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誰もが主人公で、脇役でもある

#全力で推したいゲーム  のテーマが出てからどのゲームについて書こうか悩んでいた。
プレイ時間の長さで選ぼうか、最近遊んだゲームを書こうか。楽しい悩みだった。

そしてやっぱり「街」かなと。
チュンソフ党員として布教活動をします。

街 はどんなゲームか

1998年にセガサターンのハードで発売されました。ジャンルはサウンドノベルです。
当時の渋谷を舞台に、8人の主人公の選択肢を正しく選んでエンディングに導くことが目的です。
主人公は全員実写で、ほとんど静止画ではありますが、文章と画像の合わせ技は斬新で印象的でした。

8人は全く無関係の他人で、物語でもほとんど関わり合いませんが、何気ない選択肢が誰かの人生に大きく影響を与える
そのコンセプトが当時の私に大きな影響を残し、今でも忘れられないゲームとなっています。


私と 街 との出会い

私が実際に遊んだのは2001年。
弟切草、かまいたちの夜を楽しくプレイしていた私でしたが、「街」は実写ということもあり少し様子見ていました。
今思うとリアルタイムでやっていればと軽く後悔。

ちなみにハードはセガサターンです。
後に移植されるPSやPSPのように難易度変更やバッドエンドリストがなく、コツコツと自作でバッドエンドリストを書いていきました。
ついでに気になった言葉やミニストーリーも書き写し、オリジナルの攻略本ができました。
今はもうそんなことができる気力も体力も集中力もないのですが、時間が余る学生だったからできたことと思います。


私は自分の人生の主人公

当時の私にとって、「人生」とは暇つぶしのような感覚でした。
やりたいことはあっても目の前の楽しさに釣られる、痩せたいと思っても目の前の食べ物につられる細井美子(※本作の主人公の1人)と同じように刹那的に生きていました。
その理由は受け身だったことにあります。
自分で自分の生き方を決めず、与えられたものや、毎日のルーティンの中で満足したり不満をもったりしていました。
ですが、このゲームから1つ1つの行動を考えて決める楽しさを教えて貰えました

帰り道に寄り道をする。
食べたいものを選ぶ。
連絡する人やタイミングを決める。

1日の中にたくさんの選択肢があり、それらは全て自分で決めることができて、何かの未来につながる。

それが繋がったときに、私は初めて「生きている」ことの凄さと怖さを実感したのです。


私は誰かの人生の脇役

高校の時は「自分は何か大きなことができる感」が強かった私ですが、大学に入ってからはその感覚が徐々に小さくなり「自分なんて誰の役にも立っていない」と思うまでになっていました。
(そもそも誰かの役に立てるような行動を起こしてなかったので当たり前です)
ですが、私が生きているだけで誰かに影響を与えている可能性について考えさせられました。

例えば夏休み時期になると道路の渋滞が少し軽減します。
これは子どもたちが休みの分、横断歩道を渡る人が減るためだと勝手に思っています。
でもこのことは多分子どもたちは知らないでしょう。

同じように、私が知らないところで、知らない誰かに良くも悪くも影響を与えている可能性は0ではないのです。

それは先述した「選択」によってはもちろん、
誰とも会わず何もしなかった1日も、そうすることで誰かを助けたり困らせたりしているかもしれません。

そんなことを思うと、生きているってそれだけで誰かに影響を与えているんだなと救われた気持ちになりました。


続編ではないけれど

その後待望の新作「428」が発売されました。
これもとても良いゲームです。
街ファンにとってのサービスも多くあり、チュンソフトありがとう!!って言いたくなるゲームでもあります。
簡単に紹介すると、428は街と同じように実写サウンドノベルで、舞台になっている渋谷を救おうと数人の主人公が動きます。
正直なところ、読了感やストーリーは428の方が一般受けしやすい内容でもあります。

ただ、428では先述のようなメッセージ性を感じることはできませんでした。
寂しいですが、街というゲームはそれだけインパクトが強いものだったのです。


しかし、今も私は自分の人生を選択し、誰かの人生に多少の影響を与えながら生きています。
発売から20年以上経った今でも忘れられない、忘れてはいけない、心のゲームです。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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