正津勉の『河童芋銭』『風を踏む』
評伝小説
詩人・正津勉の小説『河童芋銭』を読んだ。日本画家・小川芋銭の生涯を描く初めての評伝小説だという。そもそも「評伝小説」とは、いったいどのようなものなのだろうか? 2007年に発表した前作『小説 尾形亀之助』を、正津は「亀之助さん」という短い詩で結んでいた。
「亀さんあんたは死んだんだね」というフレーズではじまるこの詩。いわゆる評伝や人物伝が三人称で人生を再構成する「伝記」なのだとしたら、本書は「あんたは」と呼びかけつつ、その人物の人生に寄り添い、丁寧になぞっていく、やはり「小説」に他ならないのだろう。
小川芋銭という日本画家は、明治元年に生まれ、昭和13年に亡くなっている。牛久藩藩士で後に帰農した小川家に生まれるが、廃藩置県で家は没落し、幼少の頃は持病の瘧と丁稚奉公などで苦労した。新聞社に入り、漫画で頭角をあらわしたが、父親の命で牛久に戻り、農業に従事しながら画業を続けた。
幸徳秋水主催の「平民新聞」の漫画で人気を集め、40歳のとき初の画集『草汁漫画』を刊行。「好きな芋を食う銭、それくらい稼ぎがあったら」ということで「芋銭」を名乗ったことからわかるように、飄逸な作風と題材で知られ、漫画や日本画で独自の世界を描き続けた。
『河童芋銭』の妙味
正津の評伝小説の方法は『河童芋銭』になって、妙味を増している。たとえば東京から牛久へ戻った幼年期の小川芋銭が、牛久の沼を夢に見る場景。
「雲霧のたちこめる沼畔……。それはいったい何なのだろう、総身に細毛あるところ、猿とみえるが猿ではない、背中に甲羅があるところ、亀とみると亀ではない、猿でもなく亀でもなく、奇妙な妖怪のようなもの。それがそこらを戯れまわりやまない。泡粒がぶくぶくする水面……」
これは芋銭が画境をきわめていくうちに、ライフワークとなっていった河童との出会いのシーンである。このような光景を芋銭が見たのかどうか、誰にも確たることはいえないだろう。だが、正津は芋銭の内側に入りこみ、想像力でこのようなヴィジョンを獲得している。
つまり、正津の評伝小説の方法とは、あるときは強く共感し、あるときは芋銭への疑問をつぶやき、くっついたり離れたりしながら、対象との間にコミュニケーションを開いていく方法なのである。
俳味と近代日本
正津が小川芋銭の小説を「書ける」と思ったのは、おそらく彼の俳句を読んでからのことであろう。芋銭の俳句
「喰ふて描き描きて死す是我宗教なり」
や、磐梯山噴火の際に読んだ警句
「地上の人類と云ふものは、安心ならぬ土床の上に安心らしい尻をおろし、それですましているものだと思ふ」
など。
かねてより正津が愛好している金子光晴や山之口獏といった詩人の俳味と似たものがある。実際に、『河童芋銭』の多くのページが芋銭の句の鑑賞にさかれている。
そして、もうひとつの特徴は、本書が小川芋銭の評伝というかたちを借りながら、正津による「近代日本論」になっていることだ。そのためには、小川芋銭という明治元年に生まれの画家は、ぴったりの存在だった。
芋銭は、日本が近代国家になって初めての大災害「磐梯山の大噴火」を経験し、大逆事件、関東大震災、日中戦争まで、近代日本の主だった事件にことごとく遭遇している。正津は芋銭の目を通して、近代日本の姿を「小説の背景」として捉えようとしたのではないか。
小川芋銭はそのような生涯を送りながらも、茨城の牛久沼の沼畔で農画工として暮らし、近代日本社会から距離をおくオルタナティヴな存在だった。
本書の前半分は芋銭の50歳までの生涯にあてられ、後半部分では晩年の20年間をじっくりと読ませる構成になっている。自然のなかで「田舎の幻想世界を追求した」仙境の画人・芋銭に、正津は尽きせぬ共感を寄せるとともに、これから自身が進むべき境地をも見ているのかもしれない。
『風を踏む』
雪山の遭難事故の新聞記事を読むたびに、「そこまでして山に登る魅力はなんだろう」と思う。そんなときに小説『風を踏む 小説「日本アルプス縦断記』を読んで、多少なりとも合点がいったような気がする。
詩人正津勉の最近の仕事は、『小説 尾形亀之助―窮死詩人伝 』や『河童芋銭 小説小川芋銭』など、小説作品がおもしろいと思っている。どちらかといえば、公の歴史からこぼれ落ちかけている芸術家や物書きをとりあげ、研究書ではなく、作者の想像力を補った上で「小説化」されているので、とても読みやすい。
「日本アルプス縦断記」は、およそ100年前に俳人の河東碧梧桐、科学者の一戸直蔵、ジャーナリストの長谷川如是閑の3人が、当時としては大冒険であった登山旅行を扱っている。正津勉は自らもその山岳コースを歩き、この詩人ならではの視点で、現代語の文章へと「小説化」している。
特に1968年に94歳で亡くなるまで、膨大な文章を残したジャーナリストで評論家の長谷川如是閑を、一時代の証言者に仕立てているところが如何にも小説的であるといえよう。それに加えて、大町から入って不動岳、野口五郎岳、槍ヶ岳などを通っていく山岳コースの描写も魅力にあふれている。
著者が実際に歩いて取材をしているためか、碧梧桐ら3人と7人の人夫を連れた総勢10名のパーティの道行きにも説得力がある。雪をとかした水で炊く泥だらけの御飯や、猟や釣りをして獲物をとりながらの登山の模様など、100年前の登山らしいエピソードが詰まっている。
それでいて、碧梧桐、直蔵、如是閑というそれぞれの分野で近代に名を成す人物が、30代後半から40代前半の悩み多き中年男性として描かれている。3人の主人公が抱えた屈託と、それゆえにこの無謀に近い冒険をしなくてはならなかった理由が、徐々に心にしみこむように感得されてくるのだ。
正津勉の飄逸な文体が散文に新鮮な俳味をもたらしていて、この作者の円熟味を増した文章表現が匂いかぐわしい一冊である。
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