マガジンのカバー画像

月と陽のあいだに

238
「あの山の向こうに、父さまの国がある」 二つの国のはざまに生まれた少女、白玲。 新しい居場所と生きる意味を求めて、今、険しい山道へ向かう。 遠い昔、大陸の東の小国で、懸命に生き…
運営しているクリエイター

2022年9月の記事一覧

月と陽のあいだに 62

月と陽のあいだに 62

浮雲の章コヘル(9)

 冷めてしまった茶を淹れかえると、コヘルは礼を言って一息ついた。
「私は、月蛾国に到達した時のために、先帝陛下の親書を持参していました。しかし、それは田舎の小役人には理解できなかったのでしょう。密行者として捕らえられ、月蛾宮に送られました。当時はリーアン陛下もまだお若く、お側には先帝の側近で政治顧問だった大神官がおられました。
 密行の疑いはすぐに晴れたものの、大神官は私を

もっとみる
月と陽のあいだに 61

月と陽のあいだに 61

浮雲の章コヘル(8)

 コヘルは菓子を一つつまんで口に運び、白玲にも勧めた。
「お察しの通り、私は陽族です。元の名は楊静。蒼海学舎に学び、先帝陛下にお仕えしておりました」
コヘルは、遠い日を思い出すかのように目を細めた。
「蒼海学舎を卒業したあと、私は会計方の官吏として暁光山宮にお仕えしました。次に巡察使になり、輝陽国各地を回りました。そして国の実態がわかった頃、中央に呼ばれ宰相の秘書官になりま

もっとみる
月と陽のあいだに 60

月と陽のあいだに 60

浮雲の章コヘル(7)

 「ゆっくりお休みになれましたかな」
そう言うと、コヘルは小さな包みを出した。近くの宿場の茶屋で菓子を買ってきたという。食べ物では釣られませんと白玲が断ると、コヘルは声を出して笑った。
「あなた様は、なかなか楽しい方ですな。アイハル様も快活な方だったが、お母上もきっと気立の良い娘さんだったのでしょう。ずっと歩いてきたので、少々喉が渇きました。水を一杯いただけますかな。よかっ

もっとみる
月と陽のあいだに 59

月と陽のあいだに 59

浮雲の章コヘル(6)

 日が落ちて、また一人の夜がやってきた。昼間のコヘルの話をなぞるうち、白玲は陽神殿で巫女見習いになったばかりの頃のことを思い出した。
 あのころ苦闘していたのは、御文庫の石板文書。その中には、同じ陽族でありながら、この地の安定した暮らしを捨て、新たな土地を目指して、暗紫山脈の彼方へ去った人々についての記述もあった。
 陽帝の一族は、自らを陽神の末裔であると名乗り、人々に従属

もっとみる
月と陽のあいだに 58

月と陽のあいだに 58

浮雲の章コヘル(5)

 月帝の血筋だというのら、なぜ父が死んですぐに探しに来なかったのだろう。十八年も過ぎた今になって、近づいてくるなんて、何が目的なのだろう。訳もわからず利用されるのはごめんだ。そう思うと、白玲は一層体を硬くした。
 早く話を切り上げようと包みを取り上げた時、一緒に包まれていた指輪のことを思い出した。
「あなたのお父様の形見です。父が、懐剣と一緒に残してくれました。まるで、あな

もっとみる
月と陽のあいだに 57

月と陽のあいだに 57

浮雲の章コヘル(4)

 「やはりご存知なのですね」
コヘルに言われて、白玲は部屋に入ると、行李の底から包みを取り出した。包みの中の剣は、コヘルの剣と瓜二つだった。
「この二振りの懐剣は、もともと一対のもの。アイハル殿下が輝陽国へ向かわれる際に、月帝陛下から下賜されたものです。殿下亡き後、行方が分からなくなっていましたが、調べるうちに、あなた様に受け継がれたと確信しました。殿下はあなた様の身元を知

もっとみる
月と陽のあいだに 56

月と陽のあいだに 56

浮雲の章コヘル(3)

 あからさまに警戒する白玲に、コヘルは笑いかけた。
「あなた様に危害を加えるつもりはありません。今日はただ、あなた様ご自身のことをお知らせするために伺ったのです。いきなり現れた者を警戒するなというのは、無理なことでしょうが、我々をどうか信じていただきたい。もしナダルが怖いということでしたら、下がらせませすが」
黙って控えていたナダルが、縁から降りて跪くと、白玲は思わず後ずさ

