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母の背中

看護師になってから、20年近く経とうとしている。

正確にいうならば、18年くらいだ。最初は指折り数えていた何年め、も、この歳になるとどうでもよくなる。

新人として十把一絡げに病棟に送り込まれて以来、異動や転職はあるものの、一応途切れることはなくコツコツと働いている。

10年くらい前に結婚して、子どもが産まれた。

そのときも自然と産休と育休をとってフルタイムで復帰する道を選んだ。運良く、とても素敵な先生たちのいる保育園に入ることができたので、そこからの仕事は先生たちとの二人三脚の記録だ。先生たちには生涯足を向けて寝られないと思っている。

ところで、私の母は、シングルマザーである。

私と弟の親権は母が持っていたが、私は別れた父親とも連絡をとりあっていたし、成人してからはたまに呑みに行ったりしている。離婚に関しては夫婦の問題だし、文句を言うつもりはない。母はとても私たちを大事にしてくれた。

母はとてもパワフルで、元気である。

ピアノの先生、という仕事が大好きで、私を産んで一ヶ月で仕事に復帰したので私と弟は保育園と母方の祖父母に育てられた、といっても差し支えない。毎日保育園に祖母が迎えにきて、祖母の作った夕飯を食べて、祖父と遊んだりお風呂に入ったりテレビを見たりしていると、仕事が終わった母が祖父母宅に迎えにくる。そんな毎日。

祖母は祖母で六十歳を過ぎてからも働いていたし、あちこち、ときには一人でも海外に行ってしまうほどアクティブな人で、あの母の母、というだけはあると思う。あるときおばあちゃーん、と祖父母宅の家のドアを開けたら、祖父に「今ばあちゃんブルガリア行ってるよ」と言われたこともある。ブルガリアって。

料理の腕がピカイチで、老後に調理師免許までとっちゃって、どこぞの料亭からスカウトがきたけど孫の面倒があるからって断った、らしい。詳細はよく知らないけれと。

一方で、母は、とにかくよく遊んでくれた。

のんびり家にいるってことができない人で、休みの日は必ず外に連れ出してくれた。おかげで日帰り圏内の主要な遊園地、公園、各種のイベントなどはあの時代、ほぼ制覇していたんじゃないかと思う。近場の旅行もよく行った。祖父母の助けがあるとはいえカネ問題は無視できなかっただろうし、そんなに贅沢なことはしていないけれど、とにかくよく子どもと出歩いてくれた母だった。

午前中はスーパーでパートとして働き、お昼は一旦帰宅して家事や雑用、午後はピアノの先生、といった感じで何足ものわらじを履きこなし、その全てに対していきいきとポジティブに取り組んでいた。ちなみにスーパーのパートは今も続けている。数年前からはパート長として一部門を仕切っているらしい。

そのおかげで私も同じように出歩くようになったし、仕事が好きになった。母を見ていると仕事って楽しそうだなあと思ったし、大人になったらああやって働きたいなあと自然に思った。

看護師になろうと思ったのは、一人でも食いっぱぐれない程度に稼ぎたいし、資格職ならそれが叶いそうだと思ったから。自分が喘息持ちで病院通いをしていたし、高校生のときに母がクモ膜下出血で生死の境を彷徨ったりして、看護師という仕事が身近だったこともある。

この仕事は、世間の想像通り、かどうかは知らないけれど、まあ、わりとキツイ。何がキツイって感情のコントロールが大変難しい。仲良しの患者さんや年下の患者さんを看取ったりもするし、病気や怪我という人生のターニングポイントに関わるので、八つ当たりされたり怒鳴られたり、混乱状態の人に殴られることだってある。もちろん夜勤もあるし、肉体労働もあるし、身体的にも負担はあるけれど、自分のこころをブンブンと強制的に振りまわされる感じ、個人的にはこれが一番つらい、と感じる。

意外に思われるかもしれないけれど、私は夜勤が割と好きだった。

夜は、人間がすこし変わる。

急に泣けてきたり、怒ったり、ハイになったり、太陽の下では隠れていた、その人の違う一面が顔を出すのが興味深かった。もちろんそのたびに業務は滞るわけで、こんな悠長なことを思えるようになったのは、ある程度経験を積んでからだけれど。

今は昼間しか働いていないし、定時ぴったりにタイムカードを打刻して下の子を迎えに保育園に向かう毎日だ。健康診断を専門としたクリニックなので、人が死ぬこともないし、看護記録におわれて残業することもない。もちろん夜の一面も覗けない。ブンブンと感情を振り回されることも、まあないとは言えないけれど、少ないほうだと思う。

子どもがもう少し大きくなったら、あの世界に戻ってみたい、と思うときがある。今の自分ならばもっとできることがあるかもしれないし、違う見方ができるかもしれない、それはちょっと興味がある。夜勤ができなくても、もう少し遅くまで働くことができたら仕事の選択肢が広がるんだけどなあ、と転職サイトを眺めながらため息をついたことはここ数年何度あったかわからない。

子どもの関係で働く条件が絞られてしまうことに抵抗と寂しさがあったことは確かだ。けれど、今ではこの生活も悪くない、と思っている。仕事内容や条件は大事だけれど、この仕事の根本にあるのは目の前の人に誠実であること、だと思っている。優しくあること、と言い換えてもいい。どこで働こうとも、それは同じだ。

今の職場や働き方がベストだとは思わない。ただ、悪くない。この、悪くない、程度の満足感が意外と心地良いのも事実だ。ベストなんてきっとそうそう見つからない。ただ、悪くない、で働いていくことができるなら、それはけっこうベストに近い気がする。

働く母の背中を、今度は私が子どもたちに見せる番。

母ちゃん、頑張るよ。見ててね。



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