地方から始まる日本のMaaS
はじめに
先日久々の海外旅行で北欧諸国(フィンランド、エストニア、ノルウェー、スウェーデン)を周遊してきた。なぜ北欧かというと、実はコロナ・パンデミックが始まる半年前の2019年に出張でこれらの国を回ったことがあり、そのときに北欧の諸都市の魅力に強く心惹かれたからである。2019年のときは仕事だったためほとんど観光ができなかったので、プライベートでの再訪を心に誓い、コロナが明けてようやく目的を果たすことができたという次第。
コロナ前の「北欧ブーム」とMaaS
ところで、その5年前の海外出張だが、視察のテーマは
・ヘルシンキ→MaaS
・タリン(エストニア)→電子政府
・ストックホルム(スウェーデン)→スタートアップ・エコシステム
というものだったのだが、当時はこのテーマで北欧を回るビジネストリップがちょっとしたブームであり、日本から多くのビジネスマンや政府・自治体関係者が視察に訪れていた。当時の週刊ダイヤモンドには「日本からの視察の多さに現地はうんざり」という記事が出るほどのブームだった(笑)。
ということで当時を思い返してみてふと思ったのは、「MaaS」とか「電子政府」の話って、最近めっきり聞かなくなったのだけど、一体どうなっちゃってるんだろう…という素朴な疑問。特に「MaaS」については、私も視察に訪れたヘルシンキのスタートアップ企業、あの「Whim」というアプリで名を馳せた「MaaS Global社」が今年3月に経営破綻したという。たしかMaaS Global社にはトヨタファイナンシャルサービス、あいおいニッセイ同和損保、デンソー、三井不動産、三菱商事などなど、日本企業も出資していたと聞くけれど…。
あ、MaaSってなあに?という人はこのあたり↓から自分でググって調べてくださいね。
ちなみに、2019年に行ったときは「MaaS Global社」を訪問したということもあり、実際に現地で「Whim」のアプリを自分のiPhoneに入れて、それでトラムにも乗ったりしたのだけど、まあ日本のSuicaのような交通系ICカードとGoogl Mapsのようなルート検索アプリがひとつになったようなものかという印象しかなかった。
もちろんWhimの特徴はそれだけじゃなくて、
・公共交通機関だけでなく、民間のタクシーやカーシェア、ライドシェア、レンタサイクルなどの利用も含めた最適なルートの提示とその予約・決済までアプリで完結すること。
・定額制(月額)も選べるいわゆるサブスク。
の二点が大きな特徴のようなのだが、これはトラムにちょこっと乗ったぐらいではわからない。所詮は居住者でもないただの通りすがりなのだから、まあしかたないっちゃあしかたない(Whimの詳細についてはこちらあたり↓を参照)
ヘルシンキの公共交通事情
で、2024年・「Whimなき後」のヘルシンキはどうだったかというと…
まず、ルート検索についてはGoogle Mapsで十分。最適ルートの提示だけではなくトラムやバスの到着予定時刻もしっかり表示してくれる。下の写真はトラムの乗り場にある掲示板だ。複数の路線がここに停車するが、路線ごとに到着予定時刻が表示されているが、これと同じ情報をGoogle Mapsでも入手できる。
ところで、そもそもの前提として、ヘルシンキの公共交通はヘルシンキ市交通局(HSL)が一手に運営していて、東京のようにJRや東急や小田急…というような複数の民間事業者が個別に路線を持っているわけではないということを押さえておく必要がある。
運賃もざっくりとしたゾーン別にはなっているけれど、ゾーン内であれば距離の長短にかかわらず料金は定額(バスに乗ろうとトラムに乗ろうと地下鉄に乗ろうと…)。だからそもそも日本のように行き先別にボタンを押して買うような券売機もない。
そうなると改札もいらなくなるので、バスやトラムには運賃箱(というか支払いのための機械)もない。勝手に乗車して勝手に降車するだけである。ただし、ときおり不意打ちで車内検札されることがあり、そのときに無銭乗車が発覚すると高額な罰金が課せられるということで、それが抑止力になっているらしい。
そのため一応切符は買わなきゃならないのだけど、切符の種類としては1回券以外に1〜数日乗車券とか月単位の定期券とか種々の割引チケットが発行されていて(下図)、運賃はゾーン内では定額・乗り放題が基本なので、そもそもが十分サブスクっぽい(なお、バスやトラムでは車内で切符が買えないし、切符が買えるところ(ターミナル駅とかキオスクとかスーパー)もそんなに多くないので、下図の「Single tickets」は案外入手しにくい。ということで、必然的に1日券みたいなのを事前に購入せざるを得ない)。
さらに、それらの乗車券をスマホに入れられる「HSLアプリ」(もちろんルート検索もできる)というのがあるので、whimとの違いはタクシー(とHSL以外の移動手段)を含むか含まないかぐらいの差ではないかと思う。
そう、ヨーロッパでは公共交通というのは文字通り「公共」の交通なので、行政が一手に担っているところが多いのだ。今回訪れた都市ではストックホルムもオスロもタリンもそうだった。つまり、日本の公共交通のように「複数」の「民間事業者」が「収益事業」としてやっているのとは根っこのところから事情が異なるのだ。
だから、MaaS Global社が経営破綻して「Whim」が使えなくなっても、それぞれの行政当局が本気を出せば似たようなサービスを開発・提供することはそんなに難しいことではないということなのだろう。その意味では、MaaS Global社は破綻すべくして破綻したということもできるのかもしれない。
ちなみにストックホルムやオスロの公共交通も同じようなサービス(ゾーン別定額制+決済機能とルート検索機能付きスマホアプリ)を提供している。
日本のMaaSはどうなってるの?
