
要点をくみ取って次の議論に展開させてくれました。

あるとき友人が言いました。

「自分がこの中で一番ダメだと思っている人は、そこでちゃんとできてるって言われたことがある。
だから自分ダメだなあっていつも思うけど、そういう気持ちで、頑張ってる」と。

その友人は、私から見れば私よりずっと「ちゃんとできてる」人でした。


意外と、他人は自分が思っているほど自分の間違えを気にしていないものです。
語弊を恐れずに言えば、他人は自分にそれほど関心がないのです。


私がハーバードで学んだ最大のことは、
堂々と恥をかくこと。
他の人が堂々と恥をかける空気をつくること、
です。

そして自分の恥を乗り越える勇気をもち、
他者の「恥」を恥にしないために必要なのが、
広い意味での「ことば力」、
すなわち、表現語彙や文法だけではなく、声やからだのふるまい、相手との心身の向き合い方も含めた意味での、他者のことばを理解し、自分のことばを組み立て伝える力だと、私は考えます。(注)

日本の講義室は、まだまだ静かでしょう。
しかしこれは、学問の世界にとって致命的だとさえ思います。

ことば力を伸ばす練習台のつもりで、
私は堂々と恥をかくべく手を挙げようと思います。


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(注)
なお、論破し相手を貶めるためのツールを、私は「ことば力」とは呼びません。ことばは自分の中にだけあるものではないからです。
(この「ことば」観は、いつか改めて文章にまとめたいと思います。)

ことば力を伸ばすことは、私にとって一生の課題として取り組んでいることの一つです。
これまで得られたヒントのいくつかを、過去のnote記事「話し方と知性」シリーズとして不定期にまとめています。
ご関心のある方は、こちらのリンクからどうぞ。


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