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田中あき子
2023年8月31日 21:49
落葉の章ハクシン(10) 白玲は、力が抜けたように椅子の背にもたれて、ぼんやりと空を見つめていた。隣に座ったシノンがその手を握った。そんな二人を守るように、ナダルがじっと立っていた。 広間に満ちていた淡い光が赤みを帯びて、窓際に置かれた香炉の影が、長く尖って床に伸びた。「私、信じたくなかったの。ハクシンが私を嫌っていること」 ようやく我に返ったように、白玲がぽつりとつぶやいた。「私は
2023年8月30日 22:43
落葉の章ハクシン(9)「……直接手を下さなくても、あなたは立派な人殺し。一体、あなたのどこが優れているというの?」 白玲の言葉に、アンジュは直立したままうなだれた。皇太子は、呆けたように立ち尽くしていた。「ハクシン、アンジュに命じて白玲を襲わせたことに相違ないか?」 皇帝が念を押した。「アンジュに命じたわけではありません。アンジュは私が白玲を憎んでいると知って、私の心を繋ぎ止めるた
2023年8月29日 23:20
落葉の章ハクシン(8) 叩きつけるような白玲の言葉に、ハクシンは初めて顔色を変えた。「あなたに、私の何がわかるっていうの?」 余裕のある笑みが、ハクシンの顔から滑り落ちた。「私は自分の夢を叶えるために、自分の足で歩いていくことができなかった。そのもどかしさが、あなたにわかる? 友だちもなく、空想の中でしか自由に生きられない悲しさが、わかる? あなたを見ていると、本当にイライラする。あ
2023年8月28日 23:56
落葉の章ハクシン(7)「……それなのにあなたったら、ろくな防備もしないのだもの。頭が悪いだけじゃなく、詰めも甘いのよ」 蒼白になった皇太子が、ハクシンを黙らせようと手を伸ばした。 ハクシンはその手を振り払った。「私はずっとネイサン叔父様が好きだった。それは、叔父様だけが本当の私を見つけてくださったからよ。 愚かな大人たちは、私の見かけに騙されて、なんでも言うことを聞いてくれた。でも
2023年8月27日 23:59
落葉の章ハクシン(6) ハクシンを抱きしめて、一番の被害者は自分の娘だと言い募る皇太子。 それを見る皇帝の視線が、さらに冷ややかになったのは明らかだった。「アンジュ、そなたは白玲皇女を嫌悪して排除するために、ハクシンを誘惑して金を引き出し、自分が疑われたのでハクシンに罪を着せようというであろう。守るべき主人に手を出して、己の意のままにしようなど、護衛にあるまじき行為ではないか」 皇太子
2023年8月26日 23:01
落葉の章ハクシン(5) 「違う」と叫び続けるアンジュを制して、皇帝はハクシンに目を移した。「ハクシンよ。そなたが幼い頃からネイサンを慕っていたことは、余も知っていた。だがそれは、筝の師に対する、あるいは身近な年長者に対する淡い憧れであり、成長すれば己の立場を弁えるものと見守ってきたのだ」 ハクシンは大きな目を見開いて、じっと皇帝を見つめている。「そなたの容姿の美しさは、『月蛾の至宝』と
2023年8月25日 23:20
落葉の章ハクシン(4) 目を伏せたアンジュの傍で、ハクシンは青ざめた顔をしていた。「アンジュに問う。そこまで執拗に白玲殿下のお命を狙った理由は何か?」 長老の声が途切れると、広間には沈黙が降りた。 直立の姿勢を崩さないまま、アンジュは顔を上げた。「それは……白玲殿下の存在が、皇家の汚点であるからです」 居並ぶ人々が息を飲み、皇帝の目がわずかに細められた。「亡きアイハル殿下のお血筋
2023年8月24日 23:08
落葉の章ハクシン(3)「近衛士官で『目と耳』でもあるアンジュを使ってオラフに情報を与え、そなたを害するように仕向けたのはハクシンだ。直接手を下さずとも、ネイサンと姫宮、それにトーランの命を奪ったことは看過できぬ。ハクシンには相応の罰を与える」 皇帝の声に迷いはない。白玲は改めて姿勢を正し、皇帝に拝礼した。「此度の夫の死については、私にも責任がございます。私一人でオラフの凶行を止められるとい
2023年8月23日 23:09
落葉の章ハクシン(2) 医学院での襲撃事件の後、皇帝は『目と耳』を使って、逃げたオラフの仲間を追った。皇帝の『目と耳』は、それぞれ市中に子飼いの間者がいる。それぞれがどんな間者を使っているかは、必要以上には伝えない。 それが、今回は勝手が違った。オラフの供述をもとに、『サージ』の人相風体や立ち回りそうな場所を皆に知らせ、サージの捕縛を急いだ。しかし、どこを探してもサージはいない。まるで『目と
2023年8月22日 23:41
落葉の章ハクシン(1) 御霊祭りが終わる頃、ネイサンの墓所が整い、納骨の儀が行われた。 白玲は、ニナとアルシーに付き添われて、墓所に夫と娘の遺骨を収めた。墓前に深く拝礼した後、白玲は「することがあるから」と、月蛾宮に向かった。 白玲は、皇帝に拝謁を願った。「久しぶりの外出で疲れたであろう。ネイサンも姫宮も、これでゆっくり安らぐことができる」 皇帝は、ようやく前へ進み始めた白玲を労った
2023年8月21日 23:19
落葉の章追憶(3) 夏の盛りの華やかさもないまま、月蛾国は秋を迎えようとしていた。 ネイサンの書斎へ入った日から、白玲はようやく外へ出られるようになり、少しずつ元気を取り戻していった。ずっと薬湯と粥ばかり口にしていた白玲が、好物を食べたいと言った時には、邸中が生き返ったように動き出した。 長く閉ざされていたネイサン邸の門が開かれると、思いがけない弔問客が訪れた。 皇后だった。簡素な黒
2023年8月20日 22:20
落葉の章追憶(2) トカイに手渡された書き付けに目を落とすと、懐かしい文字が並んでいた。 あの頃、ネイサンが一番熱心に進めていたのは、ルーン川の水運の自由化だった。議案の下書きには、至る所に細字の朱が入れられ、何度も何度も考え直したことがうかがえる。「この子が大きくなる頃、この国がもっと豊かであるためにどうしたらいいか。この頃はそればかり考える」 白玲のふっくらしたお腹に手を当てて、ネイ
2023年8月19日 22:47
落葉の章追憶(1) 夫の遺骨を抱いて邸へ戻った白玲は、床から起き上がれなくなった。 流産の傷も癒えぬままに、冷たい仮墓所で寝食を忘れて過ごした時間が、白玲の体を蝕んだ。何より、深い後悔が白玲の心を切り裂いた。こんなつもりではなかったのに、と。 白玲は心も体もボロボロのまま、薄暗い部屋の中で夜も昼もなく、眠るともなく横たわっていた。 火葬場での出来事を知った皇帝は、白玲を片時も一人にしな
2023年8月18日 22:58
落葉の章山並み 岳俊が輝陽国へ戻ったのは、貴州府の町並みに初夏の日差しが降り注ぐ頃だった。この日を待ちわびていた陽淵は、報告に訪れた岳俊を労った。 白玲との再会や月帝との非公式の会談、今後の交渉の窓口が白玲夫妻になることなど、予想以上の成果といえた。 だが、白玲の手になる返書を読み終わると、陽淵は眉間にしわを寄せた。「山の部族への不可侵を条件とするとは、予想外だった。アイハルの一件をも