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娘を愛せなかった私。。🥺💘


1980年12月某日。私はひと月早いお産で娘を出産した。低出生体重児の2150gだった。

今の時代であれば、1000gでも助かる時代ですから2100gあったら全く問題はない。

それでも当時は未熟児だったため、保育器に入り暫くの間病院に入院した。

それでも、ミルク🍼を沢山飲んで胃腸も壊すことなくスクスク逞しく成長した。

娘は独り息子の一人娘として産まれた為、主人の両親はたいそう可愛がり、どこに行くにも娘を連れて出かけ溺愛してくれた。

私と主人とはお見合い結婚。

実は主人には以前も話したことがあるのですが結婚前からも後からも愛人が切れることなく続いていて、お産の当日も主人は私を独り病室に残し、愛人宅へ行ってしまった。


実は早産の原因もその愛人の事実を知り、ショックによる精神性ストレスで予定より一月早い早産になったのです。

私はショックでお産の当日、一睡も出来ず泣き明かした。

その後も主人は変わることなく、愛人の元へ通い続けた。

私は主人の両親と同居し、主人の浮気を確かめたくても赤子がいては確かめようがなく、産後も悶々とした日々を過ごしていた。

そんな主人でも、私は結婚した日からずっと主人が好きだった。

優しく思い遣りもある人でしたが、その優しさも思い遣りも私だけのものではなく、誰に対しても優しい人だったのです。

主人はずーっと長い間私の方を全く向いていなかった。

私はどちらかと申せば主人の父に利発そうだと気に入られ嫁入りしたのだった。

主人はそれから30年近く、愛人が切れることはなかった。

そんな中、娘はスクスク育ち、私が愛情を注がなくても十分に祖父母に愛情を注がれ、なに不自由なく育ちました。

わたしもどちらかと言うと確かに娘なのだから可愛くない訳ではないのですが、余り関心がなかったのです。

いつもその目は主人に向けられていたからかもしれません。

それは、ただ主人に私の方をみてほしいという一心しかなかったから。

愛情の比重は常に主人に向けられていたのです。

私はよく考えることがあるのです。

それはもし娘と主人が溺れていたら、どちらを先に助けるのだろうかと⁉️

その時、いつも迷うのです。

どちらも先には出来ない。答えが出ないのです。そうこうしている内に二人はどんどん沈んでいく。

そこで出した答えはわたしも二人と共に沈む。

どちらも選べない。

普通母親なら何をおいても迷わずわが子である娘を先に助ける筈。

その時一瞬頭を過った想いは娘の代わりはまた子供を作ったらいい。でも主人の代わりはいないと…。なんと恐ろしい😱💦

そこに私の愛の欠落があるのです。順位は常に主人が先。

でも、あれから娘も大人になり、結婚し、子を持つ親になった。

今頃になって娘に責め立てられることが多くなった。

あの時、ママにこうされた、ああされたと恨み節の炸裂。決して我が子を愛していなかった訳ではない。愛する順位が一番じゃなかっただけ。

そんな娘も結婚して、夫婦と言うものが分かった時、ある時娘が私に『ママはパパが好きすぎたのよ。だから一生懸命パパを振り向かせようとしていたんだって今私はそう思うよ』って。

私はその言葉に涙が止まらなかった。

当然娘も主人の浮気のことは知っていて、それで私が苦しんでいたことも知っていた。


私の愛情の欠落も認識しながらも母の気持ちを今になって大人になって気遣う優しさに感謝しないといけないと思う今の私。

家族にはそれぞれの形があって、これが正しい家族の在り方なんて本当はないんだと今さらに気づいた私です。。。🥺💘


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