さて、翻って日本はどうなっているのだろうか。
国土交通省に「日本版MaaSの推進」というタイトルの特設サイトがあるのでこちらをみてみよう。
これによれば、国土交通省は「日本版MaaSの将来像や、今後の取組の方向性などを検討するため」に2018年に「都市と地方の新たなモビリティサービス懇談会」という有識者会議を立ち上げ、そこでの検討をもとに2019年に経済産業省と合同で「スマートモビリティチャレンジ」というプロジェクトを立ち上げたのだそうだ。
これに呼応するかたちで、民間事業者のほうもJR東日本、小田急電鉄、、東急、関西の鉄道会社連合、JR西日本、名鉄など、民間鉄道事業者を中心としたさまざまな取組が始まっているようだ。
ただ、これはあくまで私見ではあるが、上記サイトをザックリ見て回った感じではどこもなんとなくまだ試行錯誤中というか隔靴掻痒の感が否めないというのが正直なところ。で、その違和感のもとはなんだろうと考えてみると、第一にアプリの開発ばかりが先行している感があること、第二に事業者間の「囲い込み」感が強いということ。
つまり、一言でいうとほんとうに利用者目線に立っているのだろうかというのが率直な印象だ。MaaSすなわち「サービスとしてのモビリティ」になっているのかい?ということだ。
事業者間の「壁」
で、この違和感の根底にあるのは、やはり日本の公共交通事業の担い手が行政(都営とか市営とか)や民間事業者など、複数の事業者にまたがっているからではないだろうか。それぞれがライバルなんだから囲い込みに走るのはある意味当然だし、それぞれが個別にアプリ開発にしのぎを削るのもまた当然のことだ。
しかし、利用者にとってスムーズでストレスフリーな移動を提供するというMaaS本来の目的に立ち戻れば、目指すべきはまずは事業者間の「壁」を取り払う、まではいかなくても低くすることなのではないだろうか。その点で言えば、今の「日本版(?)MaaS」の取り組みはむしろ「壁」を高めている可能性すらあるように感じられる(もちろん一部事業者間で連携するような取り組みもあるので、一概に断定してはいけないと思うけど)。
例えば「乗換案内」のようなアプリで経路検索を行うと、「時間順」「乗り換え回数順」「料金順」の三種類で検索結果が表示される。つまり利用者にとっては「速さ」「楽さ」「安さ」という3つのパラメーターがあるわけだ。しかし、利用者がほんとうに欲しいのは実は「速くて・楽で・安い」ルートはどれかということなんじゃないの?。
これまで述べてきたように、少なくとも北欧の諸都市では定額制料金が基本なのでまず「安さ」というパラメーターはそもそも考慮の必要がない。パラメーターが「速さ」と「楽さ」のふたつに減れば、例えば「乗り換えが面倒だから多少時間がかかってもいい」あるいは逆に「乗り換えが多くても速く着きたい」というように選択はずいぶんと楽になる。つまり、A地点からB地点に移動するのにどのルートを選択しても料金は同じ、ということになれば、ずいぶんと選択のストレスが軽減されるように思うのだが、いかがだろうか。
交通事業者の「共同経営」という新しい動き
では事業者間で調整して、A地点からB地点への移動についてどの会社の路線を使っても同一料金にすればよいではないか、という考えが頭に浮かぶが、なんとこれが独占禁止法のカルテルにあたるということでこれまでは認められていなかったのだ。
しかし、2020年に制定された独占禁止法特例法では、一定の要件のもとで国土交通大臣の認可を得れば複数の交通事業者間での「共同経営」がカルテルの対象から除外されることとなった。
これにより、これまでは事業者ごと・一回乗車ごとに支払う必要があった運賃について、定額乗り放題やゾーン運賃、通し運賃などの設定ができるようになった。しかも、それによって事業者間の収入調整が必要となる場合にはいわゆる「運賃プール(複数事業者の運賃収入を集めた後、事業者間で事前に取り決めた配分方法により再配分すること)」もできるようになった。
この規制緩和によって、利用者は事業者の違いを意識することなく、同一エリア=同一運賃として移動することが可能となる。これまでに熊本や広島など6つのエリアでこの共同経営計画が認可されている。
いまのところ乗合バス事業に関するものが多いが、鉄道、軌道、旅客船など他の運輸サービスも含めた共同経営計画を策定することも可能となっており、徳島県南部地域では鉄道(JR四国)とバス(徳島バス)の間で共通運賃・通し運賃が実現している。
さらに、共同経営計画の認可第一号となった熊本地域では、2023年よりトヨタグループが提供するMaaSアプリ「my route」を導入することとなったそうだ。
まずは複数事業者間の「壁」を低くすることが先決であり、アプリの導入はその後でもよいということで、これはなかなか正しい「打ち手」という感じがする。というか、「壁」をそのままにしてアプリだけ入れてもうまくいかないということなんじゃないのかな。
日本のMaaSは地方から始まる
この「共同経営」、人口減少で地域公共交通の採算が悪化し、その維持存続が厳しさを増す地方都市で、民間交通事業者が競争して疲弊するのではなく、相互に協力しあうことで地域公共交通を維持存続させようという狙いで始まったものだ。しかし、相互協力、つまり事業者間の壁を低くすることが利用者にとっての効用を高めている点では、「モビリティ・アズ・ア・サービス」の本質に近づいているようにも思われる。
東京や大阪のような大都市では交通事業者間の「共同経営」はまず無理だと思うし、その必要もないだろう。熊本などの事例からわかるように、日本ではMaaSは地方から普及・展開していくのではないか、そんなことを思わせる昨今の動きである。
ちなみに熊本市の人口は約74万人、ヘルシンキは約63万。このあたりの都市規模が導入には手頃なサイズ感なのかもしれない。
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