見出し画像

思い違いの答え合わせ


 あたりまえのことだが、小さな子どもは限られた拙い言葉で伝えようとするので、大人に伝えられたそれらの言葉は正確に受け止められているとは限らない。

 娘のマユは現在14歳になりますが、最近になって小さい頃の記憶を語ることがあり、それを聞いてみると、過去に大人の側が思い違いをしていたことがいくつかあることがわかりました。

 14歳という年齢は、一般に中二病と呼ばれて複雑な思考に陥りやすい時期で、自分を客観的に見つめられるようになったという解釈もできるのかもしれません。
 しかしただ単に、自分自身について言語化する力が年齢相応に身に付いただけととらえることもできます。

 
 私が思い違いをしていたことで、最も驚いたことは、マユが幼稚園に行きたがらなかった理由です。

 マユは一人っ子だったので、人見知りしないよう公園や子育て支援センターなどできるだけ人のいるところに連れて行くようにしていました。(マユがなぜ一人っ子なのかということはまた別の機会に書こうと思います。)
 私は「一人っ子だからこそ多くの人と関わるべき」と考えていたので、3年保育の年少から幼稚園に通わせることに迷いはありませんでした。

 マユは3歳で知的障害がないタイプの自閉症と診断されていたので、週に1日地域の療育園へ通い、もう1日は民間機関の療育に通い、家の近所の幼稚園には週に3日通うことにしました。
 多少の行き渋りがあっても秋頃までは楽しく通えていた幼稚園でしたが、冬になると朝から大泣きし、幼稚園に行ってから帰りの時間までずっと泣き通しでした。家の中では翌日幼稚園へ行かなければならない不安から、「幼稚園行きたくない」と言い続けました。

 この時期、「幼稚園行きたくない」の他によく言っていた言葉が「幼稚園てどんなところ?」です。
 春から幼稚園に行っていて、どんなところかいいかげんわかっていそうなのに、そのような質問を度々するのは見通しがたたないと不安になるという自閉症ゆえの性質からかと、私も思ったし、療育の先生たちもそのように考えました。

 そこで、幼稚園の担任の先生に電話で問い合わせ、次の日にどんな内容の活動をするのかを聞き、予定をわかりやすく紙に書いてマユに見せることにしました。
 「幼稚園でいつでも見ていいからね」と、予定の書かれた紙を小さく折りたたんで園服のポケットに入れておきましたが、マユの不安は解消されませんでした。
 
 マユは手洗いを何度も繰り返したり、トイレに数分おきに入りたがったり神経症的な症状が出てきたので、幼稚園への通園はストップせざるを得ませんでした。臨床心理士や病院の先生に相談したが、この状態で幼稚園へ行くべきではないという判断でした。

 幼稚園側は、「一人っ子だから甘やかしている。多少嫌がっても幼稚園へ来させるべき」と考えていて、私と幼稚園の関係性はあまりよいものではなくなってしまいました。
 朝から帰りまで泣き続け、神経症的な症状まで出ているのに「多少嫌がっているだけ」と考えていることに大きな隔たりを感じていたのは私だけでなかったようで、夫も「この先、この幼稚園に通えるようになるとは思えない」と言いました。

 ちょうどその頃、私が幼児期に通った幼稚園が「在園児10人程度の少人数幼稚園で閉園の危機」とテレビで紹介され、それを一緒に見ていた夫が「こんなに人数が少なければ、マユも楽しく通えるかなぁ」と呟きました。
 その呟きを聞くまで「他の幼稚園へ移る」という発想が私の中にはなかったので、「そういう考え方もあるのか」とあらためて気づいたのです。

 私の育った地域は田舎の不便なところにあり、若い世代がどんどん街へ出て行ってしまうので、そこにある幼稚園の園児数は年々減っていました。バスは1時間に1本程度。車がないと本当に不便な場所で、運転ができない夫はとてもじゃないけどそんなところに引っ越して住むことなんてできません。私が通った幼稚園を転園の候補に入れるのは明らかに無理でした。

 その当時私たちが住んでいた家から車で25分程のところに障害児を積極的に受け入れている幼稚園がありました。
 地域の療育園の子もたくさん通っていたので、転園するならそちらの方がよいような気がしました。

 さっそくその園に問い合わせしたところ、副園長が「自閉症とか発達障害とかいった子は、とにかくよく説明をしてあげることが大切なんですよ」と言いました。
 自閉症の子に寄り添うような言葉に、私は救われるような気持ちになりました。園を見学させてもらい、活動内容もとてもシンプルなのがよいと思い、加配の手続きをし、最初は週に2日という条件で4月からの入園を許可してもらいました。
 入園前、マユには「担任の先生の他に、マユのための先生がもう一人いるよ」と伝え、新しい幼稚園が気に入るように、園児が帰宅する夕方の時間に園庭で遊ばせていただいたりしました。

 4月に入園してからは、朝は相変わらず泣いていましたが、園で加配の先生に会うと泣き止んでいました。教室にはなかなか入れなかったけど、職員室や遊戯室で加配の先生と過ごすのを許可してもらっていたので、家で「幼稚園に行きたくない」という回数は減っていきました。
「幼稚園てどんなところ?」という質問は毎朝口にするので、朝、先生にその日の活動内容を伝えることをお願いすることになりました。

 4月から入った同じ療育園の子たちは、最初はマユと同じように職員室や遊戯室で過ごしていたのがだんだんに幼稚園に慣れ、教室の中で過ごす時間が増えていき、幼稚園へ通う日数も2日から3日へ、3日から全日へと増えていきました。しかし、マユは卒園の2ヶ月前まで1日じゅう教室で過ごすということができないでいたので、幼稚園へ通う日数を増やすこともなかなかできませんでした。

 3年保育のうち、年中と年長の2年間在籍した幼稚園を、いろいろイレギュラーなことを許していただいたおかげでなんとか卒園することはできました。
 「幼稚園てどんなところ?」という質問は卒園の2ヶ月前まで出ていたが、この言葉の真実を、私は14歳のマユから知らされることになりました。

「幼稚園て必要なのかなって、ずっと思ってたんだよね」

 たまたま幼稚園の先生について話題にのぼったときに、マユが言いました。
 マユは、幼稚園というところに対して「なぜ行かなければならないのか?」という疑問がありました。

 学校は勉強を教えてもらうところという認識があるが、幼稚園というところに絶対的な必要性を感じられない。幼稚園で歌を歌ったり、踊ったり、工作をしたりすることに、マユははっきりとした意義を見出せないでいました。
 この「必要」という言葉が、幼児だったマユは言葉として表出することができませんでした。
 「幼稚園てなんで必要なの?」と聞きたいところを、「幼稚園てどんなところ?」と知っている言葉で表そうとしていたのです。
 幼稚園の存在意義は、情緒を豊かにすることや集団への適応力を養うことなど多々あるのでしょうが、それを幼児に説明するのも簡単ではなさそうだし、実際、そんな質問を幼児からされるケースも極めて珍しいのではないでしょうか。

 多くの幼児が楽しんでいる遊戯や工作を楽しめない独特な感覚は自閉症的といえば自閉症的かもしれませんが、「見通しを立てる」という自閉症の教科書のような対応しか思いつかなかった大人の側も、今となっては少し滑稽に思えてきます。

 こうやって、成長した娘に言葉が拙かった頃の答え合わせをするのはなかなか面白いものです。

#思い込みが変わったこと #自閉症 #自閉症スペクトラム   


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?