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■匿名で書くということ

「note」を読んで(21) 不定期刊

先月、マガジン「現代散文自由詩人の独り言」にて、某文学賞に入選したことを書いた。
昨年3月から詩の雑誌には投稿し続けたものの、まったく採用されなかっただけに、これはうれしいことだった。
その入選した詩がポスターになったものが送られてきた。
ここには、僕の本名が書かれてある。本名での投稿、応募しか認めていない賞なので、これは仕方がない。承知の上だ。

しかし、昨年2月からほぼ毎日投稿するnote、そして月1度の詩実作講座で僕は最初から匿名であり、町谷東光(マチヤトウコウ)というペンネームで詩を中心に書いてきた。
10年以上投稿を続けるFacebookでは実名、ほか学歴、居住歴、職歴といった基礎データを漏れなくさらしている。
当然、実名を出す前提で書けることしか書いていない。自分にとっては日記替わり、備忘録として書き綴っていても、誰にも読まれない設定にしない限り、書く内容には一定の抑制がある。
しかし、noteでは最初から町谷東光としての表現しかしていない。従って、ほぼ自由に書いているつもりだ。
今回の賞入選については、名前はもちろん、詩そのものにもモザイクをかけた。詩は、過去に町谷東光としてここでも発表したものなので、町谷東光の本名がバレかねない。
そんなこと、気にする必要もないとは思うし、調べる人もいないだろうが、実名をさらさないという安全な場所から書き綴るのは、居心地もよい。
詩や小説をnoteに投稿する際、やはりペンネームの方がしっくりくるし、皆さんのびのび書いていると思う。

町谷東光そのものが、売れて顔出しまでして活動できるときが来ればよいのだが、もし、そんな事態になったら、町谷東光としての抑制もきかせねばならないんだろう。
そんな日が来ることを祈りながら、きょうも町谷東光として書き綴る。

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「最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今後も気楽に読んでください」

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