もっとみる
月と陽のあいだに 55

月と陽のあいだに 55

浮雲の章コヘル(2)

 「まず名前の話から始めましょうか。あなた様は、ご自分の名前の由来をご存知ですか?」
コヘルに問われて、白玲は首を振った。
「月族の言葉では、『ハク』は美しいという意味です。そして『レイ』は黄昏、つまり昼と夜をつなぐものを指し、転じて『橋』の意味も持っています。つまりあなた様のお名は『美しい橋』なのです。
 お父上は、陽族のお母上との間に生まれる我が子に、二つの国をつなぐ『

もっとみる
月と陽のあいだに 54

月と陽のあいだに 54

浮雲の章コヘル(1)

 翌日、部屋を片付けていると、玄関から声がした。出てみると、見慣れぬ男が二人立っていた。婆様の訃報を聞いて、お参りしたいと訪ねてきた月族の旅人だという。暗紫回廊を越えるときに傷つき、婆様に助けられた月族の旅人は少なくない。二人は、墓前にお礼の気持ちを伝えたいという。奇特な申し出に礼を述べ、白玲が自ら墓地へ案内した。
 二人は墓前で拝礼すると、持参した供物を供えた。村へ戻ろう

もっとみる
月と陽のあいだに 53

月と陽のあいだに 53

浮雲の章葬儀(4)

 生まれてすぐに両親を失い、祖父母にも捨てられた白玲が、巫女として大神殿に仕えることができたのは、婆様の教育のおかげだった。婆様は白玲の唯一の家族で、白玲は婆様を通して故郷の村や陽神殿と繋がっていたのだった。村人はあまり知らないが、婆様はかつて大神殿で先代の大巫女の秘書役を務め、当代の大巫女が御位に就いた後は、湖州の陽神殿の筆頭巫女として末社を束ねていたのだ。隠居して故郷の白

もっとみる
月と陽のあいだに 52

月と陽のあいだに 52

浮雲の章葬儀(3)

 白玲が白村の庵に着いた時、婆様はすでに意識がなく、枕元には村人が交代で詰めていた。村人に礼を言って婆様のそばに行くと、白玲は痩せてしまったその手を握った。小さかった白玲の手をいつも引いてくれた手。絹糸を巻いては美しい紐を組み上げていた手。野良仕事をしたり、社を訪れる人のために祈祷のお札を書いていた手。大好きな婆様の手を握って、白玲は涙を流した。その日の夕方、まるで白玲の帰り

もっとみる
月と陽のあいだに 51

月と陽のあいだに 51

浮雲の章葬儀(2)

 もう一つ白玲の心を揺らしたのは、その出自だった。この国でも、親を病や事故、飢饉で亡くした子どもは珍しくなかった。陽神殿にもそういう子どもが預けられていたが、陽族の両親を持つ孤児と白玲では、周囲の人々の対応が違った。もし白玲の父が陽族の男だったら、白玲は祖父母に養育されていただろう。そうであれば、大神殿で高度な教育を受ける機会はなかっただろうが、今まで受けたような悪意や差別は

もっとみる
月と陽のあいだに 50

月と陽のあいだに 50

浮雲の章葬儀(1)

 蒼海学舎から戻った白玲には、大神殿の仕事が待っていた。三年間の修行といっても、内容はそれまでとは異なり、実務の勉強が多くなった。大神殿の中の儀式の詳細を学ぶだけでなく、上位巫女の秘書の仕事を学んだり、神殿以外の人々に接して、その話をじっくりと聞く訓練もあった。神殿の仕事は、陽神の崇拝を通じて民の結束を強めることではあったが、同時に民の日常に寄り添い、その願いや悩みを聞いて祈

もっとみる
月と陽のあいだに 人物紹介編 2

月と陽のあいだに 人物紹介編 2

浮雲の章の主な登場人物

白玲・・・主人公。月族の父と陽族の母の間に生まれた。黒髪と黒い瞳を持つ。

 輝陽国の人々(陽族)
  白穂・・・巫女婆様。白村の巫女で白玲の育ての親。
  白敏・・・白村の農婦。白玲の母の幼馴染。
  白鈴・・・白敏の娘。白玲の乳姉。
  陽淵・・・輝陽国蒼州の太守。陽帝の双子の兄。
  陽衡・・・南湖太守。白玲の父を謀殺した。

 月蛾国の人々(月族)
  コヘル・・

もっとみる