にせインド譚
インドへ、行きたい。
そう願っても行けるとは限らない国が、インドだ。
旅というものはこちらが訪ねたいからではなく、その土地に呼ばれるから行けるもの。
なんて、ちょっと神秘的なことを言ってみたが、半分は理想で半分は本気である。
インド旅行となると、そんな風に思うのも無理はないだろう。
宝塚の街には、美味しいインド料理屋さんがいくつもある。
インド人の店員さんはみんな親切で、働き者だった。
メニューの説明を丁寧にしてくれ、「美味しいです。」と言うと心底嬉しそうな顔になる。
自家製のラッシー(驚異的に美味しい!)やマンゴージュース(とても濃厚!)をサービスしてくれて、閉店時間を過ぎても追い出したりせず(追い出されなくても帰りましょう。)帰り道はおなかも心もぽかぽかになった。
私の身近なインドとは、このように美味しいお料理と優しいひとたちだ。
でも実際インドへ行くとなると、宝塚のカレー屋さんに出掛けるような気楽さはまるで無い。
旅行好きのひとたちへのアンケート結果で「人生観が変わった国」の上位には、必ずインドの名がある。
ものの感じ方はひとそれぞれとはいえ、インドはやはり何か特別な力を持っているように思う。
インドへ行くと、なぜ人生観が変わるのか。
文化や常識の違い、死生観を見つめられるなど理由は沢山あるし、それも簡単に説明できることではない。
ただ、はっきり思うことがある。
なぜ人生観が変わるのかは、行ってみないと分からない、ということ。
5年ほど前に、シンガポールを旅した。
有名ホテルが建ち並ぶマリーナ地区から電車で15分くらい北へ走った場所に、リトル・インディアというインド人街がある。
通りを一本隔てると、そこはシンガポールではなかった。
寺院を飾る、インドの神々の迫力ある姿に、私は言葉を失った。
青と黄色、オレンジと赤。看板の色合いが激しい。
ぎっしりと軒を連ねる商店にはインド人スターのポスターが何枚も貼られ、店の前には、歩道ギリギリまで籠いっぱいの野菜と果物が置かれていた。
多くのひとで溢れ返るムスタファセンターという巨大スーパーは、食料品や生活雑貨、服から家電まで揃うインド系住民のためのお店だ。
広い店内には、信じられない品数のありとあらゆる物が壁一面に陳列されていた。
私はそこで、ガイドブックに載っていたアーユルヴェーダ石鹸を買った。
誠に良いお土産であった。
その街のインド人たちは、みな不機嫌そうに見えた。
異国情緒溢れる街並みと馴染みのない雰囲気に気圧された私が、思わずそう感じただけかも知れないが、自分たちの生活の場に入り込んでくる観光客を迷惑がっているようだった。
何よりも記憶に残っているのは、強烈なお香の匂いだ。
店先で、寺院で、路上で。もうもうと焚かれているお香は濃厚に漂い、甘く重々しい芳香がどこまでも纏わり付いてきた。
何年経っても忘れられないその香りは、今でも私をインドへ誘う。
私を、酩酊させる。
噂に聞くインド旅行は、かなり過酷な物らしい。
生半可な気持ちで行くと、半日も耐えられないだろう。
カルチャーショックの連続で、ひとの親切に気を許すと騙される。
海外旅行に慣れたひとでも、色々と注意が必要だという。
だから私は、インドに心惹かれるのだ。
安全安心な旅は快適だけど、人生観を変えられるなど甘いというもの。
多少は危険な目にあい、痛みと恐怖を味わい、すっかり自信を喪失する。
そのくらいしないと人生観なんて変わらない、かもしれない。
いやだなあ。でも、なんだか気になる。
この際インドへ乗り込んで、本当に人生観なんていうものが変わるかどうか試してみようじゃないか。
私はインドで、ヨガをしてみたい。
荘厳な寺院を見たい。
熟したマンゴーを食べたい。
風の宮殿へ行きたい。
ガンジス川の景色を見たい。
そこで、赤子の泣き叫ぶ声を聞きたい。
骸の香りを嗅ぎたい。
怒気のたてる音を聴きたい。
歯を失った顔で、笑いたい。
この腕に縋り付く神様に、1ルピーを施したい。
もう二度と会えないひとの後ろ姿を見つけて、人混みをかき分け、かき分けて、路地裏へと追いかけたい。
その私を追いかけてくるひとがいれば、安物のサリーを身体に巻き付けて老婆のふりをしてみたい。
たとえ誰かに殴打され、両足首に縄を巻かれても慄くことなどない。
ガンジス川の流れをくぐれば、またここに戻ってこられるから。
その国は、私に命を見せてくれるだろうか。
もしも愛というものがこの世にあるのなら、愛に触れさせてくれるだろうか。
どこからか聴こえては地を這う、祈りの声。
うだるような熱気と土ぼこりに包まれて、全てが曖昧になっていく。
空想が行き過ぎた。
一体、インドをなんだと思っているのだ。
インドは、そんなに妖しく恐ろしい国ではない。
そこには豊かな自然、歴史を守り伝える幾つもの建造物がある。
深い信仰心を抱く人々が、豪快な生き方を逞しく謳歌しているのだ。
訪れた旅人が異文化に飛び込んで現地のひとに敬意を払い、どんなことも楽しむ根性を持っていれば、一生の宝物になる経験ができるだろう。
私のように、そもそもの人生観が確立していない未熟な人物が訪れたところで、何も起こらない。
ただ私が通常どおりの珍道中を繰り広げて、インド人と牛たちを困らせるだけだろう。
やっぱり私は、インドへ行きたい。
ヨガをして寺院を眺めて、トイレで大いに戸惑って。
観光客らしく詐欺に泣かされ、野良犬から逃げ惑い、おなかを壊そう。
どのみち、今は気軽な旅すら楽しむこともままならない日々だ。
しばらくは、東京で美味しいインドカレー屋さんを探して、夢見る国への旅の気分を味わうとしよう。
スパイスの香り。カレー屋さんの、奥まった壁に貼られた何枚もの写真。
その中に、まだ見ぬ国インドの風景が切り取られている。
鮮やかな色彩に溢れる、春のお祭り。
見覚えのあるサリーを纏った歯のない老婆が、コルカタの雑踏を横切る残像。
大きな河。
その向こう岸に、よく知っているのに誰だか思い出せないひとが佇んでいる。
見たことのない動物の骨片を、握りしめて。